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よいよラオスともお別れだ。
メコン川を眺めていると、長い間いたラオスからいよいよタイに戻るんだなーという感慨のほかに、無数の想念が湧いては消えてゆく。
カンボジアからベトナムに移動した時を思い出した。余所者の勝手な希望だとは分かっていても、この東南アジア最貧国の一つが、いつまでも発展し過ぎず素朴なままであれと願ってしまう。
ともあれ、ラオスはおすすめだ。途上国にありがちな治安の悪さとは無縁だと思ったし、タイほどではないが公共交通(バス)も利用しやすい。宿にも困ることはない。あとは体力の勝負だな・・・。

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泊まっている「Friendship GuestHouse」の屋上からは、フェイサイの町並みと、メコン川の向こうに広がるチェンコンの町が見渡せる。

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ラオス出国のスタンプを押す時が来た。今まで通過してきた場所と同じように、これまた簡素なイミグレの建物。やはり緊張感などは全く感じられない。

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あっさりと出国手続きも終わり、メコンの川縁へ降りてゆく。待っているのはサワンナケート~ムクダハン国境の渡し船とも比較にならない「国際ボート」だった。

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さらばフェイサイ。さらばラオス。必ずや、また訪れるぞ。

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対岸のタイ・チェンコンには、またもや立派なイミグレがそびえている。

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ものの5分くらいのボートトリップを終え、タイに上陸する。「GATE TO SIAM」と書かれた門が出迎えてくれた。入国手続きはあの立派な建物ではなく、門の後ろに見える小屋だった。手続きはあっさりと終わり、窓口の係官に思わず「コプチャイ(有難うのラオ語)」と言ってしまうと、すかさず「コプチャイはラオスで終わりだ。ここはもうタイだからコープンカップだよ。Have a Good Trip!」と係官氏はニヤリ。そうだった。コープンカップからカンボジアではオックンチュラウンになり、ベトナムではカームオンだった。いつも国境を越えてしばらくは混乱していたが、今回は完全に頭の中がラオスモードになってしまっているだけに、矯正には時間がかかりそうだ。もっとも、タイ語とラオ語は似ているので、通じないことはないらしいが。

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すぐさまトゥクトゥクを捕まえ、バスターミナルに向かう。メーサイへと先を急ぐためだったが、のんびりしたチェンコンの町並みを見ると、一泊ぐらいしても良かったかな・・・と思わないでもなかった。まあ、また来るだろう。その時は、メコン川沿いの見晴らしのいい宿にでも泊まろう。

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メーサイ直行のバスはないので、チェンセーン経由か、チェンライ(チェンラーイ)経由かになる。結局すぐに出るチェンライ行きに乗った。道路の良さ、バスのステンレスむき出しの無骨さが、タイに取ってきたことを実感する。ドアを開けっ放しで走るのもタイならでは。そう言えば、ラオスではどんなオンボロバスでも必ずドアは閉めていたな。不思議と言えば不思議。

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地方都市、それでもラオスに慣れた眼には大都会に見えるチェンライに着いた。バスは地方路線らしく年季が入っていたが、乗り心地は悪くなかった。

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混雑しているチェンライのバスターミナル。北部の交通の要衝だけのことはある。

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またバスを乗り継ぎ、タイ最北端の町であるメーサイに着いた。こっちのバスターミナルは静まりかえっていて、真ん中で犬が寝そべっているという具合。

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ホテルにチェックインして一息つくと、また屋上に上がってみる。今朝と同じように国境を眺めるためだ。しかしここから見るのはラオスではなく、ビルマ(ミャンマー)。写真中央に見える茶色い屋根のすぐ後ろに、国境線の小川が流れている。その向こうは、カンボジア、ラオスと並ぶ東南アジア最貧国であり、今も軍事政権の独裁と圧政にあえいでるミャンマーだ。
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真っ茶色になったザックを手に、しばしどうしようか考える。


オスを8年くらい前に放浪したことのある友人からメールが来た。
「今までのブログを読んだが、ラオスはそんなに道が良くなったのか。俺が行った頃なんてダートばっかりで、舗装道路は珍しかったぞ」


ラオスに限らず、東南アジアの道路の進歩はめざましい。
私は直接見比べたわけではないのだが、今持っている2002年度情報のガイドブックで「ひどい悪路」「振動と土埃のダブルパンチ」などと散々な紹介のされ方をしていた道でも、いざ通ってみると立派な舗装路になっていて拍子抜けしたことが何度かある。カンボジアのシェムリアプ~コンポントム間や、ベトナム~ラオス国境越えルートなどだ。

僅か2~3年でかくも変貌するものか・・・カンボジアの道路は中国の援助で、ラオスの道路は日本のODAによって整備されたはずだ。我々の税金がこの国の発展に貢献しているのだ。それはいいとして、中国人はカンボジアにビザ無し入国ができるのだから、早く日本人もビザ無しでラオスに入国できるようにならないものだろうか。

また、援助も大切かもしれんが、それ以前に日本国内の財政が火の車だということを分かっておるのかね?小泉純一郎君!と小一時間問い詰めたくもなる。まあ、そこはぐっとこらえて、ともかく楽に移動できるようになったことを喜ぼうではないか。

ただ、中には「ラオスらしさが無くなる」とか、ビエンチャンのセクシーワンピースの彼女が言った「ラオス南部は道の変化がなくてつまらない」という意見もあって、旅の楽しみという点では味気なくなっているのかもしれない。


今日はラオス北部のルアンナムターから、メコン川を挟んでタイと向かい合う国境の町、フェイサイへと向かう。いよいよ、合計1ヶ月半もいたラオスの旅もラストスパートだ。

2年前のガイドブックでは所要9時間とのことだが、今は舗装もされているだろう。

恐るるに足りぬと思ってバスターミナルへ行くと、待っていたのは20人乗りくらいのマイクロバスであった。

気分は一転、嫌な予感がする。
ラオス国内でここまで、長距離の移動はボロいなりにも大型バスだったのだ。それが辺境の地とは言え、国道を走るのがいきなりマイクロバスになるとは、恐らく大型バスが通行不可能な狭路なのではないか。
これから走るのは国道の3号線だが、日本と違って番号の若い国道が必ずしも立派でないことは、これまでの旅程でよく分かっている。覚悟せねばなるまい。

ザックを屋根上に預けて乗り込む。発車まで1時間以上もあるが、ほとんどの席は既にバッグが置かれていて、窓際で空いているのは最後尾しかなかった。
もしこれから走るのがダート道だとすれば、最後尾は乗り心地が悪い上に土埃が押し寄せてくる。しかし通路側の席は暑い上に肘掛けがないので居眠りもできず、しかも急カーブの連続では身体を常に踏ん張らなければならない。
こんなバスに冷房などある筈もなく、灼熱地獄になるか埃まみれになるかという苦渋の選択だが、写真も撮れるので窓際を取った。もちろん陽の当たらない側で。後は野となれ山となれ、だ。

