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タラート・サオ
ゲストハウスから徒歩で15分ほど。ビエンチャン最大の市場タラート・サオは、とにかく散歩しているだけでも飽きない。「朝の市場」という意味だが、夕方までやっている。1階は雑貨や日用品、食料や土産を置いているが、2階は何故か貴金属店がたくさん軒を並べている。

こんなメシが最高
市場の中にあった食堂。カンボジアやラオスでは、こんなおかずをご飯と一緒に盛りつけるタイプの食堂が多い。多い店では十数種類のおかずがあるので、好き嫌いがあっても、ベジタリアンでも大丈夫。しかも、満腹になるくらい食っても10000キープ(1ドル)で十分おつりが来る。

これで8000キープ
今日の昼飯。これで8000キープ。

タイとは違うカオ・ソイ
ゲストハウス横のスープ麺屋で初めて食べた「カオ・ソイ」。太めのビーフンに、乗せた肉味噌が何とも絶妙。ちなみに同じ「カオ・ソイ」でも、タイ北部のものはカレースープに揚げ麺という、全く別の食べ物だ。5000キープ。
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パトゥーサイ(凱旋門)の前で
今日はレンタサイクルで出掛けた。
高い建物の少ないビエンチャンでひときわ目立つのが、パリの凱旋門を真似て作られたというパトゥーサイ(凱旋門)。本家に比べればかなり小さいが、それでも最上階に上れば市内を一望できる。入場料2000キープ。別名、戦没者記念塔とも言う。ちなみに中には大きな土産物屋があり、特にTシャツの種類がすごい。

パトゥーサイの天井
一階の天井には、金色の装飾が施されていた。

パトゥーサイから市中心部を望む
最上階のテラスから見た、市内中心部方向。一周見渡しても高層建築が全くなく、緑の多い首都らしからぬのどかなビエンチャンだ。

ワット・タート・ルアン
凱旋門から炎天下ペダルを漕ぐこと20分、ワット・タート・ルアンに着いた。入場料5000キープ。見ての通り、近くにいるだけでも眩しい金ピカの塔だ。しかし残念ながら塔そのものの内部へは入れず、仏像の並べられた回廊を一周できるだけだった。

ワット・シーサケット
、ワット・シーサケットは、ちょっと古めかしい寺院だった。こっちに来て白赤金のに塗られた派手な寺院ばかり見てきたが、ここはそんな金ピカでない分、何となく落ち着いて観ることができた。回廊には仏像が沢山埋め込まれている。入場料5000キープ。

郊外行きバスターミナル
ノンカイから着いたバスターミナルは市内に近いが、ローカルバスしか発着していない。そこで外れにある長距離バスのターミナルまで下見に行ったが、これがまた遠いこと。自転車で20分はかかったな。ここからツーリストバスや長距離バスが出ている。みんな荷物満載。

休憩するお兄ちゃんら
今夜や明日朝に出発するバスがずらっと頭を並べていた。荷物の積み下ろしも一段落したらしく、お兄ちゃんらが談笑していた。
ここで一緒に寝ませんか?
ここで一緒に寝ませんか?何も悪いことしませんから・・・


エンチャンで泊まっていたゲストハウスに、この旅の途中で知り合った女の子(「子」ではないが・・・)がやってきた。

彼女とはカンボジアのシェムリアプでアンコール遺跡群を一緒に観光したのだった。その後、私はベトナム、ラオス南部へと向かったが、彼女はタイ、そしてラオスの北部をまわってきた。実に1ヶ月半ぶりの再会だ。

彼女は近くのゲストハウスのドミトリー(相部屋)に泊まっていた。私は連れと2人だが、このゲストハウスはツインベッドの部屋がなくトリプルルームなのだ。ベッドがひとつ空いていた。2人より3人で泊まった方が1人分が安くなる。女2人男1人だから、余計な心配もいらない。今夜はこれまでの旅話で盛り上がろうということで、彼女がこの部屋に移ってくることになったのだった。


こういう場合のように部屋を共同で借りることを「ルームシェア」や「部屋をシェアする」という。多数の人間が泊まるドミトリーよりは安全で、なおかつ宿代も安く上げられるとあって、特に一人旅のバックパッカーは多用している。

ただ「男+男」「女+女」の場合は良い。運悪くダブルベッドで一緒に1枚の布団をかぶって寝ることになったり、万が一片方が同性愛者で夜中に手が伸びてきたりしない限り、トラブルや気を遣って疲れることもないだろう。

問題は「男+女」の場合である。

恋人同士や夫婦、ある程度仲の良い友達ならともかく、日常生活に於いて初対面に近い男女が深い理由もなしに同室で一夜を過ごす(何事もなく!)いうことはほぼ有り得ない。しかしルームシェアでは、そうした状況が出現するのだ。女性の身に何が起こっても不思議でないと考える人も多いだろう。

彼女や、途中で知り合った数人の日本人女性バックパッカーは、みんな男(国籍多数)と2人でシェアしたことはあるという。

それでいて当然ながら、と言うべきか別に何事もない。ヤバい雰囲気になることも、もちろんレイプなどといった危険な目に遭うこともなかった。むしろ男はかなり遠慮して、彼女らがインサイドのトイレやシャワーを使う時には部屋の外に出たり、パブリックスペースがある宿ではなるべくそこにいたりといった気遣いを見せていたりするくらいなのだ。ジェントルである。これは欧米人の男の話であるが。

念のため言っておくが、彼女らみんな「誰がお前なんか襲うか!」というような外見では勿論ない。私がこのブログの名に於いて保証する。


しかしながら話をよく聞いてみると、やはり男から何かしらのアプローチは受ける時もあるらしい。

例えば呑みに行った先で口説かれたり、以前シェアした女性と「して」しまった話をさりげなく聞かされたりといったことだが、彼女らがその気がないと分かるとすぐに引き、またそれまでと変わらない対応をしてくれるらしい。ただ、あっさりしてジェントルな欧米人に比べて、日本人はややしつこく迫った上に尾を引くそうだ・・・日本男児よ、紳士であれ!

この部屋に移ってきた彼女も、男がすぐ「あわよくば・・・」と考えるということを不快そうに話す。


よし、キミたち女性がそう思っているなら、私も男の立場から言わせてもらおう。
男とは、すぐ期待して舞い上がってしまう悲しい性(さが)を持っている生き物なのである。


ただでさえ一人旅の最中(二人旅でも・・・)では妙に人恋しくなるものだ。女性と話が出来るなど嬉しいに違いない。
そこへ持ってきて、年頃の女性が一緒の部屋で泊まりたいと言い、しかもその女性が自分の好みの範疇だったりしたら「あわよくば・・・」と考えてしまうのが普通の男なのだ。そう思わない男がいたら、よほど性欲が無いか、満たされているかのどちらかだろう。断言してもいい。

そして一旦気にしはじめると、その女性の振る舞いのひとつひとつを秤にかけ「これはオレに気があるのかも・・・」「その気はないな。残念!」といった判断を下そうとするのだ。誠に救いようのない阿呆だと自分でも分かっているが、こればっかりは男の性(さが)なのだから。

勿論、そこで強引に口説きにかかったり、襲いかかったりしないよう自分にブレーキをかけるのは男の義務である。

ただ、だからといって、シェアしている女性に無神経に振る舞われたのでは男はたまらない。最初から男の思考パターンを読んで、勘違いさせないようガードを堅くしておいてもらいたいのだ。
思わせぶりな発言などもってのほか。例えば犯罪のひったくりは、被害者のバッグの持ち方に問題がある場合も多い。それと同じで、「一夜を共にするけど、アンタと一線は越えないよ」と言わんばかりに、男に付け入る隙を与えないこと、それを留意しておいてもらいたいのだ。


それを彼女にどう説明しようか考えているうちに、アウトサイドのバスルームにシャワーを浴びに行ってしまった。あーあ。まあええか。帰ってきてから話そう。


そして戻ってきた彼女の姿を見て、私は固まってしまった。

透けて見えそうな白のワンピース!しかも、胸の部分は大きく開いて谷間が見えそうだ。その上、それなりに大きいバストにはブラもつけていないのが分かる。なんという悩ましいお姿!「み、見てはいかん・・・」必死に視線をそらそうとするが、しかし本能は正直で、意に反して各部を観察してしまうのである・・・。

彼女がベッドに腰掛ける。すると、今度は白い太腿が半分ほど露わになる。そして髪をとき始めると、今度は濡れた髪がまとわりついて何とも色っぽい。色っぽすぎる。おまけに宿の話をしていると、私が読んでいるガイドブックを「どれ、どれ?」と覗きにくる。そうすれば胸の開いたワンピースの隙間からバストが見えそうだ・・・。

夜にトイレに起きると今度は、はねのけた毛布の下に大きく開いた太腿が見えている。パ、パンツだって見えそう・・・これは目の毒以外の何物でもないではないか・・・。


目の毒と言いながらよくぞそこまで詳細に報告できるな!このスケベー野郎め!!とお叱りは甘んじて受けよう。でも言わせてくれ!


これは犯罪や!犯罪!!キミ!まさか男と2人きりのシェアでもこんな格好してるんではあるまいな?これで一緒の部屋に入ってこられたら、そら誰かて勘違いして期待するわ!現に連れのいる私でさえこの有様で、興奮のあまり寝不足になってしまったではないか。彼女と2人きりだったら私もどう出ていたか・・・正直なところ押し倒していなかった自信はない・・・。

彼女は多分、私に連れがいるから大丈夫と思ったのだろう。しかし、だからといってそれは私のブレーキがちょっと強力になっているというだけに過ぎない。私自身、どんな負荷を掛けられても暴走しないという自信はないのだから。

彼女にも「シャワーの後はワンピースが面倒臭くなくていい」、昼間も胸の大きく開いた服を着ているのは「私の体型には似合うから」と彼女なりのポリシーがあるらしい。それは分かる。だがその場の状況を考慮してほしい。繰り返すが、男を信用するあまり無神経に振る舞われては困るのだ。


どんなブレーキでも掛け続けていれば過熱して効かなくなるのだよ!

どこでも市場は面白い
今日は市場巡り。どこに行っても恒例行事になりつつある。ここはやはり首都だけあって、市場の規模も大きい。
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ゲストハウス前のトゥクトゥク
泊まった「LaoSakonhGuestHouse」前にはいつもトゥクトゥクが停まっているが、あまり商売気がないようで、運ちゃんはダベっているか昼寝している。

昼メシはちょっと豪華に
知り合いと合流できたので、昼メシはちょっと豪華に近くのイタリアンレストランで。量がすごい。12万キープもしたが、日本円にすりゃ1200円程度で大満足。

一角で、絵を売っていた
街角の空き地で、絵や手描きのポストカードを売っていた。僧侶や子供たちを題材にしていて、なかなか素朴でいい絵が多かった。

各種トゥクトゥクが並ぶ
各種トゥクトゥクが並ぶ。タイと違って、ラオスにはトゥクトゥクと言ってもかなり種類がある。
タイ・ラオス友好橋。対岸はラオスだ
タイ・ラオス友好橋を走る。対岸はラオスだ。


南アジアを旅していると、どの国もとりあえずは平和で、国同士の中も悪くないということを実感する。
それはまるで緊張感のない国境と、それを越える時のスムーズさにも表れている。

国民感情からするとベトナムとカンボジア間などは複雑なものがあるらしいが、我々旅行者にしてみればそんなことを目の当たりにする機会はない。一知識として仕入れておき、カンボジア人に向かって「アンタの顔はベトナム人に似ている」などと間違っても口走らないよう気をつければいい。


朝、私は国境の町・ノンカイ(ノーンカーイ)のバスターミナルにいた。再びラオスに入国するためだ。

タイとラオスの間の国境を越えるには、1カ所以外は全てメコン川を渡ることになる。そのうち、これから通るルートだけ唯一橋が架かり、その橋を渡る国際バスが運行されているのだった。

昨日、散歩のついでにバスターミナルに寄ったところ、ここからビエンチャンへと直通の国際バスが1日4本出ていることを知ったのだった。しかもたったの35バーツ。ガイドブックに載っていた、国境の橋を渡る区間だけバスで、あとはトゥクトゥクを乗り継ぐという方法では面倒臭いし、金も手間も時間もかかる。文字通り「渡りに船」じゃないか。

混んでいるかもしれないので窓口で念のため10時30分発を予約しておいたのだが、これがちょっとしたトラブルになってしまった。チケットを運転手に見せると、ある部分を指して「No!」という。「???」と思いながら指し示す所を見ると、それはチケットに記入された昨日の日付だったのだ。

チケットを受け取った時におかしいとは思ったが、やっぱりそれは発行年月日ではなく乗車年月日やったんや!そらないでぇ!昨日あれだけ窓口のおばちゃんに「Tomorrow,Ten Thirty」て言うたやないかい!
運転手を連れて窓口にねじ込み、今日もいたそのおばちゃんに抗議する。しかしおばちゃん、「No!」の一点張りでなかなか非を認めない。そもそも、どうやら英語があまり分からないらしいのだ。「International Bus」て書いてある窓口なんやから、英語分かる人を置けやな~!

