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よいよラオスともお別れだ。
メコン川を眺めていると、長い間いたラオスからいよいよタイに戻るんだなーという感慨のほかに、無数の想念が湧いては消えてゆく。
カンボジアからベトナムに移動した時を思い出した。余所者の勝手な希望だとは分かっていても、この東南アジア最貧国の一つが、いつまでも発展し過ぎず素朴なままであれと願ってしまう。
ともあれ、ラオスはおすすめだ。途上国にありがちな治安の悪さとは無縁だと思ったし、タイほどではないが公共交通(バス)も利用しやすい。宿にも困ることはない。あとは体力の勝負だな・・・。

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泊まっている「Friendship GuestHouse」の屋上からは、フェイサイの町並みと、メコン川の向こうに広がるチェンコンの町が見渡せる。

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ラオス出国のスタンプを押す時が来た。今まで通過してきた場所と同じように、これまた簡素なイミグレの建物。やはり緊張感などは全く感じられない。

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あっさりと出国手続きも終わり、メコンの川縁へ降りてゆく。待っているのはサワンナケート~ムクダハン国境の渡し船とも比較にならない「国際ボート」だった。

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さらばフェイサイ。さらばラオス。必ずや、また訪れるぞ。

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対岸のタイ・チェンコンには、またもや立派なイミグレがそびえている。

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ものの5分くらいのボートトリップを終え、タイに上陸する。「GATE TO SIAM」と書かれた門が出迎えてくれた。入国手続きはあの立派な建物ではなく、門の後ろに見える小屋だった。手続きはあっさりと終わり、窓口の係官に思わず「コプチャイ(有難うのラオ語)」と言ってしまうと、すかさず「コプチャイはラオスで終わりだ。ここはもうタイだからコープンカップだよ。Have a Good Trip!」と係官氏はニヤリ。そうだった。コープンカップからカンボジアではオックンチュラウンになり、ベトナムではカームオンだった。いつも国境を越えてしばらくは混乱していたが、今回は完全に頭の中がラオスモードになってしまっているだけに、矯正には時間がかかりそうだ。もっとも、タイ語とラオ語は似ているので、通じないことはないらしいが。

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すぐさまトゥクトゥクを捕まえ、バスターミナルに向かう。メーサイへと先を急ぐためだったが、のんびりしたチェンコンの町並みを見ると、一泊ぐらいしても良かったかな・・・と思わないでもなかった。まあ、また来るだろう。その時は、メコン川沿いの見晴らしのいい宿にでも泊まろう。

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メーサイ直行のバスはないので、チェンセーン経由か、チェンライ(チェンラーイ)経由かになる。結局すぐに出るチェンライ行きに乗った。道路の良さ、バスのステンレスむき出しの無骨さが、タイに取ってきたことを実感する。ドアを開けっ放しで走るのもタイならでは。そう言えば、ラオスではどんなオンボロバスでも必ずドアは閉めていたな。不思議と言えば不思議。

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地方都市、それでもラオスに慣れた眼には大都会に見えるチェンライに着いた。バスは地方路線らしく年季が入っていたが、乗り心地は悪くなかった。

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混雑しているチェンライのバスターミナル。北部の交通の要衝だけのことはある。

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またバスを乗り継ぎ、タイ最北端の町であるメーサイに着いた。こっちのバスターミナルは静まりかえっていて、真ん中で犬が寝そべっているという具合。

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ホテルにチェックインして一息つくと、また屋上に上がってみる。今朝と同じように国境を眺めるためだ。しかしここから見るのはラオスではなく、ビルマ(ミャンマー)。写真中央に見える茶色い屋根のすぐ後ろに、国境線の小川が流れている。その向こうは、カンボジア、ラオスと並ぶ東南アジア最貧国であり、今も軍事政権の独裁と圧政にあえいでるミャンマーだ。
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真っ茶色になったザックを手に、しばしどうしようか考える。


オスを8年くらい前に放浪したことのある友人からメールが来た。
「今までのブログを読んだが、ラオスはそんなに道が良くなったのか。俺が行った頃なんてダートばっかりで、舗装道路は珍しかったぞ」


ラオスに限らず、東南アジアの道路の進歩はめざましい。
私は直接見比べたわけではないのだが、今持っている2002年度情報のガイドブックで「ひどい悪路」「振動と土埃のダブルパンチ」などと散々な紹介のされ方をしていた道でも、いざ通ってみると立派な舗装路になっていて拍子抜けしたことが何度かある。カンボジアのシェムリアプ~コンポントム間や、ベトナム~ラオス国境越えルートなどだ。

僅か2~3年でかくも変貌するものか・・・カンボジアの道路は中国の援助で、ラオスの道路は日本のODAによって整備されたはずだ。我々の税金がこの国の発展に貢献しているのだ。それはいいとして、中国人はカンボジアにビザ無し入国ができるのだから、早く日本人もビザ無しでラオスに入国できるようにならないものだろうか。

また、援助も大切かもしれんが、それ以前に日本国内の財政が火の車だということを分かっておるのかね?小泉純一郎君!と小一時間問い詰めたくもなる。まあ、そこはぐっとこらえて、ともかく楽に移動できるようになったことを喜ぼうではないか。

ただ、中には「ラオスらしさが無くなる」とか、ビエンチャンのセクシーワンピースの彼女が言った「ラオス南部は道の変化がなくてつまらない」という意見もあって、旅の楽しみという点では味気なくなっているのかもしれない。


今日はラオス北部のルアンナムターから、メコン川を挟んでタイと向かい合う国境の町、フェイサイへと向かう。いよいよ、合計1ヶ月半もいたラオスの旅もラストスパートだ。

2年前のガイドブックでは所要9時間とのことだが、今は舗装もされているだろう。

恐るるに足りぬと思ってバスターミナルへ行くと、待っていたのは20人乗りくらいのマイクロバスであった。

気分は一転、嫌な予感がする。
ラオス国内でここまで、長距離の移動はボロいなりにも大型バスだったのだ。それが辺境の地とは言え、国道を走るのがいきなりマイクロバスになるとは、恐らく大型バスが通行不可能な狭路なのではないか。
これから走るのは国道の3号線だが、日本と違って番号の若い国道が必ずしも立派でないことは、これまでの旅程でよく分かっている。覚悟せねばなるまい。

ザックを屋根上に預けて乗り込む。発車まで1時間以上もあるが、ほとんどの席は既にバッグが置かれていて、窓際で空いているのは最後尾しかなかった。
もしこれから走るのがダート道だとすれば、最後尾は乗り心地が悪い上に土埃が押し寄せてくる。しかし通路側の席は暑い上に肘掛けがないので居眠りもできず、しかも急カーブの連続では身体を常に踏ん張らなければならない。
こんなバスに冷房などある筈もなく、灼熱地獄になるか埃まみれになるかという苦渋の選択だが、写真も撮れるので窓際を取った。もちろん陽の当たらない側で。後は野となれ山となれ、だ。

さて、時間つぶしにターミナル内を散歩するか。

ただ、ラオスのバスはいつ発車するのか分からないので安心は禁物だ。大型バスはまだ比較的「正確」で、最悪でも定刻の20分遅れぐらいのものだが、こんなマイクロバスやソンテウは満席になれば定刻30分前でも発車し、客が集まらなければ席がある程度埋まるまで待つらしいのだ。
実際、数日前にこれと同じバスで出発する日本人を見送ったのだが、発車は30分以上も遅れた。これなら壁に貼ってある「Time Table」に「May be」と付け足した方がいいのではないか。定時運行などという概念は無いに違いない。

屋根のある東屋みたいな待合所を囲むようにして、南部行きの大型バスと、北部行きのソンテウがそれぞれ何台も顔を並べていた。
その間を縫って、アカ族の土産物売りおばちゃんたちが外国人を追いかけ回している。また、ビエンチャンまで向かうバスは、屋根の上にバイクを10台も積んでいるではないか。1台100kgとして1トンだ。どうやって積んだのかも甚だ疑問だが、そんな重石を屋根上に積んであのクネクネ道をあの運転で爆走すのだろうか。想像したら寒気がする。どうか横転しないようにと他人事ながら祈るばかりだ。

まあ、何だかんだと言っても、そんなラオスとも明日でおサラバだ。先進国タイに行ったら、こんな牧歌的な光景は見られないのだから。もっとも日本に比べたら十分牧歌的なのは間違いないのだが。


バスの周りが騒がしくなってきた。屋根の上に積んだザックや荷物にはカバーが掛けられ、積み込みをしていた人も降りている。時計を見ると8時半。出発は9時の筈だが、今日は満席になったから出るのか。ホンマ気が抜けんなあ。

乗り込むとすぐに発車した。危ない危ない。乗客のほとんどは欧米人バックパッカーだ。みんなこれから延々と続く旅路がどんなものになるかなど知る由もなく、ひたすら陽気にはしゃいでいる。

ルアンナムターの町を徐々に離れてゆくが、予想通りというべきか、やがて舗装路は途切れてダート道になった。
その道もだんだん細くなって、やがて1.5車線、急勾配と急カーブの連続する本格的な山越えルートになってきたではないか。あっちこっちで道の付け替え工事をしているのを見ると、どうやらこの国道3号線は、やっとこせ舗装に着手したばかりのようだ。こんな主要な町に近い所でも工事中なのだから、これから先も舗装が完成している望みは薄いな。こらしんどい旅路になるわ・・・。

頻繁に出会う工事のダンプカーは凄まじい土煙を巻き上げながら坂道で前につっかえるし、散水車はバスが横を通ろうが関係なしに水を吹きかけてくる。暑いので窓を開けていてもそのたんびに閉めなければならず、それでもどこから入ってくるのか、土埃でみるみるうちに全身が真っ茶色になってくるのだ。フェイサイに着く頃には一体どうなっていることやら。それにこれだけ工事していては、ひょっとしたら9時間で着かないのではないだろうか。心配になってきた。

バスは、日本の林道よりも荒れているようなヘアピンカーブだらけの狭路をノロノロと走ってゆく。今までの舗装路バスのようにブッ飛ばしたり無理矢理追い越したりはしないので恐怖は少ないが、この震度7クラスの地震のような揺れと、まるで洗濯板の上を走っているかのような振動にはうんざりしてくる。

しかしながら、景色は今までの道に負けず劣らず、変化に富んでいて飽きない。
森を抜けたかと思うと、水をたたえた水田地帯。もうもうと煙を上げている焼き畑を見たり、急坂を登った後には山の尾根道のような絶景路に出たりと、ラオスの原風景とも言える景色が車窓の右へ左へと繰り返されてゆく。道は細くなったり太くなったり。川を超えるにも橋などほとんど架かっておらず、そのままザブザブ川を渡ってゆくというワイルドさだ。

途中、いくつかの少数民族集落を通り抜けた。
今までよく見たような木造の家が集まっているが、いくつかの村には電線が張り巡らされて衛星テレビ用のパラボラアンテナも立っているし、電線が無い村でも半分くらいの家には小さいながらもソーラーパネルが備え付けてあったのにはびっくりした。大きさからして照明くらいにしか使っていないようだが、こんな山奥にも文明の利器は確実に浸透している。そんな風景と民族衣装を着た村人たちとの対比が印象深かった。

また、子供たちが遊んでいた手を止めて、砂漠に立っているミーアキャットの群れのように何故か直立不動でこちらを見送る。物乞いをするわけでもなし、そんなにバスが珍しいんか?毎日見とるやないか。見られているこちらは、何だか護送車で運ばれる囚人のようだ。あまり気分のいいものではない。