さて、時間つぶしにターミナル内を散歩するか。

ただ、ラオスのバスはいつ発車するのか分からないので安心は禁物だ。大型バスはまだ比較的「正確」で、最悪でも定刻の20分遅れぐらいのものだが、こんなマイクロバスやソンテウは満席になれば定刻30分前でも発車し、客が集まらなければ席がある程度埋まるまで待つらしいのだ。
実際、数日前にこれと同じバスで出発する日本人を見送ったのだが、発車は30分以上も遅れた。これなら壁に貼ってある「Time Table」に「May be」と付け足した方がいいのではないか。定時運行などという概念は無いに違いない。

屋根のある東屋みたいな待合所を囲むようにして、南部行きの大型バスと、北部行きのソンテウがそれぞれ何台も顔を並べていた。
その間を縫って、アカ族の土産物売りおばちゃんたちが外国人を追いかけ回している。また、ビエンチャンまで向かうバスは、屋根の上にバイクを10台も積んでいるではないか。1台100kgとして1トンだ。どうやって積んだのかも甚だ疑問だが、そんな重石を屋根上に積んであのクネクネ道をあの運転で爆走すのだろうか。想像したら寒気がする。どうか横転しないようにと他人事ながら祈るばかりだ。

まあ、何だかんだと言っても、そんなラオスとも明日でおサラバだ。先進国タイに行ったら、こんな牧歌的な光景は見られないのだから。もっとも日本に比べたら十分牧歌的なのは間違いないのだが。


バスの周りが騒がしくなってきた。屋根の上に積んだザックや荷物にはカバーが掛けられ、積み込みをしていた人も降りている。時計を見ると8時半。出発は9時の筈だが、今日は満席になったから出るのか。ホンマ気が抜けんなあ。

乗り込むとすぐに発車した。危ない危ない。乗客のほとんどは欧米人バックパッカーだ。みんなこれから延々と続く旅路がどんなものになるかなど知る由もなく、ひたすら陽気にはしゃいでいる。

ルアンナムターの町を徐々に離れてゆくが、予想通りというべきか、やがて舗装路は途切れてダート道になった。
その道もだんだん細くなって、やがて1.5車線、急勾配と急カーブの連続する本格的な山越えルートになってきたではないか。あっちこっちで道の付け替え工事をしているのを見ると、どうやらこの国道3号線は、やっとこせ舗装に着手したばかりのようだ。こんな主要な町に近い所でも工事中なのだから、これから先も舗装が完成している望みは薄いな。こらしんどい旅路になるわ・・・。

頻繁に出会う工事のダンプカーは凄まじい土煙を巻き上げながら坂道で前につっかえるし、散水車はバスが横を通ろうが関係なしに水を吹きかけてくる。暑いので窓を開けていてもそのたんびに閉めなければならず、それでもどこから入ってくるのか、土埃でみるみるうちに全身が真っ茶色になってくるのだ。フェイサイに着く頃には一体どうなっていることやら。それにこれだけ工事していては、ひょっとしたら9時間で着かないのではないだろうか。心配になってきた。

バスは、日本の林道よりも荒れているようなヘアピンカーブだらけの狭路をノロノロと走ってゆく。今までの舗装路バスのようにブッ飛ばしたり無理矢理追い越したりはしないので恐怖は少ないが、この震度7クラスの地震のような揺れと、まるで洗濯板の上を走っているかのような振動にはうんざりしてくる。

しかしながら、景色は今までの道に負けず劣らず、変化に富んでいて飽きない。
森を抜けたかと思うと、水をたたえた水田地帯。もうもうと煙を上げている焼き畑を見たり、急坂を登った後には山の尾根道のような絶景路に出たりと、ラオスの原風景とも言える景色が車窓の右へ左へと繰り返されてゆく。道は細くなったり太くなったり。川を超えるにも橋などほとんど架かっておらず、そのままザブザブ川を渡ってゆくというワイルドさだ。

途中、いくつかの少数民族集落を通り抜けた。
今までよく見たような木造の家が集まっているが、いくつかの村には電線が張り巡らされて衛星テレビ用のパラボラアンテナも立っているし、電線が無い村でも半分くらいの家には小さいながらもソーラーパネルが備え付けてあったのにはびっくりした。大きさからして照明くらいにしか使っていないようだが、こんな山奥にも文明の利器は確実に浸透している。そんな風景と民族衣装を着た村人たちとの対比が印象深かった。

また、子供たちが遊んでいた手を止めて、砂漠に立っているミーアキャットの群れのように何故か直立不動でこちらを見送る。物乞いをするわけでもなし、そんなにバスが珍しいんか?毎日見とるやないか。見られているこちらは、何だか護送車で運ばれる囚人のようだ。あまり気分のいいものではない。

集落の一つにあるオンボロ食堂で昼食をとり、再び走り出す。

さて、ルアンナムターを出てもう半分くらい来ている筈だが、舗装路はただの一度も現れることはなく、舗装工事中の現場ばかり続くだけではないか。

まったく、工事中の道路というのは下手なダート道よりもタチが悪い。あちこちで迂回を強いられるし、またその迂回路ときたらバス一台が辛うじて通れる程度の幅で、しかも路肩は今にも崩れ落ちそうなのだ。場所によってはひどくぬかるんでいて、その度に泥水の池の中をタイヤ半分まで浸かりながら最徐行で通り抜けてゆく。ぬかるみにハンドルを取られでもしたら最後で、まるで綱渡りをしているみたいだ。

運転手さん、アンタは飛ばし屋ではないようだが、くれぐれも頼んますぜ・・・こんな山奥でズルリといって斜面を落ちたら、恐らく次の日まで発見されんだろうから。それにぬかるみでスタックしたり、今まで何回もあったようにパンクしたりしたら、到着がいつになるか分かったものではない。

そう祈っているそばから、ぬかるみでスリップしてヒヤリとする。先ではダンプカーが断崖の路肩ギリギリで横転して積荷の砂利をぶちまけているし、シャレにならんぜ・・・頼むから無事に、暗くなるまでに着いてくれ・・・。やはりラオスのバスには心労がつきもののようだ。


陽も沈みかけ、揺れと振動と心労で乗客の顔にも疲労の色が濃くなってきた17時50分、やっとのことでフェイサイの町外れにあるバスターミナルに着いた。所要9時間20分。あれだけ徐行したにしては上出来だ。

バスから降りても、まだ振動が残っている。ずっと座っていた筈だが、まるで何か運動をしていたのではないかというくらい全身が疲れた。

以前、F1ドライバーの中嶋悟が出て「この首は重力の5倍に耐えている」と言っていたサロンパスか何かのCMがあったが、確かに凄まじい横G(カーブの遠心力)と縦G(振動と揺れ)に9時間も全身耐え続けたのだ。8耐(8時間耐久レース)よりも1時間長い。よくやったと労ってあげてもいいだろう。もうフラフラだ。

