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イの旅から帰ってきて3週間。
写真整理がようやく済んで、さあブログにアップしていくべと思っていた時だ。衝撃的というべきか、しかし心の奥底では「やっぱりな」とも思ってしまうニュースが耳に入ってきた。

タイ南部の町・ラノーンの近郊で、冷蔵コンテナでタイに密入国しようとしたミャンマー人121人が発見されて、そのうち54人が窒息死していたという。死者の中には10歳前後の子供もいたらしい。密入国ゆえ狭いコンテナにすし詰めにされ、タイの一大リゾートであるプーケットに向かう途中の悲劇だった。

痛ましいし、何ともやりきれない。

タイ・ラノーンのイミグレで

上の写真は、2月末にそのラノーンのイミグレーションで出くわした光景だ。いきなり連行されてきたこの人たちは、手錠で数珠繋ぎにされている。そしてこの後、鉄格子で仕切られた2階に押し込まれていったのだった。
イミグレの駐車場には、鉄のカゴのような護送車。さっきの人たちは、ビルマ(ミャンマー)からの密入国者だったのだ・・・。

ラノーンの町は、ミャンマーの港町・コートーンと面している。町の中にはビルマ語の看板も目立ち、タナッカー(日焼け止めクリーム)を頬に塗ったお姉ちゃんや、ロンジー(巻きスカート)を履いた男の人もよく見かける。国境の渡し船ではひっきりなしにタイ人やミャンマー人が行き交い、対岸のコートーンは汚く貧しいながらも活気に満ちていた。人々の表情も、軍の圧政など微塵も感じさせないほど明るかったというのに。

しかしこんな事件を聞くと、そんな町の様子などタイに面した豊かな国境だけの話で、外国人の来ないような奥地に踏み込めばそこに国境とは比較にならないくらいの貧困、強制労働や虐殺など、目を覆いたくなる光景が繰り広げられているのではないかと思う。自分がコートーンやタチレク(タイ最北端のメーサイと面している)の町で見たものは何だったのだろうか。

コンテナの中でタイの地を踏むことなく息絶えていった人たち。生きるためには危険を冒してでも国外へ逃れなくてはならないミャンマーの現実、それにつけ込んでいるだろう密入国ブローカーの暗躍、それらに頼っている面もあるタイの現実。そしてそこからそう離れていないチベット・ラサでの暴動と中国の圧政・・・。思いを巡らせるほど理不尽な世界に腹が立つが、同時に、平和ながら最近訳の分からない殺人事件が多発している日本の闇も感じずにはいられない。

タオ島でダイビングをした時、スタッフの中に陽気なミャンマー人がいた。彼は正規の就労者だったが、今頃この祖国と同胞の悲劇に何を思っているだろう。察するに余りある。
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ビルマ男性の特徴的な衣装がこの巻きスカート「ロンジー」だ。


ルマという国名が世界地図から消えて久しい。

私の高校時代の世界地図にも、確かビルマ、首都はラングーンを記されていた。それがいつの間にやらミャンマー連邦、首都はヤンゴンになっているではないか。正確に言えば、そうなったのは1989年のことだ。

おまけに旅行情報誌でこの国の記事をめっきり見かけなくなった。アウン・サン・スー・チー女史の拘束など軍事政権による不安定な政情や、外国人の旅行を制限するような政策によって旅がしづらくなったのが原因だという。
4週間のビザは下りるものの、入国は基本的にヤンゴンからの空路のみ。200米ドルをF.E.Cという外国人用通貨に両替せねば入国できない、強制両替という面倒臭いルールもつい最近まであったのだ。


私は昨日ラオスを後にし、タイのチェンコンへ。そしてミャンマーと接している国境の一つ、メーサイまでバスを乗り継いできたのだった。その目的は、他ならぬミャンマーへの入国だ。

空路でヤンゴンからしか入国できない筈のミャンマーだが、実はメーサイ~タチレクなど3カ所の国境に限って、条件付きながら陸路でも入国できる。
ただしその条件とは、入国できるのは1日だけで2日以上の滞在は不可、行動が許可されている範囲は町内だけ、パスポートをイミグレに預けなければならないことなど。面倒臭いと言えば面倒臭いが、例外的に陸路から「一日入国」できるのだ。