集落の一つにあるオンボロ食堂で昼食をとり、再び走り出す。

さて、ルアンナムターを出てもう半分くらい来ている筈だが、舗装路はただの一度も現れることはなく、舗装工事中の現場ばかり続くだけではないか。

まったく、工事中の道路というのは下手なダート道よりもタチが悪い。あちこちで迂回を強いられるし、またその迂回路ときたらバス一台が辛うじて通れる程度の幅で、しかも路肩は今にも崩れ落ちそうなのだ。場所によってはひどくぬかるんでいて、その度に泥水の池の中をタイヤ半分まで浸かりながら最徐行で通り抜けてゆく。ぬかるみにハンドルを取られでもしたら最後で、まるで綱渡りをしているみたいだ。

運転手さん、アンタは飛ばし屋ではないようだが、くれぐれも頼んますぜ・・・こんな山奥でズルリといって斜面を落ちたら、恐らく次の日まで発見されんだろうから。それにぬかるみでスタックしたり、今まで何回もあったようにパンクしたりしたら、到着がいつになるか分かったものではない。

そう祈っているそばから、ぬかるみでスリップしてヒヤリとする。先ではダンプカーが断崖の路肩ギリギリで横転して積荷の砂利をぶちまけているし、シャレにならんぜ・・・頼むから無事に、暗くなるまでに着いてくれ・・・。やはりラオスのバスには心労がつきもののようだ。


陽も沈みかけ、揺れと振動と心労で乗客の顔にも疲労の色が濃くなってきた17時50分、やっとのことでフェイサイの町外れにあるバスターミナルに着いた。所要9時間20分。あれだけ徐行したにしては上出来だ。

バスから降りても、まだ振動が残っている。ずっと座っていた筈だが、まるで何か運動をしていたのではないかというくらい全身が疲れた。

以前、F1ドライバーの中嶋悟が出て「この首は重力の5倍に耐えている」と言っていたサロンパスか何かのCMがあったが、確かに凄まじい横G(カーブの遠心力)と縦G(振動と揺れ)に9時間も全身耐え続けたのだ。8耐(8時間耐久レース)よりも1時間長い。よくやったと労ってあげてもいいだろう。もうフラフラだ。

屋根上に上げておいたザックを受け取ろうとしてさらに脱力した。案の定土埃にまみれて、元の色が分からなくなるくらいに真っ茶色なのだ。周りのバックパッカーたちも必死になってはたいているが、そんな程度で綺麗になるわけがない。
まあ、全身も土埃まみれなのだから同じことだ。早くゲストハウスにチェックインして、バサバサになった頭から、服もザックも何もかも洗いたい。カメラも掃除せねばならないし、疲れているのに今夜はなかなか寝られそうにないな。


はっきり言おう。ラオスを旅したいなら早く行った方がいい。舗装化などの開発によって今のような原風景が失われてゆくということもあるが、こんな移動ごとに疲れ果てるような旅は、なるべく若いうちにしておいた方がいいに違いないからだ。


数回に渡ったラオスの路線バス旅は、いろんな意味でラオスという国を身近に感じられた。

揺れと振動、固いシートに窓の動かないオンボロバス。屋根上に荷物を満載して横転しそうになりながら山賊の出没する山岳路をブッ飛ばすバスは恐怖で寿命が縮まりそうだったが、通路にプラスチックの椅子を並べて座らせたりハンモックを吊したりする満員バスや、通路や座席の下まで荷物だらけで、しかも乗客を乗せたまんまその荷物や郵便を配達するバスは、バスがラオスの生活を支えているということをよく表していた。
そして運転手のかける大音響の音楽や、道ばたの草むらトイレ、赤ちゃんが泣き出しては運転手が叱ったり周りの乗客があやしたりする光景など、生活の息遣いと乗客乗員全体がまるで運命共同体にでもなったかのような妙な一体感があった。

すべて、カンボジアやベトナムで主に乗っていた、旅行者だけのツーリストバスでは決して味わえなかったものだ。

そしてそんなラオス最後を締めくくるバスは、悪路を延々と9時間も走る土埃まみれのマイクロバスだ。ラオスのバス旅は今回の長い旅の中でも特に記憶に残る、というか、身体が覚えている旅になるだろう。ツーリストバスより疲れはするが、断然楽しい路線バスの旅であった。

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バスの発車までに市場を散策する。ここもムアンシンに負けず劣らず少数民族がたむろしていて、布売りもよく見かける。たぶんタイで買うと高くなるだろうから、ここで押さえておこう。
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境の町・ムアンシンにやってきて3日になる。

もっと滞在したい所だが、残念ながら今日にはルアンナムターに戻り、明日にはタイ国境であるフェイサイに着かなければならない。というのも、ビザが今日を含めてあと3日しか残っていないのだ。ムアンシンのすぐ近くには中国への国境があるのだが、そこは外国人は通過できない。だから、オーバーステイを避ける為にはここから最も近い場所にあるフェイサイ~チェンコンの国境を通ってタイに出国するのが最善の策なのだった。
後ろ髪を引かれる思いで、最後に市場散策とゆく。

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早朝の午前7時前。すでに朝市は盛況だった。他の多くの市場と違って、ここは屋根のない青空市場だ。

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売っている物は、昼の市場とそう変わりはない。ラオス北端で中国も近いだけあって食べ物は中華料理系も多く、旨そうだ。

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付近で採れたらしい新鮮な野菜も多い。我々日本人には、何なのか分からないので買うのには躊躇するが。そこにいるのはアカ族のおばちゃん。

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一昨日、このおばちゃんらにお金を要求されたのだった。しかしお金を渡してまで撮りたいような被写体ではなかったので、遠方からスナップ程度に。

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市場には、布売りのおばちゃんらがずらりと並んでいる。

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なかなか味のあるおばあちゃん。しかし商売はしたたかで、なかなかまけてくれない。

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このおばちゃんのように、黒ターイ(タイダム)族はこの辺りの少数民族の中ではにこやかで絵になる人が多かったような気がする。

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「MuangSing GuestHouse」は、中心街にあって便利。ツイン、インサイドシャワーで25000キープ。中心街と言っても、こんな田舎町だから静かで過ごしやすい。

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約3時間弱でまたルアンナムターへ。バイクツーリングで見た通り、ここも少数民族のるつぼだ。バスターミナルのすぐ近くで、薪(?)を背負って歩くのはランテン族の人たち。
オスの人々は、かなり素朴だ。

少なくともタイ、カンボジア、ベトナムと渡り歩いてきた身にはそう見える。
タイほど文明に毒されておらず、ベトナムほどお金にガツガツしていない。カンボジアと並んで東南アジア最貧国のひとつに数えられているのに、物乞いもいないし、貧しそうに見えない。

しかしながら、いい加減さではこの4国で一番かもしれない。いい意味でも悪い意味でも。


例えば、食堂などに入って注文をする。
すると店員はそこでは一応勘定書らしき紙に書くのだが、食べ終わって代金を払おうとすると、いつの間にか自己申告制になっている場合が多いのだ。客が何を食べたのかを店員に言ってお金を払う。別に店員も勘定書と照らし合わせるわけでもなく、言われるままに金額を出している。

「客が何を注文したか全部憶えとるんや。凄いなー」と最初は思ったのだが、どうやらそうではないらしい。一回だけ野菜炒めを申告し忘れていた、というか申告したつもりが通じていなかったことがあったのだが、結局何も言われなかったのだ。後で妙に安いと気付いたのだが、時既に遅し。払いに戻るは不可能に近い状態だったので「まーええか・・・」となってしまった。言っておくが、故意にゴマかそうとしたのではない。

普通に勘定書を持ってきて金額を言ってくれる店もあったが、金額を間違えていることが時々ある。こんなことはベトナムで多々あったが、ラオスはほとんど金額を「安く」間違えているのが違う。「あれ?計算したより安いな」と思うことが多いのだ。ベトナムではほとんど毎回「お前、絶対わざとやってるやろ!?」と問い詰めたくなるほど金額が上乗せされていただけに、ラオス人の金銭への執着のなさが感じられる。

シーパンドンやここムアンシンのような田舎でも、ビエンチャンやルアンパバーン(ルアンプラバン)のような都会でもそんな様子なので、これは国民性なのだろう。ベトナム人が旅行者に「いい人たちなんだけどねー、金さえ絡まなければ・・・」と言われるのとは対照的だ。

あと、物への執着も多分ない。

シーパンドンのコテージに隣接していたレストランで朝食をとって、戻ろうとした時だ。
入り口に脱いで置いておいた筈の、連れのサンダルがない。安物のビーチサンダルだが、なくなると困るのだ。横のハンモックで子供と遊んでいた店のおばちゃんに訊こうとすると・・・アンタの仕業やったんか!

おばちゃんに言うとすぐさま謝ってきて自分の物らしいサンダルに履き替えた。しかしそれを見ると同じようなビーチサンダルだが、色が全然違う。何で間違えるのだ?

その後別のレストランで夕食を取った時も、また同じように連れのサンダルが行方不明になった。その店の人や客に「アンタのどれ?」と訊いてみた結果、残ったのはやはり似ても似つかぬサンダルだ。しかし履いていたのより少し造りが上質で、ひょっとしたら高い物かも知れない。履き心地も前のよりいいと言うことで、結局それを頂戴することにした。
帰る途中、レストランの娘とすれ違って軽く挨拶を交わした。彼女の足元を見ると・・・今度はオマエか!

また言おうとしたが、今履いている物の方がいいので黙っておいた。恐らく、みんなサンダルなど似たようなものなら共同使用しているという感覚なのだろう。そう考えると、このサンダルも元々誰の物なのか分からなくなるのだが。


バンビエン(ワンウィエン)では大雨が降っていたので、傘を差してレストランに出掛けた。
で、傘立てがなかったので隅の一角に置いておいたのだが、気がつくとレストランの従業員(家族なのだが)が客席と厨房との往復に使い始めているではないか。勿論彼らの傘もあったのだが、それと一緒くたに使われている。

自分らのがあんのやったらそれ使えや!と言いたくもなったが、彼らのことだ。悪気は全くないに違いない。単に自分に近いところに置いてあった傘を手に取って差しているだけなのだ。見ていてもそうらしい。
そのうち私の傘を差して店の外にも出掛け始めた。おいおい、それはちょっと・・・。ちゃんと返してくれるんやろな?サンダルの時みたいに、違う傘になって戻ってくるんではあるまいな?