屋根上に上げておいたザックを受け取ろうとしてさらに脱力した。案の定土埃にまみれて、元の色が分からなくなるくらいに真っ茶色なのだ。周りのバックパッカーたちも必死になってはたいているが、そんな程度で綺麗になるわけがない。
まあ、全身も土埃まみれなのだから同じことだ。早くゲストハウスにチェックインして、バサバサになった頭から、服もザックも何もかも洗いたい。カメラも掃除せねばならないし、疲れているのに今夜はなかなか寝られそうにないな。


はっきり言おう。ラオスを旅したいなら早く行った方がいい。舗装化などの開発によって今のような原風景が失われてゆくということもあるが、こんな移動ごとに疲れ果てるような旅は、なるべく若いうちにしておいた方がいいに違いないからだ。


数回に渡ったラオスの路線バス旅は、いろんな意味でラオスという国を身近に感じられた。

揺れと振動、固いシートに窓の動かないオンボロバス。屋根上に荷物を満載して横転しそうになりながら山賊の出没する山岳路をブッ飛ばすバスは恐怖で寿命が縮まりそうだったが、通路にプラスチックの椅子を並べて座らせたりハンモックを吊したりする満員バスや、通路や座席の下まで荷物だらけで、しかも乗客を乗せたまんまその荷物や郵便を配達するバスは、バスがラオスの生活を支えているということをよく表していた。
そして運転手のかける大音響の音楽や、道ばたの草むらトイレ、赤ちゃんが泣き出しては運転手が叱ったり周りの乗客があやしたりする光景など、生活の息遣いと乗客乗員全体がまるで運命共同体にでもなったかのような妙な一体感があった。

すべて、カンボジアやベトナムで主に乗っていた、旅行者だけのツーリストバスでは決して味わえなかったものだ。

そしてそんなラオス最後を締めくくるバスは、悪路を延々と9時間も走る土埃まみれのマイクロバスだ。ラオスのバス旅は今回の長い旅の中でも特に記憶に残る、というか、身体が覚えている旅になるだろう。ツーリストバスより疲れはするが、断然楽しい路線バスの旅であった。

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バスの発車までに市場を散策する。ここもムアンシンに負けず劣らず少数民族がたむろしていて、布売りもよく見かける。たぶんタイで買うと高くなるだろうから、ここで押さえておこう。
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境の町・ムアンシンにやってきて3日になる。

もっと滞在したい所だが、残念ながら今日にはルアンナムターに戻り、明日にはタイ国境であるフェイサイに着かなければならない。というのも、ビザが今日を含めてあと3日しか残っていないのだ。ムアンシンのすぐ近くには中国への国境があるのだが、そこは外国人は通過できない。だから、オーバーステイを避ける為にはここから最も近い場所にあるフェイサイ~チェンコンの国境を通ってタイに出国するのが最善の策なのだった。
後ろ髪を引かれる思いで、最後に市場散策とゆく。

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早朝の午前7時前。すでに朝市は盛況だった。他の多くの市場と違って、ここは屋根のない青空市場だ。

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売っている物は、昼の市場とそう変わりはない。ラオス北端で中国も近いだけあって食べ物は中華料理系も多く、旨そうだ。

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付近で採れたらしい新鮮な野菜も多い。我々日本人には、何なのか分からないので買うのには躊躇するが。そこにいるのはアカ族のおばちゃん。

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一昨日、このおばちゃんらにお金を要求されたのだった。しかしお金を渡してまで撮りたいような被写体ではなかったので、遠方からスナップ程度に。

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市場には、布売りのおばちゃんらがずらりと並んでいる。

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なかなか味のあるおばあちゃん。しかし商売はしたたかで、なかなかまけてくれない。

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このおばちゃんのように、黒ターイ(タイダム)族はこの辺りの少数民族の中ではにこやかで絵になる人が多かったような気がする。

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「MuangSing GuestHouse」は、中心街にあって便利。ツイン、インサイドシャワーで25000キープ。中心街と言っても、こんな田舎町だから静かで過ごしやすい。

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約3時間弱でまたルアンナムターへ。バイクツーリングで見た通り、ここも少数民族のるつぼだ。バスターミナルのすぐ近くで、薪(?)を背負って歩くのはランテン族の人たち。
オスの人々は、かなり素朴だ。

少なくともタイ、カンボジア、ベトナムと渡り歩いてきた身にはそう見える。
タイほど文明に毒されておらず、ベトナムほどお金にガツガツしていない。カンボジアと並んで東南アジア最貧国のひとつに数えられているのに、物乞いもいないし、貧しそうに見えない。

しかしながら、いい加減さではこの4国で一番かもしれない。いい意味でも悪い意味でも。


例えば、食堂などに入って注文をする。
すると店員はそこでは一応勘定書らしき紙に書くのだが、食べ終わって代金を払おうとすると、いつの間にか自己申告制になっている場合が多いのだ。客が何を食べたのかを店員に言ってお金を払う。別に店員も勘定書と照らし合わせるわけでもなく、言われるままに金額を出している。

「客が何を注文したか全部憶えとるんや。凄いなー」と最初は思ったのだが、どうやらそうではないらしい。一回だけ野菜炒めを申告し忘れていた、というか申告したつもりが通じていなかったことがあったのだが、結局何も言われなかったのだ。後で妙に安いと気付いたのだが、時既に遅し。払いに戻るは不可能に近い状態だったので「まーええか・・・」となってしまった。言っておくが、故意にゴマかそうとしたのではない。

普通に勘定書を持ってきて金額を言ってくれる店もあったが、金額を間違えていることが時々ある。こんなことはベトナムで多々あったが、ラオスはほとんど金額を「安く」間違えているのが違う。「あれ?計算したより安いな」と思うことが多いのだ。ベトナムではほとんど毎回「お前、絶対わざとやってるやろ!?」と問い詰めたくなるほど金額が上乗せされていただけに、ラオス人の金銭への執着のなさが感じられる。

シーパンドンやここムアンシンのような田舎でも、ビエンチャンやルアンパバーン(ルアンプラバン)のような都会でもそんな様子なので、これは国民性なのだろう。ベトナム人が旅行者に「いい人たちなんだけどねー、金さえ絡まなければ・・・」と言われるのとは対照的だ。

あと、物への執着も多分ない。

シーパンドンのコテージに隣接していたレストランで朝食をとって、戻ろうとした時だ。
入り口に脱いで置いておいた筈の、連れのサンダルがない。安物のビーチサンダルだが、なくなると困るのだ。横のハンモックで子供と遊んでいた店のおばちゃんに訊こうとすると・・・アンタの仕業やったんか!