5分くらい揉み合ったところ、見かねたのか運転手が「OK」を出してくれた。助かった!
そうして無事にバスは出発したのだが、私もチケットを受け取った時点でおばちゃんに確認しておけば良かった。トラブルを防ぐ為には自衛も大切だと身にしみたのであった。

バスは比較的新しく綺麗で冷房付き。大都市の市内路線バスのようだ。車内はさすがにローカルバスほど雑然とはしておらず、旅行者も地元民もみんな静かにしている。


10分ほどで、高速道路の料金所のようなタイ側イミグレに到着。

全員バスを降ろされ、出国手続窓口に並ぶ。
あれ?バスには我々の荷物のほかにも、タイヤやでかい箱などいろんな物資が積まれているのだが、それらを降ろしてチェックする様子がない。サワンナケート~ムクダハンの渡し船もそうだったが、タイ・ラオス間は、どんな物が行き来しても問題ないのだろうか?

横には自動車の通行窓口もあり、白ナンバーのタイ国籍車、黄色ナンバーのラオス国籍車が頻繁に審査を受けているが、やはり荷物を降ろされたり、車内の検査などは受けていないように見える。ホンマ気軽に行き来してるんやなあ。絶対この中には大麻なんぞを密輸している奴らがおるわ。カオサンロードなどで売られている訳も分かる気がした。

いつものように呆気なく出国審査終了。待っていたのは先ほどと同じバスだ。
ベトナム~ラオス間など、直通バスだ!と旅行会社から事前に聞かされていたにも関わらずローカルバスに乗り換えさせられて暴れ出しそうになったが、今度こそ本当に直通バスのようだ。ふう。

メコンに架かる「タイ・ラオス友好橋」に向かう。別にこの道も対面通行の有料道路みたいで、とくに国境という雰囲気ではない。

友好橋にかかると、双方の街並みの違いが見て取れる。メコン川の川岸も、驚いたことにタイ側は浜茶屋が立ち並んで一大ビーチになっていた。この綺麗とは言えない水で泳ぐ気になるかというのは別問題として、やはりタイは娯楽施設が目立つ。国が豊かになり、余暇が楽しめるようになってきたのだろう。日本からの援助を「もう要らん」と言えるのも頷ける。

タイ側と違って、今度はやや大きいドライブインのようなラオスイミグレが近づいてきた。と、その直前でいきなり道路が×印にクロスし、それまで左側を走っていたバスは右側走行に切り替わった。
そう。タイは左側通行。ラオスは右側通行なのだ。それにしても、こんな信号のない平面交差でよく正面衝突など起きないものだ・・・ちなみにこのバスは、タイよりラオスを長時間走るせいか左ハンドル・右ドアになっている。

ラオスのイミグレでも全く滞りなく審査パス。やはり荷物検査や、もしや・・・と思っていたバス乗り換えもない。
あー良かった。ホンマにトゥクトゥクと交渉する手間が省けたわ。これなら、終着直前で運行打ち切り&ぼったくりタクシーに乗り換え・・・などといったドンデン返しもあるまい。


今までの国境越えは、バスといえども今回のような直通ではなく国境乗り換え。しかも炎天下に重い荷物を担いで「バス降り場~出国イミグレ~入国イミグレ~バス乗り場」と歩いて移動しなければならなかった。
それがまた結構遠かったり、イミグレに長蛇の列ができたりしていて手続きに数時間かかったりしてメンド臭い。しかも物乞いや怪しげな両替屋、ぼったくり物売りやトゥクトゥクがたむろしていたりもして何とも疲れたのだった。

しかし今回は、何事もなく全く疲れも感じないまま30分ほどで首都らしからぬのどかさのビエンチャンに着いた。何というか、この旅5回目の国境越えは最もスムーズだったが、最も面白さに欠ける国境越えであった。


ところで、タイ側から友好橋に入る直前だったが、なんと右側から線路が合流してくるではないか。そしてそのままセンターラインに沿って線路敷は続いている。おお!ノンカイ駅の駅名標に記されていた通り、本当にラオスまで鉄道を延伸するつもりなのだ!次回はこれに乗ってラオス入りや!

しかし無情にも、線路は橋を渡りきった所でそのまんま途切れていた。その先には工事している様子もない。あーこの調子じゃ、優雅な国際列車の旅などはだいぶ先のことになりそうだ。

MutMeeGuestHouseの部屋
「MutMeeGuestHouse」は、広い敷地内に、部屋が4つくらいある宿泊棟がいくつか建ち、レストラン、ネットカフェもある。部屋も綺麗でおすすめ。ツイン、アウトサイドバスで220バーツ。
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タイ・ラオス友好橋
今日は、レンタサイクルで市内散策に出かけた。
まず行ったのがタイ・ラオス友好橋。両国間はほとんどメコン川で仕切られているが、ここにだけ橋が架かっている。橋の下は、絶好のビーチになっているようだった。

タイ側イミグレ
その友好橋に向かう道の途中には、当然ながらイミグレがある。しかし、どうも日本の高速道路の料金所にしか見えん。車はかなり頻繁に通っている。

国際バスのターミナル
友好橋からしばらく戻ると、ラオス行きバスの出ているターミナルがあった。町からは遠く、ちょっと不便そうだ。ここで国際バスとトゥクトゥクを乗り継ぐことになる。

トゥクトゥクの運ちゃんたち
ターミナルには、ラオス方面から来た客を乗せるべく、トゥクトゥクがずらっと頭を並べていた。しかし客は少ないようで、運ちゃんらはヒマそうに談笑していた。

でかいノンカイ新駅
こちらは町外れにあるノンカイ新駅。まだできて間もないらしく、駅前には何もない。

さすがに英語表記あり
さすがに外国人も多く利用する夜行列車の始発駅らしく、時刻表には英語表記があった。しかし1日5本とは寂しいな。

ラオス行きの駅名標
ノンカイの駅名標。なんと左側には、ラオスの町の名が書かれていた。将来は、この駅がラオスへの玄関口になるのだろうか。

発車を待つ夜行列車
3時間後に発車するバンコク行き夜行列車が停まっていた。この後ろ4両は3等車だが、紛れもなくJRのお古。車内には日本語表記や、「日本国有鉄道」のプレートも残っている。ただ、元は冷房車なのに、こっちでは冷房は使われてなさそうで勿体ない。

車内は遊び場
車内では、子供が遊んでいた。車内も、JR時代そのままだ。

時間をつぶす乗務員
ホームで新聞を読んだり、ランニングしたりしている人たちがいた。どうやら、この夜行列車の乗務員たちらしい。束の間の休憩か。

強化版トゥクトゥク
ノンカイ市内で見かけた、荷物運び用のいかにも頑丈そうなトゥクトゥク。日本に持って帰りたいな。

ゲストハウス近くの食堂
夕食は、ゲストハウス近くの食堂でとった。しかし完全に地元客相手らしく、メニューに英語表記はないし、この店の夫婦も英語はほとんど分からないようだった。しかし、メニューの名前を親切に教えてくれたお陰で、無事に食事にありつけた。スッキヘン(春雨の炒め物)とアンパシユー(太麺の炒め物)で50バーツ。メシも旨いし、笑顔のいい夫婦だった。

左右で明るさの違う夜景
夜、メコンの川辺に出て、夜景を眺めた。右側がタイ。左側がラオス。明るさの違いは、ムクダハンから見た夜景と同じだった。
列車が入線
列車が入線してきたコーンケーン駅。


オスからタイのムクダハンに渡り、さらにコーンケーンへとバスで移動してきた。

コーンケーンはタイ東北部の中心都市とのことだったが、ムクダハンより若干大きいだけの、のんびりした地方都市だった。

実はここには、ラオス領事館でラオスの30日ビザを取るためだけに寄ったようなもので、今日にはもう、メコン川を挟んでラオスの首都ビエンチャンと対峙する町、ノンカイ(ノーンカーイ)へ向かうのだ。

もっと滞在しても良かったのだが、特に見どころもなく、それにタイ国内ならまた来ようと思えば比較的簡単に来れる。ラオスの方が優先だと思い、先を急ぐことにしたのだった。


ムクダハンにしろコーンケーンにしろ、タイでは人口の少ない一地方都市に過ぎない筈だ。
しかし、そんな町でもビルが建ち並び、交通量や歩いている人の数にしても、ラオス第二の都市サワンナケートやカンボジアのシェムリアプより多い。おまけにATMのある銀行、セブンイレブンやファミリーマートまである。

久々にコンビニで物が買えた。ほかの国では探すのに苦労した牛乳や、コーラフローズン(柔らかいシャーベットみたいなジュース)だっていつでも飲める。冷房も効いていて、暑い時には逃げ込むのに良い。あれば、やはり便利だと思う。


さて、コーンケーンからノンカイへは、またバスではなく列車を使うことにした。
やはり鉄道旅行ファンとしては、各国の鉄道に乗ってみたいのだ。何しろこれから向かうラオスには鉄道がないので、禁断症状の出ない今のうちに乗っておかねばならぬ。

ベトナムでは夜行列車に20時間も揺られたが、今回は3時間のローカル列車旅だ。タイの夜行列車にはチェンマイからバンコクに帰る時に乗るつもりなので、ローカルバスやソンテウと同じようなローカル列車ならではの地元と密着した雰囲気を味わいたい。


朝9時過ぎ、町の端にあるコーンケーン駅に行く。

時刻表はタイ語ばかりで皆目分からなかったが、あらかじめ行き先や列車名を書いておいた紙を窓口に出して、切符も無事に買えた。
小さな駅だが、17両編成ぐらいの夜行列車も停まるとあってプラットホームだけはえらく長い。中には売店と麺類の食堂もあって、ベンチでは大きな荷物を持った人たちがくつろいでいる。やっぱりどの国でも駅の風景は同じなんやなあと思う。

ホームに入ると、サイゴン駅に続いてまたもや似たような奇異の視線がこちらに集まった。

そやから!アンタらそないに外国人が珍しいんかい?
まあ、夜行列車なら寝台があるので外国人もそこそこ利用するらしいが、バスでも疲れない短距離をわざわざ列車で移動する物好きはそうおるまい。第一、ノンカイまではバスなら1時間おきくらいに出ているのに、列車は昼行2本、夜行3本という寂しさなのだから。
運賃が35バーツ(約100円)と安いことしかメリットはなさそうだ。バスなら恐らく100バーツ近くはする。

駅を観察してみると、発見してしまった。腕木式の信号機がまだ現役ではないか。そして信号機やポイントの切り替えも、昔ながらに駅員がでかい切換レバーを「ガシャコン」と倒したり起こしたりするタイプだった。その操作を駅舎から信号やポイントに伝えるワイヤーロープもレールに沿って張り巡らされている。おまけにホームにはタブレット(駅と駅との間の通行許可証)を通過する列車から受け取ったり渡したりする鉄柱(タブレットキャッチャーと言う)もあった。日本ではもはや十数年前に消滅した風景が、ここには残っていたのだった。

ついつい鉄道オタクと化して写真を撮りまくってしまった。周りからの奇異の視線は一層強くなったに違いない。


発車は9時51分。10分ほど前になって、4両編成のディーゼルカーが滑り込んできた。

やはり、というか、これまた十数年前の日本のローカル列車と同じだな。車両は冷房がない3等車のみで、少々くたびれている。車内も日本と同じ4人掛け向かい合わせシートだ。そしてそんなに混んでいない。
おかげで先頭の運転席直後の座席をゲットできた。鉄道オタクの御用達席でもある・・・。

少々車内が汚いが、一瞬本当に国鉄時代のローカル線に乗っているような錯覚に陥ってしまった。何となく懐かしい雰囲気だ。よく見ると、座席の形や内装が日本ぽい。タイ国鉄では日本提供の新車や、JRから払い下げられた中古車も走っているので、案外これも「メイド・イン・ジャパン」かもしれない。

列車は定刻に動き出した。なかなか優秀だ。かなりのスピードになってから自動ドアを閉めるのは、乗り遅れ対策だろうか?