結局ちゃんと私の傘が手元に戻ってきたのだが、まあ適当というかいい加減というか・・・。


「ドラえもん」のジャイアンの決まり文句は「人の物はオレの物、オレの物はオレの物!」だったが、こちらでは「人の物はオレの物」されど「オレの物も人の物」と言う感覚なのだろう。

ほかにも、食事を注文すると、隣の店から材料を借りてきて作り始めたこともあったし、逆に材料を持って行って隣で調理して出してきた時もあった。またある店で、探していたTシャツを置いていないか訊くとおばちゃんが「ウチにはないけど、隣にはあるよ」とその店に走っていって交渉を始めることもあった。
町全体があたかも下町の長屋のようだ。「ちょっとあれ貸して」「ちょっと使っといてええ?」とかいうやりとりが恐らく日常茶飯事なのだ。


最近は日本も長屋が少なくなり、私の住んでいるような下町でも、隣同士で物の貸し借りをすることなどほとんどなくなった。日本では物に不自由しなくなったからだ。そして自分の物にも名前を書くなどしてちゃんと管理している。

いいことだろうが、何だかドライに感じるのは気のせいだろうか。

その「自分の物は自分で管理する」という感覚が「自分の物さえ管理しておけばいい」になって、他人の物や共同の物をぞんざいに扱うようになっている。物だけでなく、自分の子供だけを可愛がって他人の子供には無関心な親も増えている。自分のテリトリーの外に存在するもの全てへの関心が薄れてきている。それが今の日本の姿なのだと思う。

そう考えるとラオス人はいい加減だが、裏を返せば大らかで、助け合いの精神が失われてないなー、と改めて感じるのだ。


今日も宿のテラスで、サワンナケートで買った「蚊退治ラケット」で遊んでいると、宿の娘が「ちょっと貸して!」と当たり前のように持って行ってしまった。そして自分の家の蚊を追いかけ回している。

まあええやろう。これも助け合いである。ちゃんと返してくれさえすればな。
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この衣装は黒ターイ(タイダム)族。家にお邪魔させてもらう。布を買うということもあって入らせてもらえたのかもしれないが、それほどこれ買えあれ買えとも押し付けず、終始にこやかに穏やかに接してくれた。その前に行った別民族の集落では凄まじいほどの押し売り攻撃に遭っただけに、印象に残った。果たしてこの差は民族性の違いなのか、それとも観光客擦れの程度なのか・・・。


本は、単一民族国家だ。


正確に言えばアイヌ民族や、太平洋戦争時に日本に連れて来られた朝鮮半島の人たちもいる。南西諸島の人たちもルーツは異なるらしい。単一民族と言うのにはやや語弊があるが、一応はそういうことになっているようだ。
だから、町なかでチマ・チョゴリなどの民族衣装を見かける機会などほとんど無いし、仮に見かけたとしてもそれが自国に存在している文化だとは簡単に認識できないだろう。島国だという閉鎖性がそうさせているのかもしれない。

対して海に面していないラオスは、超がつくほどの多民族国家だ。流入してきたベトナム系や中国系も含めると実に百以上の民族がひしめき、それぞれが独自の文化を堅持している。


昨日ルアンナムターからソンテウに乗り、ラオス北部、中国との辺境に位置する小さな町ムアンシンにやってきた。

町の周りには山岳少数民族の集落が点在していて、町なかでも様々な民族衣装を目にすることができるという。銀色のアクセサリーがいっぱいついた帽子を常にかぶっているアカ族、藍染めのシンプルな衣装を着て、大人の女性は眉を剃り落としているランテン族、髪の毛を頭の上に巻き上げているタイ・ダム族など、ソンテウを降りて宿までの道を歩いている間にも見つけることができた。朝の市場にでも行けば、買い出しに来ているたくさんの少数民族と出くわすことができるだろう。


写真を撮りまくっている私にとって格好の被写体だらけの筈のムアンシンだが、ちょっと心配事と言うべきか、引っかかっていることがあった。
ここ最近、観光客のマナーが問題になっているという。民族衣装を着た人たちに無遠慮にカメラを向けたり、生活圏の中に土足で踏み込むような真似をしたりして、かなりひんしゅくを買っているそうなのだ。

確かに自分たちがもし「大阪人という民族はお好み焼きという食物と阪神タイガースという野球のチームをこよなく愛し、事あるごとに民族衣装であるそのチームのユニフォームを着て、道頓堀という川で沐浴するのを習慣としている」などとロンリー・プラネットで紹介されていて、外国人から「オー、ハンシン、キテ、ドウトンボリ、オヨイデ、クレマセンカ?」などと珍しげにカメラを向けられるのは気分のいいものではない。ましてや家の中に入られるようなことがあっては腹も立つだろう。

何かトラブルにでもなるとコトだし、私もそこまでして写真を撮るのは気が引ける。されど、虎穴に入らずんば虎児を得ず。そんなことを気にし過ぎてはいい写真も撮れないという意見もあって難しいところである。十年ほど前に世界中で物議を醸した「衰弱した少女を狙うハゲタカ」の写真ほどの問題ではないが、「撮るべきか、相手を尊重すべきか」という悩みは尽きない。

あ~、せめて現地語が喋れたら「ちょっと撮らしてもうてええ?いや~、ねえちゃん美人やから、日本帰ったらファッション誌に紹介しよう思て。ギャラ?勘弁してーな」くらいに冗談も交えて友好的交渉ができるんやけど・・・おれって結構小心もんかもしれんなあ・・・こらナンパするくらいの心構えで行かねば。


宿に長いこと滞在している日本人の女性が、近くにある少数民族の村へ布を買いに行くというのでついて行くことにした。

カメラを構えた外国人と見るや即座に嫌な顔をされるのではないかと最初は思っていたが、とりあえず「写真を撮っていいか?」という言葉は分からないのでカメラを指さして笑いかける。すると、それを見て周りから子供たちが次々に集まってくるではないか。で、取り終わったデジカメ画面を見せると大喜びで、僕も、私も、という勢いだ。そのうち普段の服装で家事をしていた周りの大人までもが、撮ってくれと民族衣装に着替えてきたりもして、こちらの方が戸惑ってしまう。無遠慮にカメラを向けるまでもなく、向こうの方が乗り気なのだ。

もちろん全員そういうわけではなく、中には恥ずかしがって奥に引っ込んだり、手を振って断ったりする人もいたが、それほど嫌がられることもなかった。授業中の小学校にもお邪魔したのだが、先生も「どこから来たんだ?」という具合に友好的に接してくれた。布売りの人たちに囲まれることもあって閉口したが、案外これなら簡単に撮影できるかも知れない。


しかし、順調に進んだのはここだけだった。後は観光客に晒され続けた結果のムアンシンを目の当たりにすることになる。


翌日、早起きして朝市に行ってみた。

朝市は予想通り少数民族が集まってきていた。しかし、やはりというか、民族衣装フル装備の人たちは少ない。そりゃそうだ。Tシャツと巻きスカートの方が生活に便利なのは間違いないのだから。その中でも比較的民族衣装で固めているおばちゃんたちにカメラを向ける。すると「○△×ー!」と、親指と人差し指で輪を作って差し出してきた。どうやら「私らを撮るならお金をくれ」と言っているらしいのだ。

何だか「萎え~」だ。外国人たちは気前よく金を渡しているのかもしれないが、アンタら、ひょっとしたら観光客から金もらうためにわざわざ衣装を着てるんとちゃうか?どこぞのアイドルが「事務所を通して下さい」言うてるんやあるまいし、欲張りにも程がある!誰が撮ったるかいボケ!

しかしそうなると、なかなか絵になる人がいない。店のおばちゃんたちは、物を買うついでにカメラを向けると気前よく撮らせてくれたが、一般の通行人はそうはいかないようだ。

フル装備のアカ族の若いお姉ちゃんが歩いていたので頼むと、少し困ったような顔をして手を振った。やはりダメか。絵になったので、いっそのことお金を渡して納得させようとも思ったが、やはりそれは気が進まぬ。いろんな雑誌やホームページなどに載っている写真も、みんなお金を渡して撮らせてもらっているのだろうか?こちらも仕事として撮る必要があるのなら割り切れるのだが・・・。

宿の前で喋っていると、赤いマフラーのような布を巻いたヤオ族の若い女性が通りかかった。ヤオ族の人を見るのは初めてだ。急いでカメラを持って向かい、カメラを指さして笑いかける。向こうもニッコリ笑ったのでOKかと思うと、そのまま「ダメダメ」と言わんばかりに手を振り、舌を出してアッカンベーをしてきたのであった。
思わず苦笑した。お金などを要求されると気分も悪いが、これなら「まあ、しゃあないなー」と思ってしまう。

どうやら少数民族の人たちもみんな、完全に観光客のあしらい方を身につけているらしい。こっちが遠慮するまでもなく、あっちの方が一枚も二枚も上手だった。残念!いい絵を撮り損ねたわい。


いろいろな反応を見せられたが、中でもお金を要求されたことがずっと引っかかっていた。ただ、これも考えようかも知れない。


民族衣装というものは今やどこの国でも衰退しつつある。特に山岳民族のそれは凝った刺繍や飾り物がついていて、日常生活には不便だろう。日本の和服も同じだ。一人で着るのは至難の業だし、汚れなどにも気を遣う。だいいち、町なかを歩いていても和服姿を見かけることなどほとんどない。

しかし、日本観光に来た外国人に、その姿を一回も見ずに帰ってしまっている人がかなりいるとしたら、これは我々日本人にしても残念なことじゃないだろうか。折角はるばる来てくれたのに、日本の誇るべき大切な民族衣装に触れてもらえなかったということなのだから。

それならば、たとえ手を加えたり再現したりしてもいい。和服姿の人がいる風景がもっとあったらと思うのだ。それが日本の伝統を維持してゆくということにもつながるのではないか。また、私がもし日本を訪れた外国人だったとしたら、多少お金は払っても、多少作り物だったとしても、全く見られないよりはマシだと思うだろう。

伝統を維持してゆくのには努力が必要だ。そう考えると、たとえあのアカ族のおばちゃんにお金を渡したとしても、それで民族衣装を着続けてくれるのなら納得してもいいのではないか。民族伝統の維持と、民族衣装の人たちがたむろするというムアンシンの景観保持に役立っていると思えば、腹も立つまい。


カンボジアのアンコール遺跡で観光案内をしてきた少年たちにチップを渡したこともあったな。目の前のモヤモヤが晴れてくるような気がした。

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別な民族の村へ。ここは、みんな写真を撮られることには好意的で、子供から大人まで、撮ってくれとばかりに集まってくる。しかしお金を要求されることも、布を売りつけられることもなかった。

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のルアンナムターものんびりしていていい雰囲気だったが、ここからバスで3時間の所にあるムアンシンという町に行くのがそもそも北上してきた目的だった。どうせムアンシンから、この後に向かうタイ国境のフェイサイまで行くにはここに戻ってこなければならない。なら長居をするのはムアンシンから戻ってきてからでいい。

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宿のすぐ目の前にはバスターミナルが。ムアンシンまで向かうのはバスではなくソンテウだという。時刻表を見ると1日に6本も出ているので、急ぐことはない。昼12時に出るやつに乗ろう。

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思わず撮ってしまったトラック。むき出しのエンジンとベルトが何ともスパルタン。

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「Keosouphone GuestHouse」は、バスターミナルや市場のすぐ前にあるのですごく便利。1階は食堂になっているが、ここも含めルアンナムターには中国系の人がやっているレストランが多い。そのせいか、メニューも中華料理が多く、しかも旨い。

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ソンテウに揺られて3時間弱、国境の町ムアンシンに着いた。降ろされたのはマーケット横の空き地。ここまで来るとバスターミナルのような大がかりな設備もないのだろう。ちなみにこの道路を進むと、程なくして中国との国境に行き当たる。
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バイクは小型だが、それでも最高の気分。


ー、バイクに乗りたい!

旅に出てから3ヶ月が過ぎ、そろそろ禁断症状が出始めていた。ハーレーやBMWとは言わん。スクーターでも、カブでもええ。とにかく走りたい。


私は日本国内では、冬場を除いてもっぱら250ccのオフロードバイクで旅をしている。

鉄道や公共交通機関では常に時刻表とにらめっこしながら予定を立てなければならず、行動範囲も限られるからだ。
かといって自動車は小回りが利かないし、ひとたび渋滞に捕まるとひたすら我慢の連続になる。大学時代は自転車にキャンプ道具を積みこんで走ったものだが、この歳になると悲しいことに向かい風や果てしなく続く坂道に立ち向かってゆく体力と根性もない。

苦労と費用と行動範囲と得られるモノとを秤に掛けて、一番バランスのとれた移動手段がバイクなのだと思う。

長時間走ればケツと股間の感覚がなくなるし、雨の日は危険な上にひたすら不快感と闘わなければならない苦労もあるが、何よりも、晴れた日に風を切って走る快感、風景と一体になれたかのような感覚も、バイクならではだろう。

アジアの各国は、まさにバイク天国だ。道には自動車よりも遙かに多いバイクが行き交っている。

しかし、いざそれを借りるとなるとどうもレンタバイク屋の数が少なく、結局どこの国でも乗っていない。そもそも、ほとんどの観光はレンタサイクルやツアーで事足りて、わざわざバイクを使うまでもないのだから。
そしてこちらの交通マナーのひどさも思い知らされていたので、バンコクやビエンチャンのような交通量の多い都会では、怪我したら?保険はあるのか?警察や医療機関は大丈夫か?などと考えると怖くて乗る気にならなかった。せっかく国際免許も取ってきたのに勿体ない話だ。


さて、ここルアンナムターにはレンタルバイク屋が2軒あるという。交通量も少ない田舎町だから安全だろう。付近の少数民族の村を訪れるのにも便利だし、久々に乗ってみるとするか。

まず一軒目に行って品定めをする。1日5ドル。1台だけ残っていたのは東南アジアでおなじみのホンダ・ドリームⅡ110。ホンダが世界に誇るスーパーカブの兄貴分だ。ところがその絶大な信頼性を否定するかのように、何とリアブレーキがスカスカではないか。おいおい、滅多に壊れんカブでもこの有様か。どんな整備をしとるんだ?