おばちゃんに言うとすぐさま謝ってきて自分の物らしいサンダルに履き替えた。しかしそれを見ると同じようなビーチサンダルだが、色が全然違う。何で間違えるのだ?

その後別のレストランで夕食を取った時も、また同じように連れのサンダルが行方不明になった。その店の人や客に「アンタのどれ?」と訊いてみた結果、残ったのはやはり似ても似つかぬサンダルだ。しかし履いていたのより少し造りが上質で、ひょっとしたら高い物かも知れない。履き心地も前のよりいいと言うことで、結局それを頂戴することにした。
帰る途中、レストランの娘とすれ違って軽く挨拶を交わした。彼女の足元を見ると・・・今度はオマエか!

また言おうとしたが、今履いている物の方がいいので黙っておいた。恐らく、みんなサンダルなど似たようなものなら共同使用しているという感覚なのだろう。そう考えると、このサンダルも元々誰の物なのか分からなくなるのだが。


バンビエン(ワンウィエン)では大雨が降っていたので、傘を差してレストランに出掛けた。
で、傘立てがなかったので隅の一角に置いておいたのだが、気がつくとレストランの従業員(家族なのだが)が客席と厨房との往復に使い始めているではないか。勿論彼らの傘もあったのだが、それと一緒くたに使われている。

自分らのがあんのやったらそれ使えや!と言いたくもなったが、彼らのことだ。悪気は全くないに違いない。単に自分に近いところに置いてあった傘を手に取って差しているだけなのだ。見ていてもそうらしい。
そのうち私の傘を差して店の外にも出掛け始めた。おいおい、それはちょっと・・・。ちゃんと返してくれるんやろな?サンダルの時みたいに、違う傘になって戻ってくるんではあるまいな?

結局ちゃんと私の傘が手元に戻ってきたのだが、まあ適当というかいい加減というか・・・。


「ドラえもん」のジャイアンの決まり文句は「人の物はオレの物、オレの物はオレの物!」だったが、こちらでは「人の物はオレの物」されど「オレの物も人の物」と言う感覚なのだろう。

ほかにも、食事を注文すると、隣の店から材料を借りてきて作り始めたこともあったし、逆に材料を持って行って隣で調理して出してきた時もあった。またある店で、探していたTシャツを置いていないか訊くとおばちゃんが「ウチにはないけど、隣にはあるよ」とその店に走っていって交渉を始めることもあった。
町全体があたかも下町の長屋のようだ。「ちょっとあれ貸して」「ちょっと使っといてええ?」とかいうやりとりが恐らく日常茶飯事なのだ。


最近は日本も長屋が少なくなり、私の住んでいるような下町でも、隣同士で物の貸し借りをすることなどほとんどなくなった。日本では物に不自由しなくなったからだ。そして自分の物にも名前を書くなどしてちゃんと管理している。

いいことだろうが、何だかドライに感じるのは気のせいだろうか。

その「自分の物は自分で管理する」という感覚が「自分の物さえ管理しておけばいい」になって、他人の物や共同の物をぞんざいに扱うようになっている。物だけでなく、自分の子供だけを可愛がって他人の子供には無関心な親も増えている。自分のテリトリーの外に存在するもの全てへの関心が薄れてきている。それが今の日本の姿なのだと思う。

そう考えるとラオス人はいい加減だが、裏を返せば大らかで、助け合いの精神が失われてないなー、と改めて感じるのだ。


今日も宿のテラスで、サワンナケートで買った「蚊退治ラケット」で遊んでいると、宿の娘が「ちょっと貸して!」と当たり前のように持って行ってしまった。そして自分の家の蚊を追いかけ回している。

まあええやろう。これも助け合いである。ちゃんと返してくれさえすればな。
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この衣装は黒ターイ(タイダム)族。家にお邪魔させてもらう。布を買うということもあって入らせてもらえたのかもしれないが、それほどこれ買えあれ買えとも押し付けず、終始にこやかに穏やかに接してくれた。その前に行った別民族の集落では凄まじいほどの押し売り攻撃に遭っただけに、印象に残った。果たしてこの差は民族性の違いなのか、それとも観光客擦れの程度なのか・・・。


本は、単一民族国家だ。


正確に言えばアイヌ民族や、太平洋戦争時に日本に連れて来られた朝鮮半島の人たちもいる。南西諸島の人たちもルーツは異なるらしい。単一民族と言うのにはやや語弊があるが、一応はそういうことになっているようだ。
だから、町なかでチマ・チョゴリなどの民族衣装を見かける機会などほとんど無いし、仮に見かけたとしてもそれが自国に存在している文化だとは簡単に認識できないだろう。島国だという閉鎖性がそうさせているのかもしれない。

対して海に面していないラオスは、超がつくほどの多民族国家だ。流入してきたベトナム系や中国系も含めると実に百以上の民族がひしめき、それぞれが独自の文化を堅持している。


昨日ルアンナムターからソンテウに乗り、ラオス北部、中国との辺境に位置する小さな町ムアンシンにやってきた。

町の周りには山岳少数民族の集落が点在していて、町なかでも様々な民族衣装を目にすることができるという。銀色のアクセサリーがいっぱいついた帽子を常にかぶっているアカ族、藍染めのシンプルな衣装を着て、大人の女性は眉を剃り落としているランテン族、髪の毛を頭の上に巻き上げているタイ・ダム族など、ソンテウを降りて宿までの道を歩いている間にも見つけることができた。朝の市場にでも行けば、買い出しに来ているたくさんの少数民族と出くわすことができるだろう。


写真を撮りまくっている私にとって格好の被写体だらけの筈のムアンシンだが、ちょっと心配事と言うべきか、引っかかっていることがあった。
ここ最近、観光客のマナーが問題になっているという。民族衣装を着た人たちに無遠慮にカメラを向けたり、生活圏の中に土足で踏み込むような真似をしたりして、かなりひんしゅくを買っているそうなのだ。

確かに自分たちがもし「大阪人という民族はお好み焼きという食物と阪神タイガースという野球のチームをこよなく愛し、事あるごとに民族衣装であるそのチームのユニフォームを着て、道頓堀という川で沐浴するのを習慣としている」などとロンリー・プラネットで紹介されていて、外国人から「オー、ハンシン、キテ、ドウトンボリ、オヨイデ、クレマセンカ?」などと珍しげにカメラを向けられるのは気分のいいものではない。ましてや家の中に入られるようなことがあっては腹も立つだろう。

何かトラブルにでもなるとコトだし、私もそこまでして写真を撮るのは気が引ける。されど、虎穴に入らずんば虎児を得ず。そんなことを気にし過ぎてはいい写真も撮れないという意見もあって難しいところである。十年ほど前に世界中で物議を醸した「衰弱した少女を狙うハゲタカ」の写真ほどの問題ではないが、「撮るべきか、相手を尊重すべきか」という悩みは尽きない。