ふと座っている席の上を見ると「Reserved For Monks/Disabled/Senior Citizen」と書いてある。「僧侶・身障者・高齢者の専用席」ということだ。僧侶というのがタイらしいな・・・と思っている場合ではない。しもた!マナー違反をしてもうたか!?一瞬焦るが、そういう人は見当たらないし、他の3席には普通の人が座っている。すると改札に来た車掌がこっちの気配を察して「ここで大丈夫」とジェスチェアしてくれた。ふう。

すいているのでそんなに騒々しくはないが、雰囲気はローカルバスと同じで何となく雑然としている。

車窓は割と変化がある。赤土の砂漠のようになったり、ジャングルになったり、北海道のようなパッチワーク畑の丘陵になったりする。

時々駅に停まり、ぽつぽつと乗り降りがある。こぢんまりした無人駅もあるが、3番線くらいある大きな駅に着くと反対列車の待ち合わせをしたり、焼き鳥や餅米、飲み物などの物売りが乗り込んできて「○△×~○△×~」と車内を練り歩いたりして面白い。本当にソンテウなどと同じだ。物売りは降りるかと思いきや、そのまんま乗って次の駅で反対列車に乗り込んで戻ってゆく。
運転席の直後なので、狙い通り前方の景色も見え、タブレット交換の様子もしっかりカメラに納めることが出来た。

3時間はあっという間。定刻より2分だけ遅れてノンカイに到着した。


ノンカイもムクダハンのようにのんびりした田舎町だが、それでもセブンイレブンがあった。こんな辺境でも不便さを感じることがない。

しかし、安心してコーラフローズンを飲んでいると、コンビニのような無機質で近代化したシステムに慣らされている自分に気付く。綺麗でスムーズだし、市場や商店のように「こんなもの置いてる?」「これいくら?」と聞いたり値切ったりする面倒臭さもないが、そういう人間臭いやりとりをする楽しみもない。
鉄道でも日本では冷房車が当たり前。切符の自動販売機、自動改札、ワンマン車、駅員の姿もないホーム、コンビニのような駅売店、食堂車でなくカフェテリア・・・。「弁当、弁当~」という駅弁売りの声も、今や聞けなくなった。

タイのローカル列車に乗って何とも懐かしい気分になったのは、そうした風景を心のどこかで欲していたからだろう。ただの懐古趣味かもしれないが。

蚊が多かった部屋
コーンケーンの「SaenSamranHotel」は、エアコンがついていたのに蚊が多い。例のラケットが大活躍。どうもシャワー室の下水から入ってきているようだった。ツインで200バーツ。
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ラオス領事館
なぜコーンケーンに来たのか?それは、再びラオスに向かうべく、ここにあるラオス領事館で30日ビザを取得するためなのだ。国境で発給されるアライバルビザは15日しか使えない。見どころの多いラオス北部を観光するのにそれでは足りないということで、ここまで足を伸ばしてきたのだった。
がらんとした窓口に書類とパスポートを提出したら、わずか10分ほどでビザは発給された。30ドルなり。アライバルビザと金額は同じだ。

市内交通はソンテウが大活躍
コーンケーンは特に見どころもない地方都市だった。市内交通はバスよりソンテウが幅を利かしている。

商店街でとった昼食
タイはどこに行っても外食で困ることはない。商店街の屋台でとった昼食。これで25バーツ。安くてうまい。

中心部の商店街
暑い日には、商店街に逃げ込むに限る。
ムクダハンの近代的な街並み
ムクダハンは、地方都市といえどもタイという先進国にあって、近代的なコンクリートビルが多い。レトロなフランス統治時代の建物が多く残るサワンナケートとは対照的だ。もちろん銀行のATMやコンビニもある。

メコン川からはサワンが
メコン川添いの公園からは、長く滞在したサワンナケートを一望できた。ちなみに夕べここから見た夜景は、サワンから見たのとは比べ物にならないくらい灯りが少なかった。

昨日通ったイミグレを望む
昨日通ったサワンのイミグレも見える。泳いで渡れそうな近さだ。

BanthomKasemHotelの部屋
イミグレから近い「BanthomKasemHotel」は、エアコンの音がうるさかった以外はまあまあ快適。インサイドバストイレもあってツイン200バーツ。

ムクダハン・バスターミナル
トゥクトゥクでバスターミナルに着いた。ここからはバンコクの他、各地へのバスが出ている。近距離便ではソンテウも活躍している。

切符売り場
コーンケーン行きは30分おきに出ている。エアコン付き5列シートのバスで、115バーツ。4時間半の旅。

コーンケーンのナイトマーケット
コーンケーンものんびりした地方都市だった。晩飯はやっぱしマーケットに限る。
ラオスが遠ざかる
ボートのような「国際船」に乗り、ラオスを後にする。ちなみに1時間おきに出ていて、片道50バーツ。


局サワンナケートにある「Saisouk Guest House」には合計9泊もしてしまった。

古いが一室一泊3万キープと安いし、掃除も行き届いている。何よりも涼しいテラスがあって、そこで同泊者とダベれるのだ。

つくづくパブリックスベースというのは重要やなあと思う。海外では少しでも他の旅行者の情報が欲しいが、こういう場所があれば気軽に話しかけられる。気が合えばそこで迷惑にならない程度に呑み会するもよし、旅の仲間を見つけるのにも絶好だ。まあ、時たまここぞとばかりに下心丸出しで女の子に観光案内している男もいたりするのだが。

サワンナケートの町自体ものんびりしていて雰囲気がいい。食い物も安い。大人も子供も観光客慣れしていなくて愛想が良い。すっかり気に入ってしまったのだが、今日22日でビザが切れる。今日中に出国しなければオーバーステイで一日につき10ドルの罰金だ。それは痛いと言うわけで、対岸にあるタイのムクダハンという町に、一日6本出ている「国際航路」で渡ることにした。


「国際列車」「国際線」「国際航路」などと聞くと、何か豪華でロマンチックなものを想像してしまう人も多いのではないだろうか。私もアジアに来るまではそう感じていた。これが島国根性というものだろう
今や海外旅行など珍しくもなくなったが、それでも日本人は国境に慣れていないと思う。国境を目の当たりにできるような場所といえば町なかにハングル文字の看板を見かける対馬島、同じようにロシア語の表示が多い北海道の根室くらいのものだろうし、日本人は未だに輸入品を「舶来物」などと崇めているくらいなのだから。

こちらでは買い出しなどのために一日だけ出国するなどということは日常茶飯事だそうだ。日本で明石から淡路島に渡るくらいの感覚かもしれない。


さて、メコン川のほとりにある国際船発着場兼イミグレの建物に入り、切符売り場のような出国審査窓口で手続きを済ませる。

これから国境を渡るぞー!という雰囲気は全くない。旅行者風の乗客はほとんどおらず、大半は地元民。ほかにも見送りや単に涼みに来ている人も多く、建物を通り抜け放題なのだから。これでは黙って船に乗り降りしても分からないだろう。税関審査どころか手荷物チェックも当然ナシだ。別にする気はないが、大麻や保護動物などの密輸も簡単そうじゃないか。

また、館内には免税店があった。中に入ってみると、確かに免税店らしく酒類やブランド品などが置いてある。

しかしどうも変だ。酒類はいいとして、ブランド品が安すぎる。プラダのショルダーバッグが850バーツ(約2300円)。ヴィトンやコーチの物も軒並み千バーツ以下なのである。嘘やろ~!?ドルの間違いかと思ったが、数字の後ろには確かに「$」ではなく「B」と書いてある。しかし免税店でコピー品を売る筈はないし・・・買っていって関空の税関でどうなるか試してみたかったが、没収されたらアホらしいし、そもそも私はブランド品に興味ナシなのである。


そのうち乗船時間が来た。
乗り場への階段を降りようとすると、制服を着た職員がいて「一応やっとくわ」といった感じでパスポートをチェックする、というか2秒ほど見る。おいおい、改札口で定期券見とるんとちゃうねんぞ。そんなテキトーなチェックでええんかい?


メコン川で我々渡航客を待ち受けていたのは「国際航路」という言葉から想像するのとはあまりにもほど遠い、大阪の堂島川や東京の隅田川にある水上バスをそのままオンボロにしたような木製の「ボート」であった。

木の渡し板からゆらゆら揺れる浮き桟橋に乗り、そこに繋留されていて同じようにゆらゆら揺れているボートにタイミングを見計らって飛び移る。
なんで川で浮き桟橋を使うのかというと、メコン川は雨季と乾季で水位が3~4mも違うからだそうだ。

我々バックパッカーのザックは炎天下の屋根上に放り上げられ、満員の客室に入りきれない人も屋根上に登る。まるで乗り合いトラックかソンテウのようだ。

やはり、これから異国に向かうのだという気分にはならない。明石から淡路島というより、海遊館のある天保山から大阪市の渡し船で安治川を渡ってUSJのある桜島に行くような感覚である(大阪ローカルですんません)。船のサイズも似ているし。

対岸のムクダハンには僅か20分で着いた。
こちらは浮き桟橋ではなくレールに沿って上下させる可動式桟橋が使われていて、かなり立派だ。建物も綺麗で、何よりも入国出国の通路が完全に分かれていてチェックもやや厳重そうだ。関係のない見物人が行き交っていることもない。

しかし入国カードに記入してパスポートを提出すると、入国審査はものの1分足らずで終了。荷物検査さえなかった。


やはり両国の関係がいいせいか、今回もまったく緊張感のない国境越えだった。


ただ、一つ思う。こんな国境越えを何回もしてきたが、いつも緊張感を感じないのもひょっとしたら日本人が信用されているせいではないか、と。

日本人の入出国審査の時間は、気のせいか欧米人に比べて短く感じる。イミグレや街中で官憲に質問されることも全くないのだ。

ほかにもベトナムで日本人は、ビザ無しで14日の滞在許可が出た。でもイミグレで後ろに並んでいたスコットランド人のお姉ちゃんに聞くと、自分たちはビザ無しでは入れないという。両国の関係や、世界的に見たその国の地位、その国から来た旅行者の前歴などで変わってくるのだろう。日本は国も豊かで平和、日本人も温厚で悪いことをしない民族だという評価があるのだろうか。

そんなことを、ビルの建ち並ぶムクダハンの町を歩きながらぼんやり考えていた。

日本人であることがちょっとだけ有難く思えてくるのだった

こちらはタイのイミグレ
こちらはタイのイミグレ。やはり、ちょっと立派である。
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デッド島を後にする
まだ長居したかったが、残念ながらビザが明日で切れるのだ。さすがにこの島ではビザ延長手続きもできず、サワンナケートに引き返すことにした。シーパンドンは是非ともまた来たい場所だ。

バン・ナカサンへ
ボートに乗ってほどなく、バン・ナカサンが見えてきた。

バン・ナカサンの賑わい
バン・ナカサンは、朝の買い出しや荷物準備で賑わっていた。シーパンドンへの交通の要衝だけのことはある。

帰りはちゃんとしたバス
往きはソンテウだったが、帰りに待っていたのはちゃんとしたバスだった。バックパッカーたちが大勢乗り込み、すぐに満員に。

またもパンク!
快調に走っていたが、やがて原野の真ん中で停まる。トイレ休憩かと思ったが、なんとパンク!しかしカンボジアの時のように手こずらず、テキパキと作業は進む。

こんなボロボロのタイヤで・・・
取り外したタイヤは、角が欠けてボロボロだった。よくこんなんで走れていたな。これはカンボジアの方がマシだった。

パクセへ到着
パクセへ到着。たちまちソンテウやトゥクトゥクがバスを取り囲み、客の争奪戦が始まる。

トラック改造バス
途中で見た、トラック改造バス。次回はこれも乗ってみたい。乗り心地はひどく悪そうだが。
ボートの船頭さんと娘さん
イルカ観覧のボートが着くと、船頭さんの娘さんが待ち構えていた。