渋っていると店の兄ちゃんが「修理してくる」と言ってどこかへ乗って行ってしまったが、んなもん待ってられるかい。次の店へ行こう。


二軒目は「LIFAN」と「LONCIN」とかいう聞いたことがないメーカーの110ccが1台ずつ。片方は今度はフロントブレーキがスカスカだ。全く効かない。店の兄ちゃんはニコニコしながら「ボー・ペンニャン(ラオス語でノー・プロブレム)!」と繰り返すのだが、どこがやねん!ペンニャンあり過ぎやがな!こんな砂の浮いた道でリアブレーキだけ使うたらすぐロックして転けるやないか!

もう片方も外装があちこち割れていて、かなりくたびれている。何となく不安だ。しかもこの店は1日6ドルで頑として下げない。隣は5ドル言うとるで!ホンダより安もん(多分)やのに何で高いねん!そんなん誰が借りたるかボケ!

交渉決裂。たった1ドルのために一軒目に戻る。でも修理終わってるやろか・・・。


さっきの兄ちゃんが「見て見て!」とばかりにブレーキペダルを踏んで見せる。さっきから10分くらいしか経っていないのに、もう直っとるやないか!何ちゅう早業!よっしゃこれに決めた!と喜び勇んで燈火類をチェック。左後ろのウインカーが点かないが、そのくらいはボーペンニャンだ。しかしホンマにレンタル専用車か?いつもの足に使ってるんがたまたま空いてただけとちゃうんかい?

あれ?車体のステッカーは「HONDA DreamⅡ」なのに、よく見るとエンジンの刻印は「LIFAN」だ。何じゃこりゃ?

ハハァ・・・タイからベトナム、ラオスまで、バイク屋ではよく車体に貼るステッカーを売っとったが、この為やったんか・・・。日本でも、車にステッカーやオプションパーツをやたらゴテゴテと貼り付けたがる輩がいるが、見栄の張り方はどこの国でも似たようなものだな。

それにしても本家のドリームⅡにそっくりやなあ。これもどこぞの国によるコピー商品だろうか?本田宗一郎さん、カブが世界中でコピーされてる現状をどない思います?


ヘルメットの貸し出しはなかった。もっとも、ラオスでは9割くらいは被っていないように思う。着用義務もないのだろう。いつもならノーヘル運転は怖くてしょうがないが、どうせスピードも出ないし、時速40キロくらいでのんびり行こう。

また、すぐにガソリンを入れてくれと言う。確かにメーターは下に振り切っているので、こちらでは満タンにして返すなどという決まりはないらしい。いかにもラオスだ。すぐそばのガススタまで行き、どうせ燃費はいいので5000キープ分だけ入れる。ちなみにリッター68円と、こちらの所得水準からすればかなり高い。

やっと準備は整った。恐る恐る走り出す。以前カブの50に乗っていたので自動クラッチやロータリー式変速には慣れているのだが、やはり道が怖く感じる。何と言ってもここは日本と違って右側通行なのだから。

ちなみにタイは左側通行だ。なぜ隣り合った、言葉もある程度通じる国で通行方向が違うのかと思ったが、これはラオスやカンボジア、ベトナムがフランスの植民地だったことと関係がありそうだ。フランスや欧米諸国は、イギリスを除いて右側通行なのだから。タイはどの国の支配も受けなかったので、左側通行のままなのだろう。

余談ながら、通行方向に応じて自動車は右ハンドル左ハンドルの区別があるのに、何故バイクや自転車のスタンドは左にしかついていないのだ?

右側通行の道では、必然的にバイクより車道側にまわって乗り降りしなければならない。これは危険だ。自動車のハンドルが常にセンターライン側なのは死角の少なさなどから当然だと思うが、それと同様に、常に歩道側から乗り降りできるよう右側スタンドのバイクや自転車を作ろうと思った奴はおらんのか?


そんなどうでもいいことを考えながら、田んぼの中を抜けるダート道を走ってゆく。交通量も少なく、時々同じようにのんびり走っているバイクとすれ違うくらいだ。

今日は快晴。おかげでとんでもなく暑いが、気持ちがいい。周りの景色はどこまでも広がる田んぼ、ぽつぽつと建っている高床式の家、低い山々。川では子供らが水遊びをしているし、道にはシンを巻いたお姉ちゃんやおばちゃんに混じって牛や、雛を従えた鶏がのんびり歩いている。ここまで牧歌的な風景は北海道でも見たことがない。

たまに自動車やトラックがすさまじい土埃を上げてゆくが、都会で排気ガスにまみれるより数段ましだ。ここ数年で急速に舗装が進んだとはいえ、主要道路以外はまだダート道だらけなのだから。

どうもさっきから、すれ違う人たちがこちらをじろじろ見る。おかしいな。欧米人と違って日本人は顔立ちも背格好も現地人に近いのに、なんで観光客やと分かるのだ?それにルナンナムターは北部の中継地点で、観光客だって珍しくはない筈なのに。要はバイクで観光する物好きはおらんと言うことか。この程度の大きさの町を見て回るには一番適していると思うのだが。

途中、ランテン族という少数民族の村を通った。こちらの女性は15歳以上になると眉毛を剃るということで、ちょっと顔が怖くもあるが、すれ違おうとするとにこやかに道を空けてくれる。藍染めの衣装も素敵である。

よく見れば、2歳くらいの男の子が庭でしゃがんでウンコをしていた。日本ならまだ親の助けなしではできない年頃だが、こちらの子はオムツなど履かず下半身スッポンポンで走り回っているせいか、そのへんは自立しているようだ。なかなか面白い、村の一コマだった。


夕方6時まで走り回って、バイクを返した。

結局、心配していた故障やトラブルは起きなかったが、それと紙一重であるラオスのバイク事情を実感した。まともに整備もされず、とりあえず走れるという状態で人や物を運び、健気にもラオスの生活に貢献しているのだ。乗る人も、やたらと修理するよりそのバイクに調子に合わせた運転をするのだという。日本のちゃんと整備されてピカピカに磨かれて走っているバイクの何と幸せなことよ・・・。


ヘルメットがないせいもあってのんびり行脚だったが、おかげで景色や集落の生活を感じることが出来て満足だった。

そう言えば250ccに乗るようになってからはパワーがあるので、のんびりのつもりでも意外とスピードが速く、見過ごしていたものも多かったのではないか。学生時代の自転車ツーリングで味わった、周りの景色との一体感を思い出したような気がする。

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集落の中を通ると、人たちの生活に触れることが出来る。小さいバイクならではの醍醐味。

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よいよルアンパバーン(ルアンプラバン)ともお別れだ。

次の目的地、ルアンナムターへは、まずその途中のウドムサイまでバスで行き、そこから乗り継ぐことになる。そしてそのウドムサイ行きのバスは、朝7時に町外れのバスターミナルから出るのだ。

ラオスでバス移動する時は決まって早朝出発になる。都市間のバスは近距離でも1日に多くて4~5本、遠距離になれば朝の1本だけという場合もあるし、その長距離をスピードの出ないオンボロバスで行くからそうなるのだが、夜型人間の私には少しつらい。

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長いことお世話になった「ColdRiver GuestHouse」は居心地も良かったし、オーナーご夫婦、娘姉妹にもいろいろと楽しませてもらった。ほとんど日本人宿と言っていいくらい日本人が多いので、好みは分かれるかもしれないが、友達が増えることは請け合いだ。この部屋は8ドル(ピーマイ・ラオ中は12ドル)とちょっと高いが、インサイドシャワーだし、ゲストハウス離れしたデラックスさ。

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オーナー氏。ちょっとのんびりした癒し系。奥さんがしっかりと要所を締めているような気がするが、このオーナーの人柄で戻ってくるリピーターも多いと思う。

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トゥクトゥクをつかまえて、町外れのバスターミナルへ。待っていたのはマイクロバス。北に行くにつれ、バスが小型になってゆくような気がする。早朝なのに、バスやソンテウが出発準備に忙しく、活気に満ちていた。

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7時過ぎに出発したバスは、快調に山道を飛ばす。追い抜いたトラックは、日本でもおなじみの某通運!さすがラオス支社を設立しているだけのことはあるって、うそうそ。日本で使い古されたトラックがここには数多く輸入されて、第二の人生を送っている。塗装がそのままなのは、塗り替える費用がもったいないのと、この塗装が日本で大事に使われていた証になるからなのだそうな。ただし、それでもハンドルは左に改造されている。

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途中からもどんどん現地の人が乗ってきた。椅子だけでは済まずに、およそ人の座れる所は満席になる。

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バスは重要な交通手段であると同時に、重要な運送手段でもある。機動力を生かして、小荷物や書類の配達もする。もちろん客も悠々たるものだ。

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6時間弱で、ウドムサイのバスターミナルに着いた。中国が近いことを実感するのはバスの上に掲げられた行き先票で、ラオ語と英語の間に大きく中国語が書かれている。ちなみにルアンナムターは「南塔」だ。それは何とか理解できるとして、ルアンパバーンは「琅勃拉邦」で、ビエンチャンに至っては「万象」。んなもん分かるかい!えらいこじつけやなあ。英語表記があって良かった。

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昼食を食べに入ったバスターミナル横の食堂に、交通安全ポスターが貼られていた。どこの国でも、交通安全の内容は似たようなものだ。

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日も沈みかけた夕刻、最後のトイレ休憩を取る。ルアンナムターまでの長い道のりももうすぐ終わりだ。
りは終わった。

そろそろこのルアンパバーン(ルアンプラバン)に満足しつつあることに気付いた。考えてみればここには結局2週間近くいたことになるな。あまり長く滞在し過ぎて飽きてしまうより、次に来る時の楽しみは残しておいた方がいい。

北へ向かうバスは明日早朝に出るとのこと。最後に近辺をブラブラしてみた。

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やはりこのルアンパバーンは托鉢の風景がよく似合う。ここに来たら、早起きして見に行くだけの価値はあると思う。

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ちょっと中身を見てみたい気もする。しかしいくら沢山喜捨してもらっても、戒律では昼12時を過ぎたら食べ物は口にしてはいけないという。こんな食べ盛りの少年が午後から飲み物だけでは正直つらいだろう。まあそれが修行と言えばそうなのだが。

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午後からは、ちょっと離れたところにあるが水が綺麗だというクアンシーの滝へ行ってみることにした。ソンテウで1時間弱。滝が近づくとエレファントライドをやっているのが見えた。え~な~。ちなみに私はまだ乗ってみたことがないので、いつかは。

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クアンシーの滝は、エメラルドグリーンの水が降り注いでいた。お~、しばらくメコンの泥水しか見ていなかっただけに、この色は感動もんだ。

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滝の上までも山道が続いていて、そんなにハードではない。一面のジャングルが見渡せる。

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ゲストハウスから一緒に来たアメリカ人氏と。日本人ではありません。

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同じくエメラルドグリーンの水をたたえた滝壺では、何人かの欧米人が泳いだり休んでいたりした。休日には地元の人たちで賑わうのだろう。この暑さでは私も泳ぎたかった!が、水着を忘れた・・・。

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宿に帰ると、夜からみんなでお祈りに出かけるという。夕食を取って、近くのワット・マイに出かけると、そこはお祈りを捧げる人たちで大混雑。

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ゲストハウス姉妹の妹「NUNU」も、一張羅に身を包んでいた。

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中央に鎮座している仏像の上には、左右両側についている雨樋のようなパイプから聖水が注がれている。

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NUNUと一緒に聖水を注ぐ。

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一角には、僧侶の相談所みたいなものがあった。
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これでも実は現金輸送中。警戒っちゅう言葉を知らんのかいな?