あ~、せめて現地語が喋れたら「ちょっと撮らしてもうてええ?いや~、ねえちゃん美人やから、日本帰ったらファッション誌に紹介しよう思て。ギャラ?勘弁してーな」くらいに冗談も交えて友好的交渉ができるんやけど・・・おれって結構小心もんかもしれんなあ・・・こらナンパするくらいの心構えで行かねば。


宿に長いこと滞在している日本人の女性が、近くにある少数民族の村へ布を買いに行くというのでついて行くことにした。

カメラを構えた外国人と見るや即座に嫌な顔をされるのではないかと最初は思っていたが、とりあえず「写真を撮っていいか?」という言葉は分からないのでカメラを指さして笑いかける。すると、それを見て周りから子供たちが次々に集まってくるではないか。で、取り終わったデジカメ画面を見せると大喜びで、僕も、私も、という勢いだ。そのうち普段の服装で家事をしていた周りの大人までもが、撮ってくれと民族衣装に着替えてきたりもして、こちらの方が戸惑ってしまう。無遠慮にカメラを向けるまでもなく、向こうの方が乗り気なのだ。

もちろん全員そういうわけではなく、中には恥ずかしがって奥に引っ込んだり、手を振って断ったりする人もいたが、それほど嫌がられることもなかった。授業中の小学校にもお邪魔したのだが、先生も「どこから来たんだ?」という具合に友好的に接してくれた。布売りの人たちに囲まれることもあって閉口したが、案外これなら簡単に撮影できるかも知れない。


しかし、順調に進んだのはここだけだった。後は観光客に晒され続けた結果のムアンシンを目の当たりにすることになる。


翌日、早起きして朝市に行ってみた。

朝市は予想通り少数民族が集まってきていた。しかし、やはりというか、民族衣装フル装備の人たちは少ない。そりゃそうだ。Tシャツと巻きスカートの方が生活に便利なのは間違いないのだから。その中でも比較的民族衣装で固めているおばちゃんたちにカメラを向ける。すると「○△×ー!」と、親指と人差し指で輪を作って差し出してきた。どうやら「私らを撮るならお金をくれ」と言っているらしいのだ。

何だか「萎え~」だ。外国人たちは気前よく金を渡しているのかもしれないが、アンタら、ひょっとしたら観光客から金もらうためにわざわざ衣装を着てるんとちゃうか?どこぞのアイドルが「事務所を通して下さい」言うてるんやあるまいし、欲張りにも程がある!誰が撮ったるかいボケ!

しかしそうなると、なかなか絵になる人がいない。店のおばちゃんたちは、物を買うついでにカメラを向けると気前よく撮らせてくれたが、一般の通行人はそうはいかないようだ。

フル装備のアカ族の若いお姉ちゃんが歩いていたので頼むと、少し困ったような顔をして手を振った。やはりダメか。絵になったので、いっそのことお金を渡して納得させようとも思ったが、やはりそれは気が進まぬ。いろんな雑誌やホームページなどに載っている写真も、みんなお金を渡して撮らせてもらっているのだろうか?こちらも仕事として撮る必要があるのなら割り切れるのだが・・・。

宿の前で喋っていると、赤いマフラーのような布を巻いたヤオ族の若い女性が通りかかった。ヤオ族の人を見るのは初めてだ。急いでカメラを持って向かい、カメラを指さして笑いかける。向こうもニッコリ笑ったのでOKかと思うと、そのまま「ダメダメ」と言わんばかりに手を振り、舌を出してアッカンベーをしてきたのであった。
思わず苦笑した。お金などを要求されると気分も悪いが、これなら「まあ、しゃあないなー」と思ってしまう。

どうやら少数民族の人たちもみんな、完全に観光客のあしらい方を身につけているらしい。こっちが遠慮するまでもなく、あっちの方が一枚も二枚も上手だった。残念!いい絵を撮り損ねたわい。


いろいろな反応を見せられたが、中でもお金を要求されたことがずっと引っかかっていた。ただ、これも考えようかも知れない。


民族衣装というものは今やどこの国でも衰退しつつある。特に山岳民族のそれは凝った刺繍や飾り物がついていて、日常生活には不便だろう。日本の和服も同じだ。一人で着るのは至難の業だし、汚れなどにも気を遣う。だいいち、町なかを歩いていても和服姿を見かけることなどほとんどない。

しかし、日本観光に来た外国人に、その姿を一回も見ずに帰ってしまっている人がかなりいるとしたら、これは我々日本人にしても残念なことじゃないだろうか。折角はるばる来てくれたのに、日本の誇るべき大切な民族衣装に触れてもらえなかったということなのだから。

それならば、たとえ手を加えたり再現したりしてもいい。和服姿の人がいる風景がもっとあったらと思うのだ。それが日本の伝統を維持してゆくということにもつながるのではないか。また、私がもし日本を訪れた外国人だったとしたら、多少お金は払っても、多少作り物だったとしても、全く見られないよりはマシだと思うだろう。

伝統を維持してゆくのには努力が必要だ。そう考えると、たとえあのアカ族のおばちゃんにお金を渡したとしても、それで民族衣装を着続けてくれるのなら納得してもいいのではないか。民族伝統の維持と、民族衣装の人たちがたむろするというムアンシンの景観保持に役立っていると思えば、腹も立つまい。


カンボジアのアンコール遺跡で観光案内をしてきた少年たちにチップを渡したこともあったな。目の前のモヤモヤが晴れてくるような気がした。

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別な民族の村へ。ここは、みんな写真を撮られることには好意的で、子供から大人まで、撮ってくれとばかりに集まってくる。しかしお金を要求されることも、布を売りつけられることもなかった。

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のルアンナムターものんびりしていていい雰囲気だったが、ここからバスで3時間の所にあるムアンシンという町に行くのがそもそも北上してきた目的だった。どうせムアンシンから、この後に向かうタイ国境のフェイサイまで行くにはここに戻ってこなければならない。なら長居をするのはムアンシンから戻ってきてからでいい。

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宿のすぐ目の前にはバスターミナルが。ムアンシンまで向かうのはバスではなくソンテウだという。時刻表を見ると1日に6本も出ているので、急ぐことはない。昼12時に出るやつに乗ろう。

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思わず撮ってしまったトラック。むき出しのエンジンとベルトが何ともスパルタン。

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「Keosouphone GuestHouse」は、バスターミナルや市場のすぐ前にあるのですごく便利。1階は食堂になっているが、ここも含めルアンナムターには中国系の人がやっているレストランが多い。そのせいか、メニューも中華料理が多く、しかも旨い。

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ソンテウに揺られて3時間弱、国境の町ムアンシンに着いた。降ろされたのはマーケット横の空き地。ここまで来るとバスターミナルのような大がかりな設備もないのだろう。ちなみにこの道路を進むと、程なくして中国との国境に行き当たる。
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バイクは小型だが、それでも最高の気分。


ー、バイクに乗りたい!