まり脳味噌が溶けそうな生活ばかり送っていてはヤバいので、少しアクティブに、日帰りツアーなぞ参加してみることにした。

淡水に棲んでいるという珍しいイルカと、メコン川にある滝を見に行くというツアーだ。


メコン川はこの近辺、ラオス南部からカンボジア国境あたりまで川幅が広くなり、最大14kmにもなるという。そこにデッド島やコン島など大小様々な島が約4000個も浮かんでいるというのだから、スケールはケタ外れだ。しかもそこにイルカがおり、かなり規模の大きな滝が点在しているという。

下流にあるメコンデルタは有名だし高校の地理の時間にも習ったのだが、こんな区間もあったとはメコン川恐るべし。これも地理の時間に教えてはどうだろう。広すぎてよく分からんメコンデルタよりよっぽど面白いと思うのだが。


昼過ぎ、デッド島から対岸のバン・ナカサンにボートで渡り、またもや待ち受けていたソンテウに乗り込んで移動開始だ。

ちょっと詰めれば車内に全員乗れるのだが、欧米人に一団は喜んで屋根の上に登っていった。おいおい、この炎天下でも屋根上がええんか?
30分くらい走り、途中から赤土の埃を巻き上げながらダート道を少し入ると船着き場だ。ここからイルカを見るべく小型ボートに乗り換える。

その乗り場が少し変だ。途中に遮断機があって、ラオスの国旗を掲げた小屋がある。みんな別に止められずスルーしてゆくのだが、その小屋をよく見ると「Immigration」と書いてあるではないか。

ここは国境か!?そう言えばこのへんはラオス最南部で、メコンの対岸はカンボジアの筈だ。そんな国境の川に外国人を乗せた観光ボートなんぞ走らせて大丈夫なんかいな?
両国は別に仲が悪くないからいいのかもしれないが、なんと緊張感のない国境だろう。密出入国密輸出入し放題やないか・・・。対岸はボートを使うまでもなく、泳いでも渡れそうな距離なのだから。もちろん双方とも軍人の姿もない。

鉄条網が何重にも張り巡らされ、監視小屋では銃を構えた兵士が対岸の北朝鮮を睨んでいた韓国の臨津江(イムジン河)とえらい違いだ。

屋根付きボートは小島に着いた。このあたりがイルカのウオッチングポイントらしい。ご丁寧に売店があって、草葺き屋根の休憩所まである。これなら炎天下で水面を凝視せずに済みそうだ。

その売店でビールを買おうとすると、「ビア・ラオ」のほかになんと「アンコール・ビア」などカンボジア物が勢揃い。思わず買ってしまうが、330缶で8000キープと倍近くする。観光地だし、輸入しているのだから仕方ないか・・・などと思いながら店のお姉ちゃんに訊いてみると、ここはカンボジア領だという。

やはり、というかいつの間にやら我々はカンボジアに入っているのだ。しかもイミグレで手続きなどしてないから、密入国ということになる。おまけにラオス籍のボートで領土(川は「土」なのか?)侵犯だ。バレたらえらいこっちゃ!

一瞬焦るが、周りはみんな呑気に水浴びなぞしている。ということは、特別に許可をもらっているのかもしれない。ま、何かあったらガイドが何とかしてくれるだろう。
それより、どうせならこの国境にある売店が免税店だったらいいのに。ビールなど免税価格で売ってくれないものだろうか。


さて、このツアーのメインはイルカであって、密入国ではない。

しかしながら、全然見えない。時々ガイドが「あっちあっち!」と指さすのだが、水面には波が立っているだけだ。ホンマかいな?と思いつつ、今度はボートの上から探すことになった。

待つこと数分、やっとこせ遠くに、確かにイルカらしき背中が水面をすうっと動いているのが見えた。聞いていたピンク色ではなく灰色にしか見えないが、2~3頭はいる。やった!ホンマにイルカや!すると今まで見えなかったのが嘘みたいに、あっちでもこっちでも背中が水面に浮かびはじめたじゃないか。

近くまで行って、海のイルカよろしく一緒に泳ぎたいところだが、こちらのイルカはそれほど好奇心旺盛ではないらしく、寄ってくる様子もない。数も激減していて、このへんでは20頭ぐらいしか見ないとガイドが言う。それなら背中を見られただけでもラッキーだ。あまり刺激しないように遠くから眺めるのがいいかもしれない。


乗り場に戻ると、ガイドが対岸を指さした。またイルカか?と思いきや、その先には物置のような小屋が。あれがカンボジアのイミグレだという。その貧相さにちょっとびっくりしたが、やはりここはちゃんとした国境の体をなしている。今度はここを越えてみたいと思った。

またラオスに入国し、ソンテウで滝を見に行った。東洋のナイアガラと言われているだけあって、日本にはない、幅広で凄い水量の豪快な滝だった。

何でもかんでも「東洋の~」と呼ぶのは本家に見劣りする証拠みたいでいい気がしないが、ともあれ、5ドルのツアーで十分すぎるものを見せてもらった。満足であった。


後からガイドブックをよく読んでみるとこのツアー、川にカンボジア軍の監視船がいる時は出ないという。やっぱし公には認められてないんかい!実はかなりアングラなツアーだったのかもしれない。面白かったが。

小島に上陸
ボートは小島に着いて、我々は上陸した。ここからしばらくイルカを探すことになる。
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写真を撮る私
鉄道跡が沢山あって、写真に夢中になる私。

こんな橋にもレールが
こんな小さな橋だが、よく見るとレールが使われていた。分かるかな?

荷物積み替え用のクレーン跡
ここで、鉄道と船とで荷物積み替えが行われていたのだ。立派な遺構。

地元の人たちの生活もある
メコン川は、地元の人たちの生活と共にある。対岸には、水上コテージが。

居心地のいいカフェ
日本人が集まるカフェ。どこのカフェやレストランも、いいロケーションで建っている。

息を呑むような夕焼け
いつものレストランで夕陽を眺めた。今日はいい具合に雲が照らされて、メコンの川面には漁の風景。最高のコンビネーション。
コテージの中でダラダラ・・・
コテージの中にはベッドと蚊帳だけ。シンプルそのものだが、居心地は最高。


の滞在している、ラオス南部にあるデッド島、コン島は、バックパッカーに人気のリゾートなのだそうだ。


ふつう日本でリゾートと言えば、白い洗練されたホテルが並び、たぶん人工だろうが白い砂浜、ビーチパラソルにサマーベッドが並び・・・といった具合に、やや豪華で金を使う場所という印象をもつことだろう。

しかし、そこは5バーツ(14円)500リエル(12円)1000ドン(7円)1000キープ(10円)をケチるためなら数十分の苦労も辞さない我々バックパッカーを主な客層にしているリゾートだ。それらの代わりにあるのは、琵琶湖北岸のごとくちょっと濁ったメコン川、竹の壁と茅葺き屋根でできた隙間だらけの簡素なコテージ、そしてその軒下に吊されたハンモックなのだ。

もちろんテレビもない。それどころか電気もない。電気はレストランなどが自家発電で細々と使っているだけだ。水道も電話もない。車も走っていない、というべきか、車の通れる道がほとんどないのだ。バイクと自転車、そして船が交通手段なのだから。
吉幾三も「おらこんな島いやだ~」などと唄うかもしれない。


しかしながらしばらく滞在してみると、時間が非常にゆっくりと流れているようで、居心地は今まで行ったどんな田舎の町よりもいいかもしれない。リゾートにありがちなお仕着せじみたサービスなど、ここには全くない。


朝起きてコテージのバルコニーに出ると、目の前にはメコン川といくつあるのかわからない島々。メコンはゆっくりと流れている。時折バックパッカーや地元の子らが泳いでいたり、でかいタイヤチューブに乗っかって流れていったりしている。私も泳ぎたいところだが、う~ん、水の色を見れば迷ってしまうな・・・。まあ、シャワーや蛇口の水はメコンから汲み上げているので同じことだが。

そしてハンモックに揺られているうちに昼。昼あたりからは、外は炎天下の灼熱地獄と化す。そうなると、もう外に出る気はなくなり、川に面したレストランやカフェでレモンジュースでも飲みながらボケーとする。

夕方になればやっと行動する気力が湧いてきて、その辺を散歩。そして夕焼けが見えるカフェで一緒に泊まっている日本人たちとラオスのビール「ビア・ラオ」で乾杯して、夜まで食ったり呑んだり喋ったり・・・。

ちなみにコテージは一泊15000キープ(約150円)、メシはカオニャオ(蒸かした餅米)に、挽肉にハーブを和えたラオス料理「ラープ」、そしてビア・ラオの中瓶を呑んでも200円くらいで済んでしまう。居心地がいい上に安い。長居の条件は揃っている。

テレビも電気も何もないので、必然的に早寝早起きになってしまう。誠に健康的じゃないか。そう言う意味でも、観光地をまわる長旅の途中でダレてきた時にはリフレッシュするのにもってこいだ。あまり居すぎると脳味噌が溶けてしまいそうで危険ではあるが・・・。


ただ、こんな何もない島でも夜になると、欧米人が集まるディスコやカフェでかかっている音楽の重低音がどこからか聞こえてくるのは如何なものか。


日本人の私にしてみれば思う。このメコン川のせせらぎ、鈴虫の声、時折通るボートのエンジン音、それで充分ではないか。なんでわざわざ俗世から離れたような島に来ているのに、俗世そのもののようなけたたましい音楽で踊らにゃならんのだ?

いっぺんその踊っている欧米人を捕まえて小一時間問い詰めたいところだが、残念ながらそこまでの英語力はないし、あったとしても「それはアンタら日本人との音楽に対する観念の違いだ。そりゃそうと、どうして日本人は政治に不満を持ちながらあれだけ大人しくしていられるんだ?Why?Why?」などと逆に質問攻めに遭うのは御免だ。

まあ、それくらい上手く欧米人と話をできれば、もっと楽しみが広がるのだが。
ここは日本人が少なく、英語が出来ないとどうも決まったメンバーで固まってしまいがちだ。欧米人は島に来た当日の夜にはもういろんな旅人と楽しそうに喋っていて、何とも羨ましいではないか。


しかし、そんなことも翌日にはすっかり忘れ、また例のぬるい空気に包まれてハンモックに揺られているのだが。

鉄道跡をサイクリング
昼からはちょっとアクティブに、サイクリングなぞ出かけることにした。炎天下、昔の鉄道跡を軽快に進む。
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これが宿
デッド島や、隣にあるコン島の宿はほとんどこんなコテージ。ちなみにこの島には電気がきていないので、ロウソクで生活することになる。1泊15000キープ(約150円)と格安で、テラスにはハンモックがある。

そばにあるレストラン
隣接しているレストランもこんな雰囲気。ここでは自動車用のバッテリーから照明の電気をとっている。安くて、なかなか料理もうまい。

コテージのベランダから
コテージのベランダからは、真下に流れるメコン川を見渡せる。子供が遊んでいたり、地元の人が洗濯をしていたり、タイヤチューブに乗った観光客が流れてきたりと、なかなか退屈しない。

島の西側にあるレストラン
島の西側にあるレストランでは、メコン川の向こうに沈む夕陽を眺められる。なかなかの絶景。ちなみにここでは、マリファナの入った「Happy Shake」などのメニューがあった。
人なつっこい女の子
ソンテウの車内で、向かいにお母さんと座っていた女の子。最初はぐずっていたが、そのうち雰囲気にも慣れてきたようだった。


南アジアではバスやタクシーのほか、日本ではお目にかかれない乗り物が道路で庶民の足となっている。

有名なのが、タイなどの街なかで自動車の列を縫うように走っている派手な三輪タクシー「トゥクトゥク」だろう。

「軽快な排気音からその名前がついた」らしいのだが、少なくともバンコクの市内ではみんな自動車をも抜かんばかりの速度で「グゴゴゴー」とエンジン全開にして飛ばしていた。かといって名前が「グゴゴゴー」ではサマにならんし、まあこのまんまでええか。