日、資金を下ろしに銀行に出掛けた。


海外渡航先で現地通貨を調達する手段はいろいろある。現金やトラベラーズチェック(T/C)を持って行って、その都度両替する方法、クレジットカードでのキャッシュアドバンス(キャッシング)、銀行で国際キャッシュカードを作ってもらい、預金から現地通貨として引き出す方法などだ。

これらにはそれぞれ一長一短がある。現金は盗難に遭ったら終わりだが、手軽で両替の手数料が安いし、国境近くなどでは両替しなくとも払える場合がある。T/Cは国によって、どの通貨から両替するかで両替時の手数料が大幅に違ってくる(ドルT/Cからは安いが円T/Cからは高い、など)面倒臭さがあるが、盗難に遭っても再発行が利く。クレジットカードのキャッシングは引き落とし日まで金利がかかるが、通用する窓口は銀行や両替所やATMなど多い。国際キャッシュカードは通用する窓口が少ない(国によっては全く無い)が、金利の心配がない。

いろんな手段を用意しておいて、国の発展度合や治安によって使い分ける必要が出てくるのだ。


今回はクレジットカードでのキャッシングで。そうなると下手な両替所ではスキミングなどの危険がありそうなので、何となく安全そうな銀行で替えることにしたのだった。


カードを窓口に出し、書類を書いてパスポートを提出する。下ろすのは日本円にして2万円ほどだが、しばらくして窓口のおばちゃんが持ってきたのは、なんとゴミ袋のような黒いビニール袋に詰められた札束であった。

まず札束だが、これは1円=約100キープ(ラオス通貨Kip)という為替レートと、ラオスの通貨では2万キープ札が最高額紙幣だということが原因だ。
おかげで2万円は200万キープというとんでもない額になり、しかも2万キープ札では高額すぎて使いづらいので1万キープ札にしてもらったのもあって、200枚もの札束を受け取ることになってしまったのである。あ~これが全部1万円札やったらええんやけどなあ・・・。

また、銀行で現金がクシャクシャのビニール袋から出てくるという、日本ではあり得ない光景だが、これはもちろんゴミに見せかけるなどといった防犯対策ではないようだ。キープという通貨の価値の低さを表しているのだろう。

例えば、タイのバーツは国外でも両替してもらえるが、カンボジアのリエル、ベトナムのドン、ラオスのキープは国外に出れば紙屑同然で相手にしてもらえない。外貨を獲得できる輸出物が少ないせいで国の力が弱いし、歴史的にも価値が不安定だということがあるからだ。キープなどは過去、僅か2週間のうちに価値が半分に下落したこともあったくらいなのだ。もし2週間のうちに1ドルが200円になったらどうなるだろう。間違いなくパニックが起こる。

そういうこともあって国民も自国の通貨を全く信用しておらず、お金が貯まったら宝石や金など価値の変動しにくい物か、自動車やバイクなどの生産財に替えてしまうのだという。日本のように安心して貯金できるのは、一部の恵まれた国だけなのだ。


さて、200枚もの札束に感激している場合ではない。海外ではよくこのレートの違いやゼロの多さで日本人が混乱することにつけ込んだ誤魔化しが行われると聞く。受け取ったその場で数を数えなければ危険だ。

ゼロの数を確認しながら10枚ずつ分けてゆく。すると1万キープ足りない。何回勘定し直しても、やはり1枚足りないのだ。そこで窓口のおばちゃんに見せながら10枚ずつ「One,Two,Three,Four・・・・」を数え、最後の束を見せて「・・・Nine!」と言うと、自分では数えもせず「あっ、そ」とばかりにすぐ1万キープ札を出してきたのであった。

おいおい、誤魔化しの常習国ベトナムみたいにわざと1枚抜いておいたのではないだろうが、自分で数えんで大丈夫なんか!?もしこっちが嘘言うてたらどないすんねん!?ラオス国民のいい加減さもわかるが、銀行までいい加減では困るやろが。
恐らくラオスの銀行では、日本のように1円の計算違いで何時間も残業することなどあり得ないのであろう。


ともかくトラブルにならなかったのが幸いだ。分厚い札束を何とか貴重品ベルトにしまい込み、銀行を出た。
すると、またしても信じられん光景を目の当たりにしてしまったのであった。


銀行の前の道路に白いワンボックス車が停まっていて、そこから2人の平服の兄ちゃんがワッセワッセと重そうなボストンバッグを銀行に運び入れていった。しかしそのバッグは上のジッパーが開いていて、よく見るとそこから1万キープ札の束がいくつもはみ出しているではないか!実は現金輸送中だったのだ。

日本なら頑丈そうな現金輸送車で、銀行に運び入れる時など常に警棒と防弾チョッキで武装した警備員が周りを見張っているというのに、あろうことかここでは警戒さえしていない。おまけにワンボックス車は兄ちゃんたちが銀行に入っている間も無人のまま置き去りで、スモークもしていない窓ガラスからは車内に積み上げられた札束が丸見えだ。

なんぼラオスの人々が温厚だとは言っても、国民全員が全員そうではあるまい。ここでもし兄ちゃんにナイフや拳銃を突きつければ、そうしなくともこのワンボックス車のガラスを割れば、いとも簡単にラオス平均年収の数倍は手にできるのである。よくこんな体制で今まで何もなかった(あったのかもしれないが)なあ。

また札束のはみ出たボストンバッグを運んでいる兄ちゃんに近づいてカメラを向けると、ニッカーと笑って札束がよく見えるようにポーズを取ってくれた。おいおい、笑うてる場合か!


ラオス人の人柄、ラオスの治安、ラオスの通貨価値、ラオスが抱える問題などなどを垣間見たような気がした。ものの15分くらいの間だったが・・・。

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中央が「現金輸送車」。何の変哲もないワンボックス車で、窓もスモークすらかかっていない。まさかこれで防弾ガラス+防犯装置完備ではあるまいな。

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まったく隙だらけの様子で、銀行に入っていった。

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その後は近くのワットへ。新年はとうに迎えているが、まだ行事が行われていた。

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謎の子供たち。片手に持っているのはゲームの箱だった。袋の中身は何だろう?ペットボトルか空き缶の回収か?見せてもらいたかったが、足早に去っていった。
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式のクライマックスとも言うべき、バーシーのお祈り。


ーマイ・ラオの大騒ぎが終わって4日。さすがにこのルアンパバーン(ルアンプラバン)の街の営みも人々のテンションも元に戻っている。

ラオス版・正月三が日と言うべき14~16日が過ぎれば、もうお祭り騒ぎは終わりであった。何日も前からあれだけ激しく続いていた水掛けも、翌17日になるとピタッとおさまっていたのにはびっくりだ。
もし前日までのように意気揚々と水鉄砲片手で外に出ていたら、大恥をかくところだったわい。日頃のんびりしているラオスの人々にしては、異例の切り替えの早さじゃないか。


さて、私はと言えば、まだピーマイ・ラオから気分の切り替えができておらず、ルアンパバーンを抜け出せずにいた。いかん、あの祭りで根っこが生えてしまったかもしれぬ。


しかし、まだここにいるのにはもう一つ理由があった。

今日20日、ゲストハウスの息子さんの結婚式が執り行われるのである。ピーマイ・ラオに続いて、ラオスの結婚式やなんてまたもや滅多にお目にかかれない行事だ。これは見逃す訳にはいかんと、ビザを5日延長してまで残ることを決断したのであった。


朝、テラスでくつろいでいると、オーナーが宿泊客一人一人にそれぞれの名前を書いた封筒を渡していった。ラオスでも祝儀袋があるのだ!しかも主催者側で用意するとは。

で、なんぼぐらい包んだらいいのだ?オーナーは「One Dollar,Two Dollar・・・Five Dollar,Six Dollar・・・」とテキトーなことをのたまう。ハイハイ。分かりました。まあ日本的に、2で割れない数字にしとこう。


庭では、昨日から建てられていたテントの下でおばちゃんたちが集まって、タマネギやニンジンを刻んだり米を蒸したりしていた。

しかしながら、ニンジンの千切りは大皿に山のように盛りつけられているし、その他の野菜も大量だ。たぶん今日の夜にある式で出すのだろうが、今切り終わっている量だけでも100人分くらいは軽くありそうだ。いったい何人呼ぶ気なのだ?

ゲストハウスの二人娘の姉「NINI」を捕まえて「何人くらい来るんや?」と聞いてみると、「One Thousand」と軽く言いやがる。1000人!?なんぼなんでもそれは多すぎやろ~。有名人の結婚式でも1000人は集まらんぞ。そんなでかいホテルも見ていないし、これまたどうせラオ・ピープルのテキトー勘定に違いない。たぶんそうだ。


遅い昼食から戻ってくると、もうゲストハウスはシン(巻きスカート)とバービヤン(たすきがけにする布)でおめかししたおばちゃんやお姉ちゃんたち、さすがにタキシードではないが襟付きシャツなどでビシッと決めたおっちゃんらでごった返していた。普段はTシャツ姿のオーナーもポロシャツ姿だ。

新郎はと見ると、金色の装飾をつけた白い上着に、同じように装飾の施されたスネまで長さのズボンという出で立ちだ。刀まで下げていて、テレビで見たどこぞの国の王子様みたいである。やはり民族衣装というのはいい。そしてみんなで記念写真を撮ったり、お喋りしたりしていた。


それにしても、式は夜からやのに、みんなえらい気い早いな・・・と思いながら中に入ると、おばちゃんが駆け寄ってきて何やらまくし立てる。どうやら「アンタどこ行ってたの!早くドレスに着替えて車に乗りなさい!」と言っているらしい。え!?夜からとちゃうん?