メーサイはタイ最北端の地だ。

日本最北端の宗谷岬には、荒れるオホーツク海と遙か彼方に浮かぶサハリンという演歌のような風景が広がっているのだが、ここメーサイにはそんな湿っぽい情緒は一切無い。

よく見ると小さく地味な「タイ最北端の碑」が商店街に埋もれるように立っていて、横を流れるドブのような細い川を挟んでタチレクだ。走り幅跳びの選手なら楽々飛び越えられる距離ではないか。
商店街は観光客や買い出しに来るミャンマー人でごった返し、町なかにはタイの車に混じって黒いナンバーをつけたミャンマー国籍の車やバイクが走り回っているという、活気に満ちた最北端、そして国境だ。


まずはタイ側イミグレでいつも通り出国手続きをする。終われば例の小川に架かる橋を渡り、ものの100mくらいでミャンマー側のイミグレだ。書類を書き、5ドルの入国料を支払ってパスポートを預ける。預かり証兼入国許可証を受け取れば、もう目の前はこの旅5カ国目のミャンマーだ。


と、いきなり男たちが私を取り囲んだ。
ムムッ!押し売りか!?それともお姉ちゃんのいる店の勧誘か!?と思いきや、みんな手にした写真入りのパネルを指さして何やら説明している。聞けばトゥクトゥク観光ツアーの勧誘で、近辺の名所を100バーツでまわってくれるという。

渡りに船だった。こんな観光ツアーは非常に助かる。タチレクのパンフや看板くらいメーサイには用意されているだろうという甘い考えで来たら全く見つからず、慌ててネットカフェや国境周辺で調べまくってもタチレクの詳細な地図は結局手に入らなかったのだから。

まったく、トゥクトゥク運転手の熱心さとは対照的な、この政府のやる気のなさは何だ?ミャンマー政府は観光収入で潤う気がないんかい?


さて、ツアーもいいが、とりあえずは町の雰囲気を見てみたい。コースは後回しにしてまず国境近辺を歩いてみよう。


タイからカンボジアやラオスに渡った時のことが思い出された。目の前にあるタチレクの町は、川を隔てたメーサイとは比較にならないくらい前時代的で埃っぽい。

町の広さ自体はメーサイとさして変わりないようだが、コンクリートの建物は全体にかなり古びて見える。一歩脇道に入ると未舗装路もかなり残っていて、タイでは見られないような傷んだ車やバイクが行き交っていた。歩いている人も日曜日のせいか多くはなく、巻きスカート「ロンジー」を履いている男性が目立つ。

国内情勢が長い間安定しているタイとそうでない近隣諸国との格差をまたも見せつけられたような気がした。しかしながら町の雰囲気は穏やかで、物乞いもいない。数年前では子供の物乞いがたむろしていて旅行者も困ったらしいが、経済も改善されてきたのだろうか。

市場に行ってみた。
メーサイ側も人だらけだったが、こちらも観光客やタイ人でごった返していた。
但し売っている物は、衣料や電化製品が主なタイ側とかなり違う。たぶんコピー品だろうDVDやCDソフト、恐らく偽物のブランド品、怪しい貴金属店が目立つ。工業製品や食品もあるが全部タイ製だった。そして少しだがミャンマーの土産物、と言っても洒落た物はなく、仏像や仏具のようなアクセサリーだ。まあまあ見ていて面白い。

通りを流していると、駅弁売りのような箱を首から提げた兄ちゃんたちがやたらしつこく声をかけてくるではないか。売っているのは煙草だ。吸わんのでいらんいらん、と断ろうとすると、兄ちゃんはすかさず箱にかけた布をめくる。その下には裏DVD、しかも洋物がぎっちり詰まっていた。食指が動かんではないが、まあこれが入国審査で見つかった時の恥ずかしさは想像がつく。やめとこう。

タイでは規制が厳しいのでみんなここに買いに来るのだろうか。ミャンマー人は高品質な工業製品を求めてタイ側に買い出しに出ることだし、この国境は流通の拠点になっているようだ。