ほかにも125ccくらいの小さなバイクの後部座席に1~3人の客を乗せて走るバイクタクシー。ピックアップトラックの車内に客を詰め込み、荷台に荷物と車内に入りきれない客を高々と積み上げて今にも横転しそうに走る乗り合いトラックなど、スリリングな乗り物がいっぱいだ。

しかしインパクトでかなりいい線をいっているのが、トラックの荷台に座席と鉄カゴのような屋根を無理矢理溶接したような改造バス「ソンテウ」だろう。


滞在していたラオス東部・サワンナケートからバスで南下、メコン川下流にある「シーパンドン」を目指した。

「シーパンドン」とは、「四千の島」という意味だ。その近辺はメコン川の川幅が非常に広くなっていて、そこに大小4000個もの島が浮かんでいる。その中の「ドンデッド(デッド島)」「ドンコン(コン島)」などは、バックパッカーの中ではちょっとしたリゾートとして知られているのだった。
今日は、そのデッド島への渡し船が発着する「バン・ナカサン」という町へバスを乗り継いで移動するのだ。


えらく年季の入った日野自動車製ローカルバスに揺られ5時間。
昼頃にパクセという町に着き、そこから先のバスに乗り継ぐために、ほかのバックパッカーたちとトゥクトゥクに乗った。バン・ナカサンに向かうバスは、不便なことに10km以上離れた別のバスターミナルから出るのだ。

バスターミナルに着いた。すさまじい砂埃に包まれて着いたそこは、市場らしきテントが林立し、トゥクトゥクやトラックがひっきりなしに行き交っているだけだ。ホンマにバス停か?バスはどこや?
話しかけてきたおっちゃんに訊くと、これがバン・ナカサン行きバスだと指さす。

その先には、1トントラックを改造したようなソンテウが待っていた。

これのどこがバスやねん!?座席は木の長いベンチが縦方向に3本だけ。屋根はあるが、背もたれも、窓ガラスもありゃしない。おいおい。こんなんに3時間以上も揺られてゆくんかい?

一瞬タチの悪いソンテウドライバーの仕業かと思ったが、よく見ると行先票もあって「Van Nakasang」と書いてある。既に乗っていた地元客に訊いてみても、どうやらこれが本当に「バン・ナカサン行きバス」のようだ・・・たぶん。

仕方ない。料金もガイドブックに書いてあるバスのより割高だが、いかんせん2年前のものなので値上げしたのかもしれぬ。また、これに乗らなければ着くのは夜になり、島行きの船がないかも知れない。周りのバックパッカーとも相談して結局これに乗ることにした。背に腹は代えられないのだ。


「もうすぐ出発するよ」と聞いてから50分。次々と乗ってきた地元客で車内がすし詰めと化した13時半、やっと砂埃を巻き上げながら、ソンテウはバスターミナルを出た。

さらに途中で何人かが乗り込み、後ろのステップにも人が立つ大盛況になった。数えると32人。座席は通勤電車の7人掛けくらいの長さに11人が座っている有様で、真ん中の席にも4人座っているから足さえ動かせない。足の踏み場もないとはこの事だ。思わず「ドナドナドーナードーナー・・・」と唄いたくなってくる。

大きな荷物は屋根の上に上げてあるが、座席の下も荷物で一杯だ。スイカが何個も置いてあって、ブレーキを踏むたんびにゴロンゴロンと転がっている。水を入れた袋の中では、いっぱいの魚が狭苦しそうに泳いでいる。座っている若いお兄ちゃんの足の間には闘鶏用のごついニワトリがいて、揺れるたんびに「コーッコッコー!」と不機嫌そうに鳴いている。

おばちゃんの一人は、薬草を噛んで口の中をピンク色にしながら、しきりに外にもピンク色の唾を吐いている。男の子は、運転席の後ろにかじりついて前を見たまんま動こうとしない。お母ちゃんの膝に乗った女の子は、眠ったり食べたりぐずったり笑ったり忙しい。急に停まったかと思うと、何人かが草むらに入って行き、数分後にすっきりした顔で戻ってくる。トイレ休憩もワイルドだ。

なかなか楽しいじゃないか。バスならあまりほかの乗客の様子まで見えないのだが、ソンテウなら至近距離の向かい合わせなので丸見えだ。風は遠慮なく吹き込むが、舗装路なのでダート道のように砂埃まみれになることもない。乗り心地もさほど悪くもないし、そのうち人が降りて空いてくれば案外快適になる。

停まると物売りが集まってくる。ジュースや水、焼き鳥やカオニャオ(蒸かしたもち米)、焼いた虫の串刺しなどなど。
コーラを買おうとすると「ウチのを買って!」と言わんばかりにみんな膝の上に置こうとする。3本もいらんいらん!

結局カオニャオと焼き鳥とコーラを買い、昼メシだ。

おや?みんなニンニクのような球根のような物を食べとるぞ。何やろう?すると視線を察したのか、向かいの少年が分けてくれた。皮をむいてかじると、何やろう?味の薄いリンゴのような、ユリ根のような・・・何とも形容し難い味だ。不味くはない。でもバスなら恐らく興味が湧かなかっただろう。そう考えると、こんな乗り物に乗れたことが、妙に有難く思えてくるのだった。


予想通り3時間後、バン・ナカサンに着いた。こんなカチカチのシートに3時間も詰め込まれていたら相当疲れも溜まるところだが、意外にも足取りは軽かった。今まで乗ったバスと違って、道中も人間ウオッチングで全く退屈しなかったからかもしれない。

4列シートのエアコン付きツーリストバスもいいが、こういう乗り物も無くならないで欲しいと思うのであった。


夜明けのバスターミナル
夜明けのサワンナケートバスターミナル。ラオスでの移動はほとんど一日がかりなので、どうしても早朝発のバスに乗らねばならない。
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トゥクトゥクはジャングルジムのよう
散歩していると、子供たちが休憩中のトゥクトゥクで遊んでいるのを見かけた。ジャングルジムのようだ。カメラを向けると、この笑顔。

ゲストハウス隣の小学校
ゲストハウスの隣には小学校と中学校があって、子供たちがのびのびと遊んでいた。

巻きスカートが何ともいい
中学校には制服がある。シン(巻きスカート)が、なんとも素敵。

カップル発見!
時々、中学校の門あたりで休憩しているのを見る生徒だが、手をつないでの下校姿を発見!!「撮らせて!」と会釈すると照れまくっていた。お幸せに!

ハンモックが気持ち良さそう
町外れに行くと、道もダートになり、一気に田舎になる。道端ではおばあちゃんがハンモックの上で、お孫さんらしい女の子をあやしていた。
この店は安心
いつも朝食をとっているスープ麺屋のお姉ちゃん。ここみたいに安心して食べられる店ばかりだといいのだが・・・。


べ、同宿の日本人たちと4人で、久しぶりに屋台ではなくレストランで夕食をとった。

ベトナム人が経営しているという、バックパッカーには人気の店らしい。

まずまずの味の料理を食べ終わり、そろそろ店を出よう。4人分全部で3万7千キープだ。店のおっちゃんに4万7千キープを渡す。1万キープお釣りが来るはずだ。

しかし、いつまでたってもお釣りは来ない。待つこと約2分。しびれを切らしておっちゃんに聞くと、1万キープ札を差し出しながら「I'm sorry」。


キターー!!ブルータスお前もか!?
これや!まさにベトナム人の店や!ベトナムを旅行中、こんなやりとりを何回したことか・・・。ここラオスのサワンナケートに来ても、その悪夢はおさまっていないのだった。


ベトナムは、あることに関して旅行者の評判が非常に悪い。

それは、金銭トラブルの多さだ。


私がベトナムで遭った例では、レストランなどで先程のようにお釣りが返ってこなかったことが2回。代金を払おうと勘定書を見ると、注文した料理の数が上乗せされていたことも2回。メニュー表がないので値段を確認して注文したのに、何故か請求された額が妙に高かったこと3回。全て文句を言ったので被害はなかったのだが、たった14日間の滞在中でこの有様なのだから。

私の人相が悪いとか、騙しやすそうな顔をしているとかではなさそうだ。ほかの日本人や欧米人も似たような頻度でやられているのだから、偶然でもないだろう。だいたい、偶然で勘定をそんなに間違えるか?

ほかに聞いたのでは、注文していない料理が運ばれてきたり、タクシーで到着直前にメーターを消されて高めの料金を請求されたり、シクロ(三輪自転車タクシー)に料金を聞いて乗ったのに、降りる時には上乗せされて請求されたり、通貨のドンが高額(1円が150ドン前後と、ゼロが異様に多い)なのを利用してお釣りを誤魔化されたりと、枚挙にいとまがない。

ホーチミンで親切な現地人に案内されて呑んでいたらそこはぼったくりの店で、刃物を出されて脅されたとか、明らかに詐欺や恐喝と言える出来事に遭遇した日本人もここに同宿している。


とにかく、気が抜けない。「タダほど高い物はない」と言うが、ベトナムではそれ以前に「タダは有り得ない」と考えた方が良いのだ。


食堂やレストランに入ると、まずおしぼりが配られる。日本ではタダが常識だが、ここでは手にした瞬間、勘定書におしぼり代1000ドン(約7円だが)が書かれていることだろう。また、サービスのようにバナナが置かれていたりもするが、これもサービスである筈はなく、食べた途端同じようにバナナ代1000ドンがプラスされるのだ。

また、食べ終わった頃に店のおばちゃんがチマキのような餅を持ってきてくれたこともあった。日本の感覚なら「デザートをサービスしてくれるとはええ店や!有難く頂くわ!」てなものだが、そんな筈はない。おばちゃんに聞いてみると、やはりこれも1000ドンと、サービスではなかった。


紛らわしいんじゃボケ!いかにもタダそうに置いたり持ってきたりすなっ!日本の串カツ屋のキャベツも同じように置いてあるけど、あれはタダやんけ!


タイやカンボジア、そしてここラオスでもそんな事例は皆無ではないが、ベトナムはケタ違いに多いとのこと。ガイドブックにも注意するようにと書いてあるほどなのだから。

何故ベトナムだけなのか?それというのも、多くのベトナム人は「金持ちからはぼったくっても良い」という考えの持ち主らしいのだ。気持ちは分からないでもないが、累進課税じゃあるまいし、そもそもこんなアンフェアなやり方は気に食わない。

確かに1000ドン上乗せされたところで、我々日本人にとってみれば損失は約7円。端金だが、ベトナムの平均所得からするとそういう訳にはいかない。しかも「日本人は大人しく文句もあまり言わない。それに欧米人みたいに大柄ではないから脅しやすいぜ」などと思われているのだからタチが悪い。悔しいではないか。


対抗手段としては、とにかく値段をよく確認することに尽きる。念のため紙に値段を書かせておくことが望ましい。親切そうな人にはついて行かない。ドン紙幣のゼロの数をよく把握する。ややこしいことになっても「日本人を舐めとったらあかんぞコラァ!!」と言わんばかりに毅然とした態度で抗議する。などといったことが肝要だ。

しかし疲れるなあ・・・何をするにもいちいち値段を確認せなあかんとは。ベトナムはアオザイやノン姿など絵になるし、観光客擦れしていなければいい人が多いし、風景もいいし、悪い国ではないのだが・・・。こんな調子ではベトナムのリピーターは減る一方じゃないか・・・。


ラオスに来て何だか解放された気分になったのは、そんなことを考える必要がなくなったからだろう。非常に残念でならない。

スープ麺
ここラオスのカオピャック(もっちりしたスープ麺)やセンミナーム(細いビーフン)などは、日本人にも違和感のない味付け。それに対して料理、店員とも安心できる店が少ないのがベトナムだった。
ゲストハウスのテラス
「Saisouk Guest House」で連泊している理由がこれ。このテラスは風が吹き抜けて、暑い日でも気持ちがいい。ここでビア・ラオでも呑んでダベっていたら、すぐに夕方になってしまう。

アイスクリーム屋さん
暑い日にはアイスクリーム。子供も大勢群がっていた。アイスクリンのような物と、ネスレのコーンアイスの両方を売っている。

軍用機の残骸
町なかの広場に、軍用機や兵器の残骸が放置されていた。ベトナム戦争の余波を受けて、至る所が戦場となったラオス。のんびりしたこの町にも、その苦難の歴史が垣間見える気がした。

川縁の光景
夕暮れには川縁に人が集まって夕涼みをしている。日本でもどこでも同じだな。子供たちは対岸を眺めて何を思うや?