聞いてみると、夜から行われると聞いていたのは披露パーティーで、これから行くのは結婚式だという。それを早よう言うてな!宿泊者連中はみんな夜からやと思ってどっか出掛けとるやんか。
ともかく、ドレスは無いので襟付きシャツに着替え、宿に残っていた日本人3人とトラックの荷台に詰め込まれた。


式場となっていたのは、ゲストハウスからそんなに離れていない普通の家であった。親戚の家らしい。そして式は仏教に則った形で行われた。

大広間にはピーマイ・ラオの時より大きく、ウエディングケーキのように背の高いバーシー膳が二つも据え付けられていて、新郎と「ミス・ルアンパバーン」も顔負けの正装姿と化粧で現れた新婦が並んで座り、バーシー膳を挟んで向かい側にいる祈祷師(ここでもやはり平服)と3人の手首をバーシーで結んでお祈りが始まった。

集まっている人たちはみんな、女性がバービヤンとシン姿、男は襟付きシャツやポロシャツという服装で、きっちりとしてはいるが正装でなく平服だ。

その参列者の格好を見ただけでけも仰々しさが全くないが、式の雰囲気も日本や欧米などとは全く違ったラオス風だ。

まず、集まっている人は50人以上もいるのだが、日本のような上座下座といった座り位置など全く決められていないらしく、3人を取り囲むようにみんな座っている。おかげでどこまでがどっちの家族や親戚で、どこからが近所の人なのかも全く分からない。
それにふつう神父や神主が「愛を誓いますか~?」などと言っている最中には参列者も神妙な顔をして聞き入っているものだが、ここでは真剣なのは新郎新婦と祈祷師だけ。周りの50人はワイワイガヤガヤと世間話でやかましく、祈祷師の祈りや新郎新婦の誓いの言葉などまるでお構いなしだ。庭ではテントの下でおっちゃんらが、ビールやラオ・ラーオ(ラオスの焼酎)をまわし飲みしてすでに出来上がっているし、何という緊張感のない結婚式であろうか。

一通り祈りが済むと、次はラオスには欠かせない「バーシーの儀式」だ。新郎新婦の手首に、それまでお喋りに忙しかった周りの人たちがやや真面目な顔つきになって集まり、入れ替わり立ち替わりお祈りをしながらバーシーを巻いてゆく。

この光景は何度見ても心が和む。単に「おめでとう。お幸せにね」などと声を掛けられるだけとは重みが違うではないか。

最後には誓いの口づけの代わりにか、お菓子や鶏肉をお互い食べさせ合う儀式があり、結婚指輪の交換の代わりに、ネックレスの交換があった。

しかしながら、結局儀式らしいものはそのくらいで、もちろんバージンロードの入退場もライスシャワーもあるはずはなく、そのまま記念写真だけを撮って、式は周りの世間話に呑み込まれてゆくのであった。


夜、一応襟付きシャツなどで小綺麗な服装をした我々宿泊客は、トゥクトゥクに乗って会場であるホテルに着いた。

会場を見て驚いた。
NINIの言った「1000人来る」はあながちオーバーでもなさそうだ。駐車場のような広場にいくつもテントが建てられていて、その下には机と椅子がぎっちり並べられていた。椅子の数は軽く数えただけでも500ぐらいあるではないか。ステージには生バンドが控えているし、どんな大騒ぎになるのだ?

入口では新郎新婦、双方の親類一同がお出迎えだ。オーナー夫妻も背広と光沢のあるシンとドレス、NINIや妹のNUNUもまだ中学生のくせに一丁前に化粧なぞしてみんなバッチリ決めているではないか。

笑ったのは、新居に見立てたミニチュアがあって、それが祝儀袋を入れるポストになっていたことだ。ミニチュアだけならよく日本の披露宴でも見るのだが、祝儀を手渡しするよりこの方が渡す側としては気楽である。もっとも、袋には名前が書いてあるから、後で入れてある金額は分かってしまうのだが。

席が半分ほど埋まったところで、新郎新婦と親族合計25人がステージ前に整列しての挨拶だ。ちなみに並んでいる親族はほんの一部らしい。もし親族一同が集まると何人になるのだろう。出生率が4.8あたりもあるラオスだけのことはある。

そして乾杯とともに生バンドのけたたましい演奏、そして参列者のやはりけたたましいお喋りが始まった。昼と同じく、新郎新婦がテーブルを回ってろうそくに火を付けるなどといった形式張ったことはやらない。ひたすら呑んで食って喋って歌って踊って祝おうということだろう。


パーティーは、誰が今日の主役かなど忘れてしまったかのようにひたすら盛り上がり、夜11時過ぎまで続いた。


今日は夕方から強風が吹き荒れ、雨も降ったりやんだりという生憎の天気だったが、非常に興味深いものを見ることが出来たと思う。


まず、日本ではキリスト教や神道式の結婚式はあっても、仏教式は見る機会がない。そして緊張感のない式の雰囲気、ここでも行われた「バーシーの儀式」、ホテルで行われた披露宴にもかかわらず料理は自前で用意するなど、ラオスの人々の飾らない生活、もてなしの心、深く根付いている仏教の文化を感じた。
民族の数だけ冠婚葬祭の形もあるのだ。

そして参加者の多さにも驚いた。後からNINIやオーナーに聞いてみると「今日は天気が悪かったから、招待したのに来れなかった人も多い」とのことだったのだが、少しの間だけいて帰る人も含めれば600人くらいは来ていたのではないか。

日本の披露宴は高額な祝儀相場のため、気楽に参加しづらいものがある。そして多くても100人くらいの正装で固めた参列者が式の最後まで見届けるものだが、それとは対照的だ。恐らく祝儀の相場も、誰もが無理なく出せる金額なのだろう。だから沢山の人を招待するし、気軽に参列することが出来る。

日本でも沖縄の披露宴は、祝儀相場が安い代わりに多い時は500人近くも集まるのだという。それと似ている。

ちなみに私が包んだのは3ドル。ほかの日本人もだいたい3ドルや5ドルといった金額だった。外国人ならこのくらいは出すべきだろう。一日分の食費+αだ。それで十分なものを見せてもらった。


ゲストハウスというのはラオスにおいては外貨を稼げる裕福な職業らしい。だから披露パーティーをホテルで豪勢に行えたのかもしれないが、一般の家はどんな式やパーティーをするのだろう。もっと素朴で、よりラオスの民族色が出ているかもしれない。それも是非とも見てみたいと思う。

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ひたすら野菜を刻んでいる。これでもまだ半分もない。

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出陣前の記念写真を。

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飾り付けされた車を降りると、新郎を先頭にみんなろうそくを灯してぞろぞろと歩いてゆく。

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新郎はさすがに緊張した面持ち。

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式場前で、何やらを交換して儀式が行われる。左側は綺麗におめかしした宿の二人娘の姉「NINI」。

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まずは、バーシーの膳をメインの参列者で囲んで、誓いの言葉(たぶん)を述べる。

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式が進む後ろでは、こんな感じでおばちゃんらが井戸端会議。

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そして、参列者が入れ替わり立ち替わり新郎新婦の腕にバーシーを巻き付けてゆく。

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最後は、誓いのキスの代わりにか、お酒を飲み交わす。

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お疲れさん!そしておめでとさん!新郎はん、かなり緊張してます。

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夜、みんな着飾ってやってきた。

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新郎新婦も、披露宴にふさわしい出で立ち。

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これで親類全員集合とのこと。さすが。

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我々宿泊者が盛り上がっているテーブルに、オーナーがやって来た。呑めや歌えやの大騒ぎはさらに盛り上がる。
うも祭りが終わって腑抜けのようになってしまっている。

今日も午前中は宿でダラダラと過ごしてしまい、夜からやっと行動開始。と言ってもナイトマーケットをブラブラしただけだったが。

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目抜き通りを出店が埋め尽くしている。灯りが何とも綺麗。

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買い物をしているのは、主に外国人旅行者だ。売り物は土産物や特産の布など。

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しかしお店の様子は何ともラオス的。「いらっしゃいいらっしゃい~!」などと呼び込みがあるわけなどなく、みんなテキトーにのんびり店番をしている。
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やっと日の昇り始めた早朝から、僧侶たちの托鉢が始まる。
久しぶりに早起きして見に行ってみると、あちこちの通りにはすでにオレンジ色の長い帯ができていた。ワットごとに数十人、いや、百人以上はいるだろう僧侶たちが器を肩に提げて歩いている。この時、このラオスでは托鉢を「タクバーツ」と呼ぶのだと知った。語源はここにあるのかもしれない。

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女の人はバービヤンを肩に巻き、敷物の上で正座をしながら施しをする。中身は餅米やおかずなどの食物。上座部仏教では、金品は世俗にまみれた物として受け取ることはない。

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男の人は、みんな地面に裸足で立って施しをする。

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延々と僧侶たちの列が続く。恐らくルアンパバーンでも一番大きなワットなのだろう。

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見終わった後は、同じく朝早くから開店しているサンドイッチ屋で朝食を仕入れる。フランスパンのサンドイッチだ。カンボジアやベトナムでも何回食べたか分からないくらいお世話になっている。カンボジアで一回だけ腹を下したことはあったが、安くておいしいのでおすすめだ。

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ピーマイ・ラオ初日にえらいお世話になった一家のところへ、日本の写真をプレゼントしに行った。ほとんどみんな、海や雪を見たことがないという。なので、パソコンに入っていた宮古島の海、大沼の雪景色、京都の紅葉などの画像データを町なかの写真屋(ラオスにもあるのだ!)でデジタルプリントしてもらい、手紙と一緒に持って行った。またもや飲めや食えやの大歓迎。遠くを見るように「これがニップンか・・・」とつぶやいた主人(左端)の言葉が印象的だった。
いつか彼らにも日本の風景を見てもらえる日が来て欲しいと思う。
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翌17日、街は昨日までのお祭り騒ぎが嘘のように静まりかえり、いつもの穏やかな時間が流れていた。

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祭り期間中は休業していたカオソイ屋で、久々(と言っても5日ぶりでしかないが)に食らう。ベニヤ板でできた粗末なバラックの店だが、ここのが一番旨い。何となくボロい店ほど名店が多いのは、大阪のお好み焼きでもラオスのカオソイでも一緒か。

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ゲストハウスでも、みんな見事なまでの切り替えようで、昨日までの疲れを癒すかのようにのんびりと過ごしていた。
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新年のお祈りだ。何秒も、時には何分も祈り続ける。


ーマイ・ラオも3日目。今日、4月16日でやっとこせ旧正月の元旦「ムー・サンカーンクン」になったことになる。大晦日から3日がかりの元旦だ。


新年あけましておめでとう!


日本ならコタツに潜り込んでおせち料理なぞ食べているところだが、ここはラオスで、しかもピーマイ・ラオの最中である。静かな日になる筈はない。また今日も日が昇ると、道は「ハッピーニューイヤー!」と英語やラオス語で叫びながら水を掛けまくる一団で埋め尽くされることだろう。

まったく、毎日水やタピオカ粉を掛けたり掛けられたりで相当疲れているだろうに、人々のテンションは上がる一方なのだ。

私やゲストハウスに泊まっている日本人連中も初めは楽しんでいたが、1日数十回も遭遇する放水攻撃や毎日2回以上しなければならない洗濯にそろそろうんざりである。ええ加減ちゃんと道を歩きたいと思って砲台のなさそうな裏道を探したり、ガキが近づいてくるや、眼で「拙者に掛けてはならぬゾ!」とばかりに威圧したり、対策に腐心している有様だ。

ま、その苦労も今日でやっと終わりである。いざ終わるとなると淋しくもあるのだが。


朝、6時過ぎに起きて近くのワット(寺院)に行ってみた。

いつもなら早くても9時頃にならないと起きない夜行性の私からすれば、驚異的な行動だ。しかしそれというのも、是非とも見ておきたい行事があったからだ。早起きしたからには三文くらい得をしておかなくてはならぬ。

ラオスやタイなどでは毎朝、僧侶が道に列をなして托鉢をしている風景に出くわす。上座部仏教が浸透している国ならではの光景だが、元旦である今日だけは行われなず、代わりに人々がワットに出向いてお供えをするのだという。

まだ夜も明けきっていない表通りに出る。
さすがにこんな涼しい朝っぱらから水を掛けている人はいないが、ワットには花やお供え用の餅米を持った人々が集まってきていた。
みんな肩から「バービヤン」という装飾を施した布をたすき掛けにし、女の人はいつもより更に綺麗な巻きスカートをしている。これがお参り用の正装なのだという。そして仏陀像の前でお祈りをして、持ってきた花や食べ物を供えているのだ。

この町を見下ろす小高い山の頂上にもワットがある。そこへ向かう参道にもお参りの人たちが集まり、途中にある像に餅米やお菓子などを供えていた。

そのお供え物のお菓子をビニール袋に回収してまわっている子供たちがいた。聞くところによるとこれで1年分のお菓子を貯めるのだとか。思わず笑ってしまうが、ここではお供え物は仏だけに向けられたものではないのだろう。「仏へ施す人がいれば、仏から施される人もいる」という考え方なのかもしれない。