旅に出てから3ヶ月が過ぎ、そろそろ禁断症状が出始めていた。ハーレーやBMWとは言わん。スクーターでも、カブでもええ。とにかく走りたい。


私は日本国内では、冬場を除いてもっぱら250ccのオフロードバイクで旅をしている。

鉄道や公共交通機関では常に時刻表とにらめっこしながら予定を立てなければならず、行動範囲も限られるからだ。
かといって自動車は小回りが利かないし、ひとたび渋滞に捕まるとひたすら我慢の連続になる。大学時代は自転車にキャンプ道具を積みこんで走ったものだが、この歳になると悲しいことに向かい風や果てしなく続く坂道に立ち向かってゆく体力と根性もない。

苦労と費用と行動範囲と得られるモノとを秤に掛けて、一番バランスのとれた移動手段がバイクなのだと思う。

長時間走ればケツと股間の感覚がなくなるし、雨の日は危険な上にひたすら不快感と闘わなければならない苦労もあるが、何よりも、晴れた日に風を切って走る快感、風景と一体になれたかのような感覚も、バイクならではだろう。

アジアの各国は、まさにバイク天国だ。道には自動車よりも遙かに多いバイクが行き交っている。

しかし、いざそれを借りるとなるとどうもレンタバイク屋の数が少なく、結局どこの国でも乗っていない。そもそも、ほとんどの観光はレンタサイクルやツアーで事足りて、わざわざバイクを使うまでもないのだから。
そしてこちらの交通マナーのひどさも思い知らされていたので、バンコクやビエンチャンのような交通量の多い都会では、怪我したら?保険はあるのか?警察や医療機関は大丈夫か?などと考えると怖くて乗る気にならなかった。せっかく国際免許も取ってきたのに勿体ない話だ。


さて、ここルアンナムターにはレンタルバイク屋が2軒あるという。交通量も少ない田舎町だから安全だろう。付近の少数民族の村を訪れるのにも便利だし、久々に乗ってみるとするか。

まず一軒目に行って品定めをする。1日5ドル。1台だけ残っていたのは東南アジアでおなじみのホンダ・ドリームⅡ110。ホンダが世界に誇るスーパーカブの兄貴分だ。ところがその絶大な信頼性を否定するかのように、何とリアブレーキがスカスカではないか。おいおい、滅多に壊れんカブでもこの有様か。どんな整備をしとるんだ?

渋っていると店の兄ちゃんが「修理してくる」と言ってどこかへ乗って行ってしまったが、んなもん待ってられるかい。次の店へ行こう。


二軒目は「LIFAN」と「LONCIN」とかいう聞いたことがないメーカーの110ccが1台ずつ。片方は今度はフロントブレーキがスカスカだ。全く効かない。店の兄ちゃんはニコニコしながら「ボー・ペンニャン(ラオス語でノー・プロブレム)!」と繰り返すのだが、どこがやねん!ペンニャンあり過ぎやがな!こんな砂の浮いた道でリアブレーキだけ使うたらすぐロックして転けるやないか!

もう片方も外装があちこち割れていて、かなりくたびれている。何となく不安だ。しかもこの店は1日6ドルで頑として下げない。隣は5ドル言うとるで!ホンダより安もん(多分)やのに何で高いねん!そんなん誰が借りたるかボケ!

交渉決裂。たった1ドルのために一軒目に戻る。でも修理終わってるやろか・・・。


さっきの兄ちゃんが「見て見て!」とばかりにブレーキペダルを踏んで見せる。さっきから10分くらいしか経っていないのに、もう直っとるやないか!何ちゅう早業!よっしゃこれに決めた!と喜び勇んで燈火類をチェック。左後ろのウインカーが点かないが、そのくらいはボーペンニャンだ。しかしホンマにレンタル専用車か?いつもの足に使ってるんがたまたま空いてただけとちゃうんかい?

あれ?車体のステッカーは「HONDA DreamⅡ」なのに、よく見るとエンジンの刻印は「LIFAN」だ。何じゃこりゃ?

ハハァ・・・タイからベトナム、ラオスまで、バイク屋ではよく車体に貼るステッカーを売っとったが、この為やったんか・・・。日本でも、車にステッカーやオプションパーツをやたらゴテゴテと貼り付けたがる輩がいるが、見栄の張り方はどこの国でも似たようなものだな。

それにしても本家のドリームⅡにそっくりやなあ。これもどこぞの国によるコピー商品だろうか?本田宗一郎さん、カブが世界中でコピーされてる現状をどない思います?


ヘルメットの貸し出しはなかった。もっとも、ラオスでは9割くらいは被っていないように思う。着用義務もないのだろう。いつもならノーヘル運転は怖くてしょうがないが、どうせスピードも出ないし、時速40キロくらいでのんびり行こう。

また、すぐにガソリンを入れてくれと言う。確かにメーターは下に振り切っているので、こちらでは満タンにして返すなどという決まりはないらしい。いかにもラオスだ。すぐそばのガススタまで行き、どうせ燃費はいいので5000キープ分だけ入れる。ちなみにリッター68円と、こちらの所得水準からすればかなり高い。

やっと準備は整った。恐る恐る走り出す。以前カブの50に乗っていたので自動クラッチやロータリー式変速には慣れているのだが、やはり道が怖く感じる。何と言ってもここは日本と違って右側通行なのだから。

ちなみにタイは左側通行だ。なぜ隣り合った、言葉もある程度通じる国で通行方向が違うのかと思ったが、これはラオスやカンボジア、ベトナムがフランスの植民地だったことと関係がありそうだ。フランスや欧米諸国は、イギリスを除いて右側通行なのだから。タイはどの国の支配も受けなかったので、左側通行のままなのだろう。

余談ながら、通行方向に応じて自動車は右ハンドル左ハンドルの区別があるのに、何故バイクや自転車のスタンドは左にしかついていないのだ?

右側通行の道では、必然的にバイクより車道側にまわって乗り降りしなければならない。これは危険だ。自動車のハンドルが常にセンターライン側なのは死角の少なさなどから当然だと思うが、それと同様に、常に歩道側から乗り降りできるよう右側スタンドのバイクや自転車を作ろうと思った奴はおらんのか?