なんでこんなセパハンにしとんの?
サワンナケートでよく見かけるのが、バイクのようなセパレートハンドルに改造された自転車。サワンに来るまでぜんぜん見かけんかったけど、流行なん?前のサスペンションもギリギリまで縮めて、気分はレーサー?

夕暮れには、漁をする人の姿
川面には、漁をする人たちの姿があった。メコンの魚は、そりゃ海魚に比べれば淡泊だが、意外に美味しい。
これが蚊取りラケット
これが蚊取りラケット。蚊取り&ストレス発散にいかが?


ワンナケートも今日で5泊目・・・


しかしながら、これといった観光地がないこともあって、ゲストハウスでボケーとしている有様だ。たまにメコン川沿いを散歩するくらいで一日が過ぎてゆく。
ベトナムとの急激な気温変化に身体がついていっていないのだろうか。まあ、ベトナムではビザ切れに追われていたのもあるし、そういうことにしておこう。


暇つぶしに、あるモノを買った。
テニスラケットのような形をした、蚊殺し器(?)なのだ。ちなみに近くの商店で4万キープ(約400円)だったから、安い買い物だ。タイやカンボジアでも売っていたな。

コンセントに差し込んで充電し、使う時は柄の部分にあるボタンを押しながら、蚊の居そうな所でラケットよろしく振り回す。すると3枚構造になっている網の部分に高圧電流が流れ、蚊は2枚目の網に引っ掛かった瞬間に感電して「バチッ!!」という、やや大きな音と共に即死だ。単純な構造だが、手で叩き潰したり蚊取り線香で気長に待ったりするよりは高効率な蚊退治が期待できそうだ。上手く作ったものである。

ここのゲストハウスは蚊が多く、夜にテラスで涼んでいる時など鬱陶しくてしょうがない。そこでこれの登場となる。一振りするや「バチバチバチバチ!」と3,4回は鳴る。蚊を追いかけ回して2分くらい振り続けていると、あれだけ飛んでいた蚊が見事に全滅だ。蚊だけでなく、蛾やハエの退治にも有効のようだ。

そのうちまた蚊はどこからともなくやって来るので、鬱陶しくなってくればその繰り返し。きりがないが、我を忘れて振り回しているだけでなかなか楽しいのだ。

ただ、この時の様子はあまり人に見せられたものではない。テニスの素振りと違ってムチャクチャに振り回しているので、かなり間抜けなのだから。しかも「バチバチ!」と音がするたんびに「やった!」と叫んで恍惚の表情を浮かべている(恐らく)のだから。このあたりハエ叩きと似ているが、ヒット率はこちらが遙かに上のようだ。

蚊退治もさることながら、ストレス発散にも結構役立ちそうだと思う。
仲間内で時間を持て余していたら、一定時間内でどれだけ音を鳴らせるか「蚊退治トライアル」などというゲームもできるかもしれない。

これだけ役立つ道具なのだが、日本では見たことがないな。さぞかし大量に買って帰ったら売れるだろう・・・と思いきや、220V電圧にしか対応していない。残念!コンセントの形は日本と同じなので、帰国したら100V対応に改造できるかどうか分解してみよう。

さて、問題は移動の時これをどうパッキングするかだ。ザックに突っ込んでしまえばいいのだが、もうぎっちり荷物が詰め込まれている私のザックに入るかどうか・・・。

どこの町でも、マーケットは楽しい
どこの町に行っても、マーケットは楽しい。半日くらいはすぐに経ってしまう。
ファンキーなチャリダーおっちゃん
ゲストハウスで出会った、とてもファンキーなチャリダーのアメリカンおっちゃん。これから北上するという。もう50歳は超えているやろうに、元気やな~。全身タトゥーに鼻ピアス、そしてこの勇ましい格好。日本人の同年代にこの真似ができるかな?英語の不得手な私たちに、丁寧に分かりやすく噛み砕いて話をしてくれたのが印象的だった。

フランス統治時代を物語る建物1
サワンナケートは、フランス統治時代の遺構が沢山残っている。

フランス統治時代を物語る建物2
これは現役の建物。モダンな造りだ。

SaisoukGuestHouseのフリースペース
この「SaisoukGuestHouse」は、フリースペースがいい。ここでダベっていたら、いくらでも時間は過ぎてゆく。それが原因で沈没しかけるのだが。

メコン川沿いにある屋台
夕食はよく、メコン川沿いにある屋台でとる。魚の塩焼きとソムタム(青パパイヤのピリ辛サラダ)、カオニャオ(蒸かした餅米)、それにビア・ラオがあれば、もう最高。しかも安い。
近代的なムクダハンの町がすぐそこに
サワンナケートの町に沿って流れるメコン川。対岸はタイのムクダハンだ。近代的な町並みがうかがえる。


がつけば、ラオスのサワンナケートに着いてもう3日目が経とうとしているではないか。


予定では、今朝にはビエンチャン行きのバスで発っていた筈なのだが・・・まだここにいる。
「こんな何もないところで一体何をしとるんや?」と言われるかもしれない。まさに「沈没状態」になりかけている。


サワンナケートは、ラオスの中南部にある、一応「ラオス第二の都市」だ。

しかし着いてみれば、「え!?これが?」なのだ。ベトナムのフエやホイアンはもちろん、カンボジアのシェムリアプの方が都会では?と思わせられるほどのんびりした空気が漂っている。

高層ビルなどありゃしない、というべきか、3階建て以上の建物さえほとんど見当たらない。日本で言えば北海道あたりの「市」ではなく「町」や「村」の中心部のようだ。道も半分くらいは舗装されていない。そこをバイクや車が時たま通り、アヒルや、ヒナを従えたニワトリが闊歩しているといった何とも牧歌的な「第二の都市」なのだった。


この旅の最初の計画では、ベトナムを更に北上し、ハノイから中国の雲南省、そしてラオス北部から中部をまわってタイに戻るということだった。ここに寄る予定はなかったのだ。

しかしホイアンまで北上した時点で、最高気温10度台というあまりの寒さに震え上がる羽目になり、ハノイや中国はもっと寒いという話まで聞いてしまった。防寒着も薄手のものしかなく不安なので、フエから西に逃げることにしたのだった。まさか東南アジアで厚手フリースやダウンまで必要だとは思わないではないか。


その計画変更は奏功して、とりあえず寒さからは逃れられたのだ。


しかしながら今度は暑い!暑すぎる!フエから更に北にあって標高も高いというのに、気温は毎日30度を超えている状態。何故だ!?今日などゲストハウスの部屋の中は37度まで上がり、蒸し出されて外を歩こうにも灼熱地獄で、結局日陰のテラスでほかの日本人と雑談しているだけで終わってしまった。

寒いとやる気がなくなるが、あまり暑くても同様だ。熱帯や亜熱帯に先進国が無い訳が分かるような気がする。


この町は観光客もほとんど素通りしてしまうらしく、通りを歩いていても外国人にはほとんど出くわさない。付近にこれといった観光地もないのだから、当然かも知れない。

しかしながら、こういった町こそ、その国の素朴な原風景のようなものに出会えるのだ。商店や屋台などでも英語は通じにくいのが難点だが。

町はずれの市場に行ってみた。
観光地の市場のように片言の英語や日本語で話しかけられることもなく、品物を見ていても店のおばちゃんらは地元の人への対応に忙しく、我々観光客の相手などしてくれない。これならふっかけられることもなさそうだし、何よりも落ち着いて品物を吟味できる。気が楽だ。まあ、値段を聞いてもさっぱり分からないラオ語で返ってくるので、値引き交渉にメモ用紙と電卓が必要ではあるけど。

歩いていれば子供たちが「あ!外人さんや外人さんや!どない挨拶しよ?」というふうに相談して、中の一人が「サバイディー」と声を掛けてくる。相談していた割には「ヘロー」とかでないので拍子抜けだが、なかなか純粋で気持ちいい。こっちも「サバイディー」と返せば「通じた通じた!」とばかりに喜んでいる。やっぱり観光客慣れしていない子供は可愛らしい。


夜、夕食を食べに、ゲストハウスの近くを流れるメコン川の川縁を歩いた。
対岸には隣国タイの町、ムクダハンの夜景が広がっている。向こうは地方の一都市に過ぎない筈だが、ビルが沢山建ってネオンも見える。街灯の数も明らかに多い。サワンナケートよりは明らかに都会なのだろう。

一度向こうへ渡って、同じように子供や市場を観察し、景色や夜景を見てみたいものだと思う。どれくらい違って映るのだろうか。

国境を流れるメコン川
イミグレからは、国際船という名に似つかわしくない、小さな渡し船が発着している様子が見下ろせた。

簡素なイミグレと、大勢待つトゥクトゥク
簡素なイミグレだが、タイに面しているだけあって人や物の流れは盛んだ。客待ちのトゥクトゥクがずらっと並んでいる。
サワンナケートの子供は笑顔がいい
旅行ガイドブックによれば、サワンナケートはラオス第二の都市だそうだ。しかし歩いてみると、なんとものんびりした田舎町である。子供も観光客擦れしておらず、素朴な笑顔がいい。

屋台の周りは放し飼いの鳥だらけ
朝食は、同泊の日本人に誘われて近くの屋台に行った。カオピャック(やや太めのもっちりとしたスープ麺)が、あっさりとして美味。しかも3000キープと安い。屋台の周りでは、雛を大勢連れたニワトリやアヒルが闊歩している。

タイとは少し違うトゥクトゥク
タイでよく見たトゥクトゥクだが、ラオスのは少し形が違っている。小さい方はバイクの面影を残していて軽快だ。大きい方は自動車用の大排気量エンジンを積み、人間や荷物を沢山乗せて自動車顔負けの走りをする。

過積載トゥクトゥク
市場から出てくるトゥクトゥクは、どれもこれも買い出しの人たちでいっぱい。屋根まで荷物で満載だ。

パワフルなお父ちゃん
子供を荷台に2人、ハンドルにも1人乗せ、落ちないよう腕で抱き抱えながら走るお父ちゃん。何となく心が温まる。

ラオス側国境で発車を待つバス
ラオス側国境・クロンで発車を待つオンボロバス。ちなみに左端のお姉ちゃんは、かわいい顔してガメツい両替屋。しつこく「途中でキープ(ラオス通貨)必要になるよ」と、レートの8割以下で両替させようとしやがる。


日は、ここベトナムのフエから、ラオスのサワンナケート(サバナケット)へのバス旅でだ。


国境越えも要は「慣れ」だろう。日本への出帰国を加えればもう6回目だ。出入国カードの書き方などは国ごとに流儀があるものの、もう書くことのパターンも分かってきた。陸路での3時間待ちもあったし、もうどんと構えていられる。

あとの不安は、目的地まで順調に進むか否かということだ。言葉の通じない一般路線バスを乗り継ぐのはリスクが多いので、いつも旅行会社が運行するツーリスト専用バスを使うのだが、これが期待通りにいかない。
私が経験した2回のパンクなどまだいい方で、エアコンも椅子も壊れたバスで炎天下のダート道の移動とか、突然目的地の手前で運行打ち切り、待っていたバイクタクシーに高額で乗り継がされたとか、時々ろくでもない話を耳にするのだ。


さて、今回は「全行程ツーリスト専用バスで、国境での乗り換えはなく一本で行ける」と申し込んだ旅行会社にちゃんと確認しておいたのだ。にもかかわらず、朝6時過ぎに迎えに来たのはちょっと古めのワゴン車だった。話が違うやないかコラァ!今回も何となくいやな予感がしてきたで・・・。

どうやらその日国境を越えるのは、私を含めワゴンに乗っている7人だけらしいのだ。う~ん、確かにこの人数でバスを出せと言うのは酷かもしれん。別に椅子やエアコンが壊れてはいないので、まあ良しとするか。

ワゴンはやはり豪快に追い抜きながら、途中のドンハを通過し、国境のラオバオへの坂道に入る。

このあたりの風景も、日本とよく似ている。平地には水田が広がり、山岳地に入るとそれが小規模な棚田になる。そしてぽつりぽつりと農家らしき家。時々集落がある。

そのうち山も険しくなり、道も細くなって峠越えのような様相になる。舗装路なのが幸いだ。しかしながらこんな道でもどんどん追い抜きを掛けながらぶっ飛ばすベトナムの運転は、はっきり言って恐怖である。いつか事故起こすぞ・・・。