頂上にある本堂でも、正装で固めた大勢の人たちが次から次へとお供え物を置き、ひざまづいてお祈りを捧げている。

独特の長いロウソクをあげ、お供え物を祭壇に置いて深々と頭を下げている光景を見ていると、ここまで信心深い人々に感服すると共に、日本人の宗教観が何とも恥ずかしいものに感じられてくる。
だいたい日本など、キリスト教徒になってクリスマスを祝ったかと思うと6日後には仏教徒になって大晦日。そして次の日である元旦には神道の初詣なのだから。1週間あまりで三つの宗教を渡り歩く国民も珍しいだろう。我ながらその一貫性のなさにはこれまた感心してしまう。

また、日本のそういった行事が盛り上がる陰には必ずと言っていいほど企業戦略も見え隠れしているものだが、ラオスにはそれがない。ひょっとしたらあるのかもしれないが、日本ほどあからさまではない。目立つのは水鉄砲を売っているテキ屋くらいのものだろう。

日本の、高級外車を乗り回してブランド物で着飾っている破戒坊主やエセ神主やニセ神父や外道牧師に見せてやりたいものだ。


ゲストハウスに戻ると、近所からここの親戚の人たちが集まってきていた。これから宿泊者も交えて、新年を祝うお祈りが始まるのだ。

部屋の真ん中には、大きな皿に花やバナナの葉とお供え物、そして「バーシー」という白い木綿の糸を飾り付けたお膳が用意されていて、みんなそれを囲むよう座っている。

祈祷師のおっちゃん(と言っても仰々しい服装などしておらず、普通のシャツとズボン姿)が何やら口上を述べ、ゲストハウスの一族みんなでお膳に手を添えお祈りだ。そしてその後は、ラオス独特の「バーシーの儀式」が始まった。

お膳に飾り付けられた木綿の糸「バーシー」を外し、その一本一本をみんなが手にとって、健康や幸福などを祈りながら誰かの手首に巻き付けてゆくのだ。
もちろん我々宿泊者の手首にも、オーナー、その奥さん、娘二人、おばあちゃん、誰だかわからん近所のおっちゃんと入れ替わり立ち替わり巻いてくれる。お祈りの言葉は「Good luck,Have a nice trip,ナントカカントカ・・・」と英語だったり、ラオス語でさっぱり分からなかったりもするが、自分の身内だけではなく、このどこからともなくやって来た外国人の幸運も祈ってくれているのだと思うとちょっと感激である。「Good marry and Save money」とそこまで心配してくれんでもええが・・・。

このバーシーは「3日経ったら切ってもいい」「自然に切れるまで待つ」と外す時期については諸説ある。手首に何重にも巻かれているので邪魔にならないわけではないが、旅の宿で会った人たちの祈りがこもっているのだ。せめて無事に帰国するまでは切らないでおこう。

この儀式の根底にも仏教の教えがあるらしい。ますます日本の宗教観の貧弱さを思った。


この後は昨日と逆コースをたどるパレードが行われ、町なかは夕暮れまで水を掛け合う車や人たちで賑わった。


このピーマイ・ラオの三が日は、とにかく水を掛けたり掛けられたりで楽しかったが、同時にピーマイ・ラオという行事とラオスの人々の心の中にある「仏陀」という存在の大きさを知った貴重な体験でもあった。

今度日本のねぶた祭りや阿波踊りなどに行ったら、単なる祭りの楽しみだけだはなく、そういう地元の人々の心の奥底にあるものを感じ取ってみたいとも思う。

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お供えの花。綺麗に飾り付けされている。パレードの人たちも持っていたな。

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日本と違って、ろうそくはかなり柔らかく、台など使わず祭壇に貼り付ける。

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そこへ、お供えのもち米やお菓子などをみんな置いてゆく。

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ワットの中の祭壇にも、所狭しと花束やろうそく。

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ゲストハウス近くにあったワットの本堂はこんな感じ。

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入れ替わり立ち替わり、頭を深々と下げて、何分もお祈りを捧げてゆく。

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こちらは派手な電飾が施された仏陀。ちょんとネオンサインのように点滅もしまっせ。

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みんな一張羅を着飾って、ルアンパバーンに聳える「ワット・プーシー」に登る。

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あれま、なんとまあ恰幅の良い仏陀さんやこと。プーシー登山道の中腹にて。

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プーシーからはルアンパバーン全体を見下ろせる。なかなか絶景。

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ワット・プーシーにも大勢の参拝客が。

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ゲストハウスでは、バーシー(木綿の糸)膳を囲んで新年会が始まっていた。日本でおせち料理を囲むようなものか。糸だからもちろん食べはしないが。

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ひとしきりお祈りが終わった後、バーシーを参列者の腕に巻き付けて、一年の幸福を祈る。

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外では、まだまだ水掛けの真っ最中。油断をすれば、すぐに子供も大人も外国人もが桶を持って迫ってくる。

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午後からは、昨日のパレードの折り返し。今日の主役はこの「プーニュー」と「ニャーニュー」。

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人の良さそうな警官が、みんなから水を掛けられてずぶ濡れになっていた。

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ミス・ルアンパバーンに最接近!

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車から降りて、ワットに向かうところを再び。

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プーニューとニャーニューの、獅子舞のような踊りが奉納されて、この祭りは終わりを告げる。
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陽気なカム族のお姉ちゃんたち。


月15日。

今日はピーマイ・ラオの2日目。「ムー・ナオ」と言い、「大晦日と元旦の間の日」だそうである。


何が「間の日」なんだかよく分からんが、とにもかくにも朝から町なかは昨日より更にヒートアップしているようだ。

昨日までの戦闘でみんな疲れているだろうに、町を歩けば「ハッピーニューイヤー!(ラオス語でたぶんそう言っている)」と道端から家の二階から通りかかる車から思いっきり水を降り注いでくる。そやから!まだ新年になってへんちゅうねん!キミらいつまでこのノリでやるつもりなんかい!?

よく見ると、道で大喜びしながら水を撒いている中には欧米人の姿も多い。ラオス全土で行われるピーマイ・ラオの中でもここルアンパバーンは最も規模が大きく、しかも派手だということだが、それはただでさえ観光客の多いこの街で、ただでさえ陽気な欧米人たちがみんなここぞとばかりに大騒ぎするせいもあるのだろうと思った。

それに引き替え、日本人はこんな時でもひどく大人しい。私も含め、もっと楽しまねば。


さて、今日はルアンパバーンの目抜き通りでパレードが行われる。

ラオス最大のピーマイ・ラオだ。そこのパレードと言うからには艶めかしい衣装のお姉ちゃんや、リオのカーニバルのような腰をフリフリ踊るダンサーなどがさぞかし沢山来るやろう。それに「ミス・ルアンパバーン」なる美女が象に乗って行進するという。眼の保養とばかりに喜び勇んで出掛けてみた。

そこで待っていたのは艶めかしいお姉ちゃんたちの代わりに、オレンジ色の袈裟に身を包んで傘を差した僧侶の一団と、カラフルだが暑そうな衣装の少数民族の人たち、地上に光をもたらしたと言われる神に見立てた被り物部隊であった。

若い綺麗なお姉ちゃんたちが並んでいる一団もあったが、みんな「シン(ラオスの巻きスカート)」と「バービヤン(肩からたすき掛けにする布)」という、仏教行事の正装でがっちり固めている。その光沢を放つ衣装の綺麗さにはため息が出そうだが、みんな艶めかしさなどは一切ない。さすが日本と違って敬虔な仏教国だ。女性が無意味に肌を晒すなどあり得ないようだ。

そして、一部の少数民族の集団を除いて、みんな極めて静かに無言で行進しているではないか。道の両側で盛り上がっている人だかりからは遠慮なく水が降ってくるのだが、そんなことは意に介さず真面目くさった顔で黙々と歩いている。これが単なるお祭りではなく仏教の行事だということもあるのかもしれないが、ピーマイ・ラオで毎日繰り返されている大騒ぎから想像していた「派手なパレード」とは大違いだった。


で、その「ミス・ルアンパバーン」はどこにおるのだ?いろんなイベントで「ミス・~」と言えば「う~ん・・・確かに美人だが、周りにももっと美人がおるぞ。それにちょっと顔を爪でひっかいたら5mmくらいの厚さの化粧がベロッと落ちるのではないか?」という微妙なお姉ちゃんが多いのだが、ここはいかなるものか?

列の後ろまで歩いてゆくと、おったおった。「ミス・ルアンパバーン」が。ただし乗っているのは残念ながら本物の象ではなく、なんとトラックの上に据え付けられた象のハリボテだ。おかげで高すぎてそのお顔もよく見えず、ちょっとがっかり。
その足元に「準ミス(?)」6人を従えている。みんな確かに美人だがやはりがっちり正装で、更にちょっとがっかり。まあ、予想通りというか厚化粧で、周りの観客にもっと美人もいるということだけは確認できたのだが。
ただ、静かに笑みをたたえながら、伸ばした手から花びらを蒔いている姿は何か神々しいものを感じた。ひょっとしたら単なる美人ではなく、そういう雰囲気の女性を選んでいるのかいな?それなら納得がいく。

余談ながら、地上に光をもたらした神と言われる男の「プーニュー」と女の「ニャーニュー」が歩いていたが、でかいお面をつけてワラのようなものをまとったその姿は、まるで「秋田のなまはげ」である。これを被って「悪い子はいねぇが~!」と子供を追いかけ回してみたいものだ。


このパレードは、町なかにある大きなワット(寺院)から始まり、別の大きなワットに入って終わる。明日、今度は逆のコースで元のワットに戻るそうである。

そのワットの本堂の中では「ミス・ルアンパバーン」を交えて新年を祝う読経が行われていた。

ところが、しずしずと行われているその行事の周りでは観光客が群れをなしてカメラを構え、押すな押すなの大混雑である。普通はワットの本堂など土足厳禁、帽子も厳禁などという神聖極まる場所のはずだが、この日ばかりは大勢の観光客が土足で歩き回るわ、仏陀像の真ん前から「ミス」にカメラ構えるわ、お構いなし。おいおい、無礼講のピーマイ・ラオだが、仏陀に対しても無礼講でええんか!?なんぼなんでもそれはいかんやろう。

さすがにそのうち警備員もキレて追い出しにかかっていた。だいたいアイドルの撮影会ではないのである。

「ミス」たちが読経を終えて外に出ると、カメラを構えた集団も大挙して追いかけていった。一気に静かになった本堂では、地元の人たちがひざまづいてお参りを始めていた。


今日はいわば「ピーマイ・ラオの二つの顔」的なものを強く感じた。

あっちこっちで水を掛けまくる大騒ぎだけがクローズアップされているが、やはり敬虔な仏教国の行事だけあって、ただのお祭り騒ぎではないのである。水や粉や墨をあたりかまわず掛けまくって楽しむも、一方で仏陀への感謝も忘れていないのだ。

そう言えば、いつも通行人に思いっきり水を浴びせるのとは違って、僧侶の列にはまるで日本人がお墓を洗う時のように丁寧にコップや銀の器の水を掛けていた。そして参列している正装の女性の手には仏陀に供える花束があった。御輿には仏陀が祀られていた。


日本のほとんどの祭りは、今やスポンサー企業の宣伝や広告、そして観光客に媚びたイベントばっかりで、企業や観光客が主役になってしまった感がある。

しかしここラオスの祭りの主役は依然として、地元の人々と仏陀なのであろう。


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今日もトラックの上では、子供たちが手ぐすね引いて獲物を待っている。

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欧米人たちも、負けじと武器を仕入れている。

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やはり、僧侶にかける水には敬意と優しさがこもっているように見える。

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ずらっと並んだ僧侶。傘を差しているのが何となくお茶目。

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この暑さでは、僧侶ももっと頭から水をかぶりたいところやろう。

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女の子たちも、年に一度の晴れ姿。

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巻きスカートの「シン」にも、自慢の柄があるのだろう。

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屋根の中に控えるのは、ワットで一番の高僧なのだろうか。

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御輿を担ぐ男たち。この衣装は何を意味しているのだろう?謎だらけだ。

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パレードの横でも、気を抜けばすぐ水掛けの餌食になる。

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鮮やかな刺繍が施された衣装を着るのはモン族だ。

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対して、黒ずくめのシックな衣装を身にまとうのはカム族。

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救いの水と言うべきか、容赦無しに放水がくる。

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ミス・ルアンパバーンを追いかける人々。

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コンタックスT2なんぞで写真撮ってやがる。お前、実はボンボンやな?