そんなどうでもいいことを考えながら、田んぼの中を抜けるダート道を走ってゆく。交通量も少なく、時々同じようにのんびり走っているバイクとすれ違うくらいだ。

今日は快晴。おかげでとんでもなく暑いが、気持ちがいい。周りの景色はどこまでも広がる田んぼ、ぽつぽつと建っている高床式の家、低い山々。川では子供らが水遊びをしているし、道にはシンを巻いたお姉ちゃんやおばちゃんに混じって牛や、雛を従えた鶏がのんびり歩いている。ここまで牧歌的な風景は北海道でも見たことがない。

たまに自動車やトラックがすさまじい土埃を上げてゆくが、都会で排気ガスにまみれるより数段ましだ。ここ数年で急速に舗装が進んだとはいえ、主要道路以外はまだダート道だらけなのだから。

どうもさっきから、すれ違う人たちがこちらをじろじろ見る。おかしいな。欧米人と違って日本人は顔立ちも背格好も現地人に近いのに、なんで観光客やと分かるのだ?それにルナンナムターは北部の中継地点で、観光客だって珍しくはない筈なのに。要はバイクで観光する物好きはおらんと言うことか。この程度の大きさの町を見て回るには一番適していると思うのだが。

途中、ランテン族という少数民族の村を通った。こちらの女性は15歳以上になると眉毛を剃るということで、ちょっと顔が怖くもあるが、すれ違おうとするとにこやかに道を空けてくれる。藍染めの衣装も素敵である。

よく見れば、2歳くらいの男の子が庭でしゃがんでウンコをしていた。日本ならまだ親の助けなしではできない年頃だが、こちらの子はオムツなど履かず下半身スッポンポンで走り回っているせいか、そのへんは自立しているようだ。なかなか面白い、村の一コマだった。


夕方6時まで走り回って、バイクを返した。

結局、心配していた故障やトラブルは起きなかったが、それと紙一重であるラオスのバイク事情を実感した。まともに整備もされず、とりあえず走れるという状態で人や物を運び、健気にもラオスの生活に貢献しているのだ。乗る人も、やたらと修理するよりそのバイクに調子に合わせた運転をするのだという。日本のちゃんと整備されてピカピカに磨かれて走っているバイクの何と幸せなことよ・・・。


ヘルメットがないせいもあってのんびり行脚だったが、おかげで景色や集落の生活を感じることが出来て満足だった。

そう言えば250ccに乗るようになってからはパワーがあるので、のんびりのつもりでも意外とスピードが速く、見過ごしていたものも多かったのではないか。学生時代の自転車ツーリングで味わった、周りの景色との一体感を思い出したような気がする。

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集落の中を通ると、人たちの生活に触れることが出来る。小さいバイクならではの醍醐味。

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よいよルアンパバーン(ルアンプラバン)ともお別れだ。

次の目的地、ルアンナムターへは、まずその途中のウドムサイまでバスで行き、そこから乗り継ぐことになる。そしてそのウドムサイ行きのバスは、朝7時に町外れのバスターミナルから出るのだ。

ラオスでバス移動する時は決まって早朝出発になる。都市間のバスは近距離でも1日に多くて4~5本、遠距離になれば朝の1本だけという場合もあるし、その長距離をスピードの出ないオンボロバスで行くからそうなるのだが、夜型人間の私には少しつらい。

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長いことお世話になった「ColdRiver GuestHouse」は居心地も良かったし、オーナーご夫婦、娘姉妹にもいろいろと楽しませてもらった。ほとんど日本人宿と言っていいくらい日本人が多いので、好みは分かれるかもしれないが、友達が増えることは請け合いだ。この部屋は8ドル(ピーマイ・ラオ中は12ドル)とちょっと高いが、インサイドシャワーだし、ゲストハウス離れしたデラックスさ。

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オーナー氏。ちょっとのんびりした癒し系。奥さんがしっかりと要所を締めているような気がするが、このオーナーの人柄で戻ってくるリピーターも多いと思う。

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トゥクトゥクをつかまえて、町外れのバスターミナルへ。待っていたのはマイクロバス。北に行くにつれ、バスが小型になってゆくような気がする。早朝なのに、バスやソンテウが出発準備に忙しく、活気に満ちていた。

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7時過ぎに出発したバスは、快調に山道を飛ばす。追い抜いたトラックは、日本でもおなじみの某通運!さすがラオス支社を設立しているだけのことはあるって、うそうそ。日本で使い古されたトラックがここには数多く輸入されて、第二の人生を送っている。塗装がそのままなのは、塗り替える費用がもったいないのと、この塗装が日本で大事に使われていた証になるからなのだそうな。ただし、それでもハンドルは左に改造されている。

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途中からもどんどん現地の人が乗ってきた。椅子だけでは済まずに、およそ人の座れる所は満席になる。

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バスは重要な交通手段であると同時に、重要な運送手段でもある。機動力を生かして、小荷物や書類の配達もする。もちろん客も悠々たるものだ。

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6時間弱で、ウドムサイのバスターミナルに着いた。中国が近いことを実感するのはバスの上に掲げられた行き先票で、ラオ語と英語の間に大きく中国語が書かれている。ちなみにルアンナムターは「南塔」だ。それは何とか理解できるとして、ルアンパバーンは「琅勃拉邦」で、ビエンチャンに至っては「万象」。んなもん分かるかい!えらいこじつけやなあ。英語表記があって良かった。

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昼食を食べに入ったバスターミナル横の食堂に、交通安全ポスターが貼られていた。どこの国でも、交通安全の内容は似たようなものだ。

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日も沈みかけた夕刻、最後のトイレ休憩を取る。ルアンナムターまでの長い道のりももうすぐ終わりだ。
りは終わった。

そろそろこのルアンパバーン(ルアンプラバン)に満足しつつあることに気付いた。考えてみればここには結局2週間近くいたことになるな。あまり長く滞在し過ぎて飽きてしまうより、次に来る時の楽しみは残しておいた方がいい。

北へ向かうバスは明日早朝に出るとのこと。最後に近辺をブラブラしてみた。

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やはりこのルアンパバーンは托鉢の風景がよく似合う。ここに来たら、早起きして見に行くだけの価値はあると思う。

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ちょっと中身を見てみたい気もする。しかしいくら沢山喜捨してもらっても、戒律では昼12時を過ぎたら食べ物は口にしてはいけないという。こんな食べ盛りの少年が午後から飲み物だけでは正直つらいだろう。まあそれが修行と言えばそうなのだが。

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午後からは、ちょっと離れたところにあるが水が綺麗だというクアンシーの滝へ行ってみることにした。ソンテウで1時間弱。滝が近づくとエレファントライドをやっているのが見えた。え~な~。ちなみに私はまだ乗ってみたことがないので、いつかは。

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クアンシーの滝は、エメラルドグリーンの水が降り注いでいた。お~、しばらくメコンの泥水しか見ていなかっただけに、この色は感動もんだ。

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滝の上までも山道が続いていて、そんなにハードではない。一面のジャングルが見渡せる。

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ゲストハウスから一緒に来たアメリカ人氏と。日本人ではありません。

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同じくエメラルドグリーンの水をたたえた滝壺では、何人かの欧米人が泳いだり休んでいたりした。休日には地元の人たちで賑わうのだろう。この暑さでは私も泳ぎたかった!が、水着を忘れた・・・。

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宿に帰ると、夜からみんなでお祈りに出かけるという。夕食を取って、近くのワット・マイに出かけると、そこはお祈りを捧げる人たちで大混雑。

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ゲストハウス姉妹の妹「NUNU」も、一張羅に身を包んでいた。

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中央に鎮座している仏像の上には、左右両側についている雨樋のようなパイプから聖水が注がれている。

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NUNUと一緒に聖水を注ぐ。

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一角には、僧侶の相談所みたいなものがあった。
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これでも実は現金輸送中。警戒っちゅう言葉を知らんのかいな?