9時半に、山間の国境に到着した。所要3時間とは、思ったより速いな。これならイミグレが混む前に通過できそうだ。

出国手続きもすぐに完了。そして歩いて国境を越える。ラオスのイミグレでも入国手続きとビザの取得はあっという間に済んだ。なんだか拍子抜けである。こっちの国境越えは物資輸送の車が多いせいでえらく時間がかかるらしいのだが、今日は車も全然いない。こりゃ結構早くサワンナケート入りできるかもしれんな。

今回はそれほどイミグレの建物の違いにもびっくりせず、両替屋のお姉ちゃんとブタがたむろしてるだけの静かな国境だった。


これは順調だと思いきや、だ、。ラオス側で待っていたのはツーリストバスでもワゴン車でもなく、どう見ても普通の路線バスにしか見えない古めかしいエアコン無しバスであった。

またも話が違うやないか!!あの旅行会社のおやじを連れてきて締め上げたいところだが、恐らくそこは取次店に過ぎないのだろう。バスを出している会社があって、いくつかの旅行会社がその予約を取り次いでいる。それなら「全行程ツーリストバスで、国境での乗り換えはなしか?」という質問にも「Yes」でしか答えようがないだろう。せっかくあちこちの旅行会社をまわって確認したのに、意味がないではないか・・・

我々の背負っているでかいザックは、屋根の上に他の荷物と一緒に積まれてしまう。大丈夫かいな?もし落っこちたら、二度と手元には戻るまい。
車内はまだがら空きだった。これは不幸中の幸いだ。陽が当たらなくて乗り心地の良い席を取れたのだから。


2時間近く待たされ、やっと出発だ。


こんな古めかしいバスだが、これでもツーリストバスであってほしい・・・と抱いていた僅かな希望は掻き消された。

このバスは紛れもなく普通の路線バスだった。我々7人の他は、全て地元の人たちなのだ。車内は何を言っているのか分からないラオ語の会話が飛び交い、何とも騒々しい。

おまけにしばらくすると運転手が、ラオスかタイの歌謡曲らしい音楽を大音量で流し始めるではないか。おいおい、ただでさえやかましいのに、まさか眠気覚ましか!?乗客もそれをうるさがる風でもなく、さらに上回るようなボリュームで喋っている。やめてくれ~!と言いたいところだが、そのラオ語も分からない・・・。

満員だが、途中でまだまだ人は乗ってくる。通路には補助席代わりのプラスチック椅子が置かれ、運転席の脇にも人が座っている状態だ。まともな席に座れたから良かったものの、もしこんな所に座らされていたら「金返さんかコラ~!!」と暴れ出していたかもしれない。ただローカルバスではこんな満員状態も珍しくはなく、たまに補助席代わりにハンモックを吊すこともあるそうだ。


こんな調子で、私も初めのうちはうんざりしていたのだが、そのうちこの雑然とした雰囲気が楽しくもなってきた。これも先日乗った列車と同じで、ツーリスト専用バスでは味わえないのだから。

途中の集落で停車して屋根上の荷物を降ろしたり、そのたびにジュースを持った物売りの子供たちが乗り込んできたりもする。走っている最中に後ろの方から「×△○~!」と声がして急停車。乗り過ごした人が走ってきたり、なかなかローカルな風景が繰り返されている。
車窓には、またベトナムとも違うジャングルが広がり、時々簡素な木造の家がある。カンボジアに近いかもしれない。

バスは綺麗に舗装された道を快走する。話に聞いていた未舗装悪路は1年くらい前までの話で、今の道は山岳路ながらベトナムの国道みたいに立派である。未舗装路も面白かったかもしれないが、やはり舗装路の旅は断然楽だ。

サワンナケートには17時に着いた。所要4時間半。以前は6~7時間かかっていたらしいから、舗装路の偉力だろう。


とりあえず「もう旅行会社の言うことは信用せんぞ!」と思ったバス旅であった。

フエのゲストハウス内部
フエの「VangCanhHotel」インサイドシャワートイレ付き、ツインで7ドル。寒いのに、シャワーの温度がすぐ下がるのは難点。しかし部屋は広い。

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下町の駄菓子屋にて
路地にあった駄菓子屋にて。


、書こうとしたのだが、訂正したい。「観光地のガキは可愛くねえ!」と。


ベトナムは、タイに次いで東南アジアの中では豊かな国だ。

そのせいか、カンボジアのような瞳のキラキラした子供と出会わない。日本ほど澱んだ眼ではないが、欲しい物が手に入り、何でも見慣れて好奇心が失われかけた眼をしている。塾に通って遊び時間もゲーム機に没頭するようなことだけにはならないで欲しいと思う。


ホイアンの旧日本人街やフエの王宮近くで見かける子供は、ホーチミンのような都会で見かける子供に比べるとまだ生きた眼をしているが、どうもタチがよろしくない。外国人と見るや、すぐ集まってきて「Hello!Hello」と言いながら物をねだるのだ。

物乞いの子供はカンボジアでも沢山見てきたが、ベトナムの子供はきっちりと学校の制服など着ていて綺麗な身なりをしている。きっとカンボジアと比べものにならない満足な生活をしているはずだ。それなのに物をねだるとは何事!

しかもねだるだけならまだしも、持っている食べ物を強引に奪っていこうとさえする。何すんねん!くれくれ言うだけやったら、やろかいう気になるけど、とったら泥棒や!お前らにはやらへんぞ!

ホイアンのガキどもは学校帰りか知らんが、何か食べながらも、私が持っていたミカンをくれくれと言う。お前今食うとるやんけ!それ先に食うてから言え!欲張りな糞ガキだ。しかも半笑いで私を見上げるのだが、どうにも可愛くない。
フエのガキどもは、泥遊びで汚れたズボンをなぜか差し出しながら、持っていたキャラメルをくれという。そのズボンは何や?代わりを買うてくれとでも言うんか?ズボン以外は綺麗な身なりをしとるやないか!お母ちゃんにキャラメル買うてもうて洗濯してもらえ!


そういう子供らは目つきも悪い。外国人を、金か食い物が歩いてるようにしか見ていないのが丸わかりである。


また聞くところによると、ベトナムの観光地で子供の写真を撮ったら大勢群がってきて、しつこくつきまとわれて金をせびられることも多いらしい。

何もかもカンボジアと比較してしまうが、あちらの子供はもっと純真そうやったぞ。しつこくないし、生活のためなのか眼が真剣だ。もっと可愛げもあったし。こっちのように外国人をからかっているような素振りはなかったではないか。下手に豊かになると、子供たちも堕落してしまうのか。


憮然としながら、フエの下町に行った。ガイドブックには「古い街並みが残っている」ぐらいしか書いていなかったが、普通の街を見てみたかったのだ。観光地に辟易していたのもある。

すると、そこではベトナムの普段の生活が広がっていた。バイクや自転車が行き交い、アオババを着てノンをかぶったおばちゃんが荷物を担いで歩いている。観光地のようにバイクタクシーやシクロもしつこく声を掛けてこない。歩いていてなんと気が楽なのだろう。

そして子供たちも外国人を物珍しそうに眺める。時折微笑みながら手を振って「スィンチャオ」とベトナム語で声をかけてくるくらいだ。ゴム跳びをしている子にカメラを向けると、恥ずかしそうにポーズを取ってくれる。もちろんその後も「何かくれ」みたいなことは言わない。何よりも眼が輝いている。こんな子供たちを見たのは久しぶりだった。


だいぶ救われたような気がした。やはり外国人慣れしていない地域の子供たちはこうなのだ。観光地だけをまわってその土地や人を判断してはいけないということがよく分かったのだった。


路地で遊ぶ子供たち
路地で遊ぶ子供たち。
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ちょっと後ろから失礼します。
ちょっと後ろから失礼します。


日ホーチミンで、日本人がアオザイを着たとしてもいやらしくなるだけだとこのブログに書いた。
ところが案外そうでもないことが分かったのだった。


ベトナム中部の町、フエ。
ここは旧王宮が世界文化遺産に指定されてはいるが、それ以外にはこれと言った見所が少なく、あまり観光地化もされていない素朴な街だ。

その広い王宮をひとしきり見て、休憩していた時だった。

まだうら若き女性が二人、前を通った。それぞれピンク色と薄い水色のアオザイを着ている。それだけなら別に珍しくも何ともないのだが、顔がどうも日本人ぽい。おまけに髪も茶色で、これはどう見ても観光客に違いない。

そしてさらに様子を見て(けっして尾行したわけではない)いると「地球の歩き方」なぞ取り出して見ているではないか。間違いない。しかし日本人でアオザイを着ている人を見たのは初めてだった。


話しかけてみると、大学の卒業旅行で来ているとのこと。アオザイはハノイでオーダーしたそうだ。


お世辞ではなく、お二人ともスリムなせいか全然違和感がない。かなり似合っている。しかもスケベ心をそそられる(失礼)ようなこともなく、実に自然でもある。

日本の風景の中で着ていたら違和感を感じるだろうが、ここベトナムなら日本人のアオザイ姿も大いに結構ではないか、と思ったのだ。
ごつい欧米人が着ていても、案外似合うかも知れない。民族衣装が似合うか似合わないかは、着る人よりも周りの風景に左右されるのではないだろうか。

土地や風景と一体になった衣装。例えば郷土料理も、その土地に根付いてきた食べ物だ。その風土を象徴しているし、その土地で食べる方が断然旨い。
そう考えると「身土不二」といういう言葉が改めて思い出されてきた。


そこで一旦分かれたが、帰りに宮廷料理のレストランでばったり再会してしまった。

そして、シクロ(三輪自転車タクシー)の兄ちゃんにつきまとわれているというので、宿の近くまで送ってあげることにしたのだ。
レストランを出るとすぐさまシクロやバイクタクシーが寄ってくる。付け入る隙も与えないように「No!ThankYou!」を連発して足早に立ち去る。

やはり観光客のアオザイ姿というのは注目を浴びるらしく、他の観光客に写真を撮られたり、たまに地元の若者に痴漢まがいのこともされたという。実際、帰り道のほんの20分くらいの間に、バイクで抜きざまにお尻を触ってゆくけしからん輩が2人もいたのである。「バカー!」と片方が怒鳴っていた。

男どもには、やはりスケベ心をそそられる衣装なのだろうか?


フエの王宮の外壁
王宮を取り囲む城壁はそのまま残っていて、その門は普通の生活道路になっている。
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只今修理中
峠の途中で修理中。もう何時間も止まっているようだ。いつ動き出せるやろう?お気の毒に・・・。


不知とは、富山県と新潟県の県境で、北アルプスの急峻な山がそのまま日本海に突き出て終わっている。海のそばまで山が迫っていて、鉄道も道路も蛇行しながら断崖にへばりつくようにして通っているのだ。
越中と越後の境。風土や文化の境でもある。


今回東南アジアに来て、タイ、カンボジア、ベトナムと一回も山らしい山を見ていなかった。バスも鉄道の車窓も、平地に広がるジャングルや畑ばっかりで、少々飽きていたのだった。

ところが今日、ホイアンからフエという町にバスで移動する途中に、どえらい峠越えがあったのだ。海のそばまで山が迫り、まさに親不知越え。しかもこのハイバン峠はベトナムの風土と文化を南北に分けているという。フォー(ベトナムのスープ麺)のだしの色が変わったり、ベトナム語の訛りも違ったりするのだろうか?