しばらく近辺を散歩してみてからまた国境に戻り、今度はトゥクトゥクのおっちゃんを捕まえて、というか捕まえられて寺院などを回る例の観光コースを走った。


おっちゃんは観光客相手の商売をやっているにしては英語がほとんど話せないが、いつもニコニコ笑いながら身振り手振りで案内してくれる。いい顔だ。

道ばたでは、ほっぺに日焼け止めクリームの「タナッカー(田中ではない)」を塗った子供たちがあちこちで遊んでいた。みんなカメラを向けると恥ずかしそうに笑う。
寺院はタイともラオスとも違う独特な建築様式で、中では子供の僧侶たちが大声で読経を教わっている。みんな私が構えるカメラが気になるのか、よくこっちを向いては先生に注意されていた。

どこの国でもどんな情勢であろうとも子供たちは元気で幸せそうだ。しかもミャンマーの子供たちもカンボジアやラオスと同じくキラキラした眼をしていて、こちらの気持ちも和んでくる。

子供だけでなく出会う大人たちも、みんな平和そうで穏やかな表情をしている。町角にある地元民向けの商店や食堂も品物やメニューは豊富で、店員や客も陽気に笑いあっていた。カメラを向けても全く嫌な顔をされず、それどころかみんな笑いかけてくる。

不安定な政治情勢、そして民間人に対しても様々な弾圧があるとは聞いているが、とてもそんなことは窺えなかった。

高台にある寺院から、町を見下ろせた。

よく見ると国境に近い町並みはコンクリートの建物も多くて立派だが、国境から離れるほどそれは粗末になり、恐らくタイから見えないような場所では小屋のような家が集まっているではないか。これは、流通が盛んな国境付近が必然的に発展したか、あるいは政府が先進国のタイに見劣りしないように国境付近の建物だけを整備したかのどちかだろう。

そう考えると、このタチレクの人たちの明るさの理由が何となく分かるような気がしてきた。

ここは恐らくミャンマーの中でも豊かで恵まれた町なのだろう。国境では品物が盛んに流通し、観光客が多額の外貨を落としてくれる。そして大勢の観光客やタイ人たちの目があるから、政府も表だった行動ができないのかもしれない。

国内では子供も含めた強制労働が行われたり「路上で3人以上集まって話をしてはいけない」などといった取り締まりがあったりするらしいが、ここの人たちは無縁なのだろうか。非常に気になる。外国人が一日入国で行動できるエリアから一歩離れると、どんな光景が広がり、どんな人たちが行き交っているのだろうか。

寺院の中では、子供たちが観光客相手の物売りに走り回っていた。よく見ると身なりも綺麗で、貧しそうには見えない。物乞いでなく物売りの姿が目立つということは、まだ恵まれている証拠なのだろう。

イミグレに戻ったのは、国境が閉まる16時半(タイ時間では17時)ギリギリだ。職員もすこぶる愛想がいい。その後タイ側で再び入国手続きをして、メーサイの町に戻ってきた。
さて、正式な入国ではないのだからパスポートはどうなっているだろうか。見てみると、ちゃんと「Myanmer Union」と記したスタンプが押されていた。ひと安心だ。


日も暮れる頃、国境を流れる川に面している公園に涼みに行った。

川では大勢の子供たちが水遊びをしていた。タイ側にもミャンマー側にも休んでいる子がいるのを見ると、どうやら双方の国の子供たちが入り交じっているようだ。何とも面白い。密出入国し放題ではないか。

また時々、大きな荷物を持った人がザブザブと川を歩いて渡っている。よく見ると、ミャンマー側からは空のカゴを背負ってきて、こちらからはジュースの箱をカゴいっぱいに詰め込んで帰って行くのだ。恐らく密輸だろうが、それにしても堂々としたものだ。警察も全く取り締まっていないところを見ると、闇ルートとして黙認されているのかもしれない。


入国するまでは、さぞかし官憲が目を光らせていて、民衆はおどおどしながら生活しているのではないかと思っていたが、実際にはそんなことは全くなかった。

しかし今日見た光景は、ミャンマーのほんの僅かな一部に過ぎないのだ。次回は是非ともビザを取って、ヤンゴンから各地を見て回りたい。ようやく政情が安定したカンボジアやラオスと違い、ここはまだ激動の時代の最中なのだ。

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メーサイの町並みの一番奥にそびえるのがイミグレの建物。ここからミャンマーへ入国する。ちなみにそのすぐ脇に「タイ最北端の碑」がある。
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