日、資金を下ろしに銀行に出掛けた。


海外渡航先で現地通貨を調達する手段はいろいろある。現金やトラベラーズチェック(T/C)を持って行って、その都度両替する方法、クレジットカードでのキャッシュアドバンス(キャッシング)、銀行で国際キャッシュカードを作ってもらい、預金から現地通貨として引き出す方法などだ。

これらにはそれぞれ一長一短がある。現金は盗難に遭ったら終わりだが、手軽で両替の手数料が安いし、国境近くなどでは両替しなくとも払える場合がある。T/Cは国によって、どの通貨から両替するかで両替時の手数料が大幅に違ってくる(ドルT/Cからは安いが円T/Cからは高い、など)面倒臭さがあるが、盗難に遭っても再発行が利く。クレジットカードのキャッシングは引き落とし日まで金利がかかるが、通用する窓口は銀行や両替所やATMなど多い。国際キャッシュカードは通用する窓口が少ない(国によっては全く無い)が、金利の心配がない。

いろんな手段を用意しておいて、国の発展度合や治安によって使い分ける必要が出てくるのだ。


今回はクレジットカードでのキャッシングで。そうなると下手な両替所ではスキミングなどの危険がありそうなので、何となく安全そうな銀行で替えることにしたのだった。


カードを窓口に出し、書類を書いてパスポートを提出する。下ろすのは日本円にして2万円ほどだが、しばらくして窓口のおばちゃんが持ってきたのは、なんとゴミ袋のような黒いビニール袋に詰められた札束であった。

まず札束だが、これは1円=約100キープ(ラオス通貨Kip)という為替レートと、ラオスの通貨では2万キープ札が最高額紙幣だということが原因だ。
おかげで2万円は200万キープというとんでもない額になり、しかも2万キープ札では高額すぎて使いづらいので1万キープ札にしてもらったのもあって、200枚もの札束を受け取ることになってしまったのである。あ~これが全部1万円札やったらええんやけどなあ・・・。

また、銀行で現金がクシャクシャのビニール袋から出てくるという、日本ではあり得ない光景だが、これはもちろんゴミに見せかけるなどといった防犯対策ではないようだ。キープという通貨の価値の低さを表しているのだろう。

例えば、タイのバーツは国外でも両替してもらえるが、カンボジアのリエル、ベトナムのドン、ラオスのキープは国外に出れば紙屑同然で相手にしてもらえない。外貨を獲得できる輸出物が少ないせいで国の力が弱いし、歴史的にも価値が不安定だということがあるからだ。キープなどは過去、僅か2週間のうちに価値が半分に下落したこともあったくらいなのだ。もし2週間のうちに1ドルが200円になったらどうなるだろう。間違いなくパニックが起こる。

そういうこともあって国民も自国の通貨を全く信用しておらず、お金が貯まったら宝石や金など価値の変動しにくい物か、自動車やバイクなどの生産財に替えてしまうのだという。日本のように安心して貯金できるのは、一部の恵まれた国だけなのだ。


さて、200枚もの札束に感激している場合ではない。海外ではよくこのレートの違いやゼロの多さで日本人が混乱することにつけ込んだ誤魔化しが行われると聞く。受け取ったその場で数を数えなければ危険だ。

ゼロの数を確認しながら10枚ずつ分けてゆく。すると1万キープ足りない。何回勘定し直しても、やはり1枚足りないのだ。そこで窓口のおばちゃんに見せながら10枚ずつ「One,Two,Three,Four・・・・」を数え、最後の束を見せて「・・・Nine!」と言うと、自分では数えもせず「あっ、そ」とばかりにすぐ1万キープ札を出してきたのであった。

おいおい、誤魔化しの常習国ベトナムみたいにわざと1枚抜いておいたのではないだろうが、自分で数えんで大丈夫なんか!?もしこっちが嘘言うてたらどないすんねん!?ラオス国民のいい加減さもわかるが、銀行までいい加減では困るやろが。
恐らくラオスの銀行では、日本のように1円の計算違いで何時間も残業することなどあり得ないのであろう。


ともかくトラブルにならなかったのが幸いだ。分厚い札束を何とか貴重品ベルトにしまい込み、銀行を出た。
すると、またしても信じられん光景を目の当たりにしてしまったのであった。


銀行の前の道路に白いワンボックス車が停まっていて、そこから2人の平服の兄ちゃんがワッセワッセと重そうなボストンバッグを銀行に運び入れていった。しかしそのバッグは上のジッパーが開いていて、よく見るとそこから1万キープ札の束がいくつもはみ出しているではないか!実は現金輸送中だったのだ。

日本なら頑丈そうな現金輸送車で、銀行に運び入れる時など常に警棒と防弾チョッキで武装した警備員が周りを見張っているというのに、あろうことかここでは警戒さえしていない。おまけにワンボックス車は兄ちゃんたちが銀行に入っている間も無人のまま置き去りで、スモークもしていない窓ガラスからは車内に積み上げられた札束が丸見えだ。

なんぼラオスの人々が温厚だとは言っても、国民全員が全員そうではあるまい。ここでもし兄ちゃんにナイフや拳銃を突きつければ、そうしなくともこのワンボックス車のガラスを割れば、いとも簡単にラオス平均年収の数倍は手にできるのである。よくこんな体制で今まで何もなかった(あったのかもしれないが)なあ。

また札束のはみ出たボストンバッグを運んでいる兄ちゃんに近づいてカメラを向けると、ニッカーと笑って札束がよく見えるようにポーズを取ってくれた。おいおい、笑うてる場合か!


ラオス人の人柄、ラオスの治安、ラオスの通貨価値、ラオスが抱える問題などなどを垣間見たような気がした。ものの15分くらいの間だったが・・・。

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中央が「現金輸送車」。何の変哲もないワンボックス車で、窓もスモークすらかかっていない。まさかこれで防弾ガラス+防犯装置完備ではあるまいな。

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まったく隙だらけの様子で、銀行に入っていった。

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その後は近くのワットへ。新年はとうに迎えているが、まだ行事が行われていた。

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謎の子供たち。片手に持っているのはゲームの箱だった。袋の中身は何だろう?ペットボトルか空き缶の回収か?見せてもらいたかったが、足早に去っていった。
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