ホイアンからバスで2時間。左側から急に山が迫ってきて、道路も鉄道も海側ぎりぎりまで追いやられると、いよいよ「しょうがねえ。登るべ」と言った感じで峠越えが始まった。

坂は特別なほど急ではない。日本の一般的な峠道とさして変わらないと思う。そしてベトナムを南北に貫くメインの国道らしく、コンテナを積んだトレーラーやトラック、バスなど大型車が多い。

2車線で登坂車線もないので、遅い車に追いつくと相当なノロノロ運転になるが、そこは運転の荒いベトナムだ。すぐさまクラクションを連発して、ブラインドコーナーであろうがお構いなしで抜きにかかる。おいおい、こんな山道で正面衝突は後免やぞ!しかも道の片側は貧弱なガードレールしかない断崖なのだ。

「ベトナム中部で、邦人旅行者を乗せたバスがトラックと正面衝突。バスは崖下に転落し、乗客乗員は全員死亡と見られる」という新聞記事が頭をよぎる。

時々、何台かが続いて抜こうとした時に対向車が来て、運良くぶつからずに止まれたものの道が詰まって団子状態になったりもする。まさに交通ルールなど無いも同然のようだ。怖いが、この秩序のなさは見ていて何となく楽しい。


しかしながら、眼下には南シナ海と、ジャングルの中をクネクネと蛇行しながら通る線路。そして後方には南部の海岸線と登ってきた道路が見えて、なかなかの絶景だ。曇っていて海は綺麗に見えないのが少々残念でもある。


30分ほど登ると、標高600mのハイバン峠だ。ガイドブックには大抵のバスがここで休憩を取ると書いてあるのに、このバスはスルーしてしまう。え~!?ちょっとくらい休憩してもええやんか~!景色の良さそうな峠やのに~!


今度は延々と続く下り坂になるが、登りの道よりもやや狭くて急だ。おまけに登りには1カ所しかなかったヘアピンカーブもあっちこっちにあって、日本にあったらさぞかし峠族の溜まり場になるだろうな。しかしここでは車が後輪を滑らしていたり、あのカブのようなバイクを倒し込んだりして峠を攻めている風景には一向に出会わない。

その代わりにやたらと出会うのは故障中のトラックとバスだ。みんな車輪に石を置いて止め、エンジンルームを開けて何やら考え込んでいる。バスの乗客も周りに集まって心配そうに見守っていたりする。もしここで日が暮れたらどうするのだ?
やはり日本と違ってマメに整備をしていないのだろうか。日本の峠で故障車を見ることなど稀なのだから。

ただ、その故障車があるたんびにえらく渋滞しているのだから困る。誰かが交通整理していればそれでもスムーズに通れるのだが、早いもん勝ちと言いたげに、速い車から故障車の横をどんどんすり抜けるのだ。前に加速の遅いトレーラーなどがいると、それがいつまでも通過できずにつっかえる羽目になるではないか。譲り合いの精神ちゅうのを持とうや!ホンマに!

とかなんとかしているうちに下まで降り、峠越えは終わった。

そこには山が近くまで迫り、青々とした水田が広がる風景があった。ヤシなど南国の樹は少なく、日本の風景のようである。
確かに峠の前はもっとジャングルのある南国的な風景だった。風土が変わった表れだろうか。あとはフォーの味をチェックしてみよう。ベトナム語は分からんので。


13時。いかにも静かな地方都市、フエに着いた。

快適だが、寒い・・・
ホイアンの「MyChauHotel」。ダナン駅からバイクタクシーに乗ったら、自動的にここに連れてこられた。しかし清潔だし、なかなか良かった。これで、かつインサイドシャワーもあって8ドル。冷房もあったが、暖房が欲しいほどの寒さだった。あと、アリには要注意。
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福建会館
ホイアンは世界文化遺産だけあって、歴史ある街並みだ。しかし、主要な建物を巡るとなると、なんと7万5千ドン(約520円)で5つの施設を入場できるチケットを買わねばならない。こっちの物価からすれば信じられん価格設定だ。
そうして入った福建会館は、その名の通り完璧に中国風。しかし今日もどんよりした曇りで、全く絵にならん・・・。

蚊取り線香みたいだが、ちゃんとした線香
なんでこんなに蚊取り線香がぶら下がってるんや?と思いきや、別に蚊を取るためではなく、ふつうの線香とのこと。中国式は何でも派手やなあ。

いい感じの建物がたくさん残る
いい感じの建物がたくさん残る。しかしたまに崩れそうなのもあるぞ・・・。

ちょっと派手すぎる色では?
時たま、壁を淡い黄色や水色やピンクに塗っている建物もある。う~ん、昔の写真にあるような、くすんだ壁の色ではいかんのかなあ。

川縁にはひっきりなしに船が
トゥボン川には、ひっきりなしに船が発着している。対岸とを結んでいるらしいが、いつも人や自転車やバイクが満載だ。よほど便利なのだろう。

汚い川だが・・・
漁をしている風景も見られる、が、少しドブの臭いさえするこの川だ。大丈夫なのだろうか?
ホイアン名物の焼きそば
期待しつつホイアンまで北上してきたのに、天気は悪く、しかも寒い。なんでアジアで気温17度しかないのだ?
と言う訳で、今日はとりあえず名物を食べることにした。これはホイアン風焼きそば「カオラウ」。7000ドン。伊勢うどんのルーツだという説もあるが、何でこれがあの甘辛うどんになるの!?
ともあれ、リーズナブルで旨い。

やはり名物の揚げ餃子
名物の揚げ餃子。皮がパリパリして香ばしい。

これがホビロン
ホイアン名物ではないが、「ホビロン」はアヒルの卵を孵化する途中で食べる。噂通り、ゆで卵と鶏肉の両方の食感がした・・・。ふと見ると、形成しかけの血管のような物が・・・。ちと勇気がいりそうです。
ごつい客車列車や貨物列車と行き違う
ごつい客車列車や貨物列車と行き違う。普通列車も相当走っているようだ。


が覚めた。

窓の外を見ると、どこまでも広がる平原だ。時計を見ると14時過ぎ。おばちゃんもまだ熟睡中のようだ。ちょっと先頭まで行ってくるか。

ソフトベッド10号車は2段寝台なので、ベッドに座っても頭の上は余裕がある。ベッド幅は60センチくらいか。窮屈なほど狭くはない。ただ欲を言えば各ベッドにカーテンが欲しいところ。廊下は話し声もあまり聞こえず静かだ。やはりちょっと上級・・・ふうな雰囲気かもしれない。
しかし9号車冷房付ハードベッド。8号車冷房無しハードベッド、7号車冷房ソフトシート、6・5号車ソフトシート・・・と先頭車に近づくに従って、だんだん雑然とした庶民的な雰囲気に満ちてくる。

ハードベッドの部屋の中ではおばちゃんらが寝転がりながらトランプに高じていたり、話が盛り上がっていたりしてやかましい。かと思えば6人とも爆睡中の部屋もあったりする。ほとんどドアが開け放しで、口をあんぐり開けたおっちゃんの寝顔も丸見えだ。気にしない気にしない。

ソフトシート車は、かなりリクライニングが利いて座り心地も良い、日本の特急列車のような4列シートだ。ほとんどの人は起きていて話に夢中だが、しかし日本で言えばグリーン車。どことなく落ち着いた空気が漂っている。

そして4~1号車ハードシートは一両を除いてクッションもない木製の4人向かい合わせ席で、これはもう街なかのような喧噪だ。人垣が出来て議論の最中だったり、段ボール箱を開けて自分の商品を勝手に売ってしていたり、席を4人分占領して横になっていたり。また、車内販売のお姉ちゃんがここで立ち往生していた。結構繁盛しているようだが、客との世間話にもかなり忙しいらしい。

私が通ると、一斉にみんな固まって見送ってくれる。一度はここに乗ってみたいのだが、それこそ「何で外国人がここにいるんだ?」というような視線を浴びるに違いない。ちょっと怖くもある。

しかしながら冷房無しは結構辛い。かなり暑いし、窓からも熱風が吹き込んでくるようだ。暑期など外国人は苦行になるだろう。そのせいか、冷房車ではほとんどの人が気持ち良さそうに寝ている。
あと、シャワー室などという気の利いた物はなかった。トイレも垂れ流し式で、綺麗とは言えない。日本の鉄道が特別なのだろうが。


満足して部屋に戻る。車窓は相変わらず変化がない。平原の中に時々民家と道路、丘のような小さい山が見えるだけなのだ。海も見えないし、峠越えもない。どうも退屈になってきた。


16時半。やっと一つ目の駅に停車だ。
列車は昔ながらの手動扉なのだが、開けようとしても開かない。すると車掌が「ハイハイ、どいてどいて!」と手で合図して、ドアの下に掛かっていた南京錠を取り外した。なかなかの安全対策だ。でも窓の金網といい、列車強盗の対策とちゃうか?などと考えてしまう。

乗り降りの客はまばらだった。でも列車交換があって、ハノイ方面から青白赤に塗り分けられたスマートな客車列車が到着したではないか。「SE1」と書いてあって、これぞ最速の特急なのだ。ただ、窓越しに車内を見た限りでは、さして高級ではないようだ。車両が新しいから綺麗に見えるだけかも知れない。


17時。外も薄暗くなった頃、いきなりテーブルの上に、パックが乗っかったトレイと水入りのペットボトルが置かれる。
ベッド車は簡単な食事が出ると聞いていたが、これか?夕食にしては早すぎはせんか?後で食べようと置いておくと、おばちゃんや車掌が「早く食べろ」みたいなゼスチャーをするのだ。まだそないに腹は減ってないのだが、しゃーない。食べるとするか。
パックを開けると、ご飯、高菜のスープ、青パパイヤと豚肉の炒め物、何か分からない肉の煮物だった。う~ん、機内食よりもシンプルだ・・・。まずくはないが、ちょっとボリューム不足か。どうせなら食堂車を繋いでいてくれると嬉しいのだが。

夜も更け、星明かりと僅かな家の灯だけという漆黒の中を、時々行き違い停車しながらも列車は走る。
しかしながら、思っていたほど乗り心地は悪くない。スピードも速い時は90キロぐらい出していて、しかも旧型の車両なのにだ。これなら大阪近郊の新快速の方が遙かに揺れる。


20時頃、ドアを叩いて車内販売がきた。ちなみに車掌と同じ服装をした男の人だ。お粥はいるかと言う。5000ドン(30円)。あんな時間に夕食をとったものだから、小腹がすいてきている。頂くとするか。「チャオ・タップカム」という具の少し入ったお粥で、なかなか旨い。しかしなんで今頃お粥なんだろう?夕食は1回で済ました方が効率いいのに。こちらの食生活はそうなのか?

食べ終わって一息ついたところで、向かいのおばちゃんも寝始めた。そろそろこちらも寝るとするか。明日は7時41分着なのだ。寝坊したら終わりだ。


翌朝、周りがやかましくなり、6時半には目が覚める。

既に朝食がテーブルに置かれている。開けてみると炒めたビーフンだった。これもまずくはないが、「旨い!」と言えるほどの料理はやはり期待できんのか・・・

車窓にはやっとジャングルが広がる。
しかし窓を開けると寒い!暑すぎるホーチミンから少し北に移動しただけなのに、フリースが必要かと思う寒さだ。少し不安になってくる。防寒着はあまり用意していないのだから。

そして8時20分、ベトナムの歌謡曲みたいなのがけたたましく流れると、それから到着の車内放送が始まった。やっとダナンに到着だ。

サイゴン駅を少し小さくしたようなダナン駅に降り立つ。
思わす身震いするほど寒い。駅を出ると、すぐさまタクシーやバイクタクシーのおっちゃんが群がってきた。ちょっと値切ってみて、一番安かったバイクタクシーに乗ることにした。目的のホイアンはここから1時間弱だ。


それにしても到着40分遅れか・・・。日本は律儀だなあ。どんな長距離列車でも定刻きっかりに着くのだから。あと車掌さんのラフな格好と丁寧とは言えない対応、トイレや洗面所など車両全体の汚れと、ドアがきしむといった整備具合などなど、日本の鉄道の鉄道の優秀さを再確認した旅でもあった。

ただ、この列車で見た雑然とした雰囲気は、日本ではもう味わえなくなった。スピードと利便性を追求した結果、のんびりしたローカル線や客車列車、汽車旅の醍醐味ともいえる寝台車や食堂車が次々と消えていったのだ。
子供の頃に乗ったことのある夜行の鈍行列車を思い出した。ちょうどこの列車のような雰囲気だったと思う。あんな牧歌的な汽車旅は、もう日本では出来ないのだろうか。

朝食はソーメンの炒め物。う~ん、やっぱし質素
朝食はソーメンの炒め物。沖縄のソーミンチャンプルーにそっくりだが、う~ん、やっぱし質素。

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