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中学生くらいのガキどもは、徒党を組んで墨攻撃。こっちにゃ来るなよ!

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パレードは、ワットになだれ込む。

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ミスや準ミスたちが、儀式を行う。周りは黒山の人だかり。

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いつも屋台で家族と働いている女の子も、この日ばかりは綺麗に着飾っていた。

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パレードが終わっても、彼らのお祭りはこれからだ。

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やっぱり、欧米人が一番はしゃいでいる。
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水鉄砲部隊。こっちも手加減せんぞ!


月14日、ピーマイ・ラオの幕は切って落とされた。


とは言っても、朝起きた時点では特に何の変化もない。別に騒ぎや中国のような爆竹の音が聞こえる筈もなく、いつものように静かなルアンパバーンの朝であった。


まあ、昨日まででも十分なくらいに人々のボルテージは上がりきっていた。町の至る所で子供や大人までもが水鉄砲や手桶を構えていて、30分も町を歩けばいい具合に全身ずぶ濡れにさせられたのだから。祭りの本番に突入した今日などは一体どうなるのだ?

念のため、濡れて困る物は全てジップロックに入れ、カメラも袋で包んで完全武装である。そして片手には、昨日極秘裏に仕入れておいた強力な水鉄砲だ。ポンプで圧を掛けて引き金で噴射するタイプで、10m程度の射程距離はあり、しかも片手で扱える。

ロビーで誰かがバケツでも構えているか、もしや張られた糸に引っ掛かったら上から水が降ってくるという地雷のような罠でも仕掛けてあるのではと恐る恐る出てみたのだが、さすがに室内で水掛けはやらないようだ。こりゃ朝から緊張を強いられることもなさそうだわい。

しかし安心して表に出るや否や、早速宿の娘が姉妹揃って水鉄砲でゲリラ攻撃を仕掛けてきた。オマエらは内戦中の「パテート・ラオ」部隊か!?不意打ちとは卑怯なり!しかし、ふふふ。今までの私なら逃げまどうだけだったが、これからは存分に反撃させてもらうぞ。この強力水鉄砲でも喰らえ!


ちなみにこれは昨日マーケットで買ったものだが、そこではピーマイ・ラオを前にして、水鉄砲やバケツや手桶など「ピーマイ・ラオ用グッズ」とも呼べる物があちこちの店に並べられていた。水鉄砲は拳銃タイプの物から、背中にタンクを背負う農薬散布用みたいな大型銃まであって、地元民はもちろん大勢のバックパッカーも品定めをしていたのだった。

テラスにたむろしている宿泊者連中の手にもいろんな形の水鉄砲が握られていて、みんなこれから激戦地に向かう兵士のような顔をしている。何しろ外出したら最後、生きて帰ってくる、もとい、濡れずに帰ってくることはほぼ不可能なのだ。「君は行くのか、そんなにしてまで」。


宿から小道を通って表通りに出ると、やはりそこは既に戦場。阿鼻叫喚の真っ只中であった。
10mおきぐらいに「砲台」があり、そこではバケツやホースを手にした大人たち、水鉄砲や手桶を手にした子供らが大喜びで待ち構えていて、でかいタライに満たした水を補給しながら前を横切る物体すべてに浴びせかけている。しかも一つの標的に5~6人の集中放水で、人も自転車もバイクも一瞬でびしょびしょだ。昨日までの前哨戦がまだ可愛いものに思えてくる。今日は30分どころか、ものの5分で全身ずぶ濡れにされそうだ。

少し離れて写真を撮っていると、子供らが私の下げている水鉄砲を指差して何やら叫びながら駆け寄ってくる。そして手桶と水鉄砲で総攻撃を仕掛けてきたではないか。よし、この時を待っていたのだ!満を持してこちらも反撃するが、多勢に無勢。しかも水鉄砲は飛距離と持続力はあるが威力が小さい。それに比べて手桶は一撃でずぶ濡れにさせることが可能なのだ。それを数発喰らい、もう全身水の滴るいい男になってしまった。よっしゃ、覚悟は決まった。もうオレは逃げへんぞ。これからは肉弾戦じゃ!


その後も、砲台ごとに水攻めに遭った。水鉄砲を手にしているということは「戦闘の意志あり!」と見なされ、特に子供らから問答無用で襲われるらしい。また、いくら応戦しても水鉄砲で掛ける水より掛けられる水の方が遙かに多いのも分かった。時々タライの水を補給させてもらい、虚しくも楽しい戦闘を続ける。

たまに大勢の人が乗って大騒ぎしているトラックやトゥクトゥクが通りかかるが、これも追い抜きざまに2,3発水を浴びせてくる。爆撃機か!?、油断ならんぜ!

時々、砲台に混ぜてもらってみたが、こちらも面白すぎる。さっきのようなトラックと凄まじい水の掛け合いになるし、側面に防水カバーを掛けたトゥクトゥクが通りかかると、開け放しの後部にまわって思いっきり浴びせかける。ホンマにやりたい放題やなあ。

しかし、よく見るとみんな手当たり次第に攻撃しているのではなさそうだ。荷物を積んでいるバイク、怖そうなおっちゃんや喧しそうなおばちゃんには水を掛けていない。そして若者たちはどうも同年代の異性を狙っているようにも見える。おいおい、これを話のきっかけにして近寄ろうとしてるんではあるまいな?


午後からは、メコン川の中州に行ってみた。

ここでは今日だけ、ラオスの人たちが子孫繁栄を願ってそれぞれ砂の山を作る。一応ピーマイ・ラオのメイン行事の一つらしい。

これを見に行くだけだったのだが、中州では水だけでなく白い粉や絵の具を浴びせかけたり、相手の顔になすりつけたりと、更にボルテージはアップしていた。そして水も水道水が足りなくなったのか、メコン川の泥水が飛び交っているではないか。それだけはやめてくれ~!白い粉は何を使っているのかと見てみると、タピオカパウダーであった。本来は砂山に掛けるものらしいが、お構いなしである。

綺麗な円錐型に作られた砂山の一つを見せてもらうと、50センチ以上ある山の麓には砂のボールがいくつか置いてある。聞いてみるとこれは欲しい子供の数だそうだ。そしててっぺんに干支を描いた紙を飾り、願い事を彫って、最後には作った全員が集まり唄を唄って一日目の行事は終わりであった。

私は全身ずぶ濡れの粉まみれになっていたが、その地元の人たち(会社の仲間同士だそう)に連れられ、夕食までご馳走になることになった。「この日のために買ったんだ」というジョニ赤が振る舞われる。ラオス式に次々と注がれ、たちまちハイになってゆく私であった。


本日のメイン行事が終わろうとも、水掛けの狂喜乱舞は日没まで続いた。

しかし、実はこれだけ騒いでいてもまだ正月ではなく「ムー・サンカーンルアン」と言って、大晦日でしかないのである。明日は「ムー・ナオ」で「大晦日と元旦の間の日」。そんな日があるんかい?とツッコミたくもなるが、ともかく、3日目の「ムー・サンカーンクン(元旦)」まで町じゅうこのテンションなのだ。楽しくもあるが、かなり疲れそうである・・・。

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ピックアップトラックの荷台にも人が乗って大騒ぎ。たまに水の掛け合いになることもある。

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バイクのお姉ちゃんなど、いい標的だ。

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まあ、ずぶ濡れになるのは覚悟の上で乗ってるんだろうが。

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この後、車からすさまじい反撃。

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大人も子供も、楽しくてしょうがないよう。

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現地人にも負けずに楽しんでいるのが欧米人バックパッカー。陽気な奴らだ。

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メコンの中州では、みんな真っ白。

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知り合いが大喜びで攻撃してきた。負けてたまるか!

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小高い山の寺院から見下ろす。

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男の子がヘタレなのは、ラオスでも同じか。

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こんなふうに、円錐型の砂山を作る。同じ仏教なのに、日本とはえらい違いだ。

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八つの干支が並ぶ。アジアだけあって、色も派手。

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お祈りが終わったら、何やら全員で合唱が始まる。やはり仏教の歌なのだろうか?

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ずっと写真を撮らせてもらっていたら「どこから来たんだ?ニップン(ラオスでは日本のことをこう言う)か?」ということになった。「一緒に呑もう」とその後、屋台みたいなスペースに招待され、呑めや食えや歌えやの大宴会。ラオスの歌を聴かせてもらったら「ニップンの歌も聴かせてくれ」とリクエスト。まあ定番の「上を向いて歩こう」を歌ってあげた。

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皆さん、工場の従業員たちだという。陽気でいい人たちだった。

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そして更に、家に招待してもらって宴会の続き。まったく、どこまでお人好しな人たちなのだろう。
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こちらも防戦一方では悔しいので、攻撃こそ最高の防御とばかりに強力な水鉄砲を物色することにする。町外れの市場へ行くと、バックパッカーから現地の人まで、みんな水鉄砲や手桶などのコーナーに群がっていた。みんな考えることは一緒やなあ。

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この時ばかりは、各商店でもピーマイ・ラオグッズとも言うべき水鉄砲や手桶、バケツなどを店頭に所狭しと並べている。
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またルアンパバーン(ルアンプラバン)の「ColdRiver GuestHouse」に戻った。続々とバックパッカーたちが集まり始めていて、満室まであと僅か。ここは日本人が集まる宿なので、そうなると日本国内のユースホステルにでも泊まっているかのような錯覚に陥ってしまう。みんな、思い思いに祭りまでの平穏な時間を楽しんでいる。

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しかし町に出ると、そこはもう祭りを待ちきれない連中のたむろしている危険地帯。ちょっと気を抜くと、すぐにバケツや手桶を持った奴らに追いかけ回される羽目になる。今からこれやったら、祭り本番ではどないなんねん・・・?
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ルアンパバーンでは、トラックの荷台にハリボテの象を乗せて飾り付けをしていた。何に使うかは当日のお楽しみとのこと。祭り本番に向けて、ちゃくちゃくと準備は進んでいる。


オス北部にある、ノンキャウという田舎町。

道を歩いていると、子供たちが水鉄砲で水を掛け合いながらはしゃいでいた。微笑ましい光景だ。

ところが、中の一人と偶然眼が合った次の瞬間、どうやら私は次のターゲットとしてロックオンされたようだ。私の前には水鉄砲や手桶、バケツを手にした子供たちが立ちふさがり、そして一瞬の沈黙の後、今度は丸腰の私に向かって放水攻撃を始めたではないか!

水の弾幕をかいくぐり、逃げまどう私。

まだ早いがな!ピーマイ・ラオには!お前ら今からそんなハイテンションになってどないすんねん!?


東南アジア諸国では、旧暦の正月を派手に祝う行事があり、寺院へのお参りや、場所によってはパレードなどが盛大に行われる。タイでは「ソンクラン」と呼ばれ、チェンマイで行われるものが規模も大きく有名だ。

そのソンクランに対して、ここラオスで行われるのは「ピーマイ・ラオ」と呼ばれ、今年は4月の14日から16日まで行われる。

期間中はタイでもラオスでも、町のあちこちで通行人に向かって手当たり次第に水を掛けまくる光景に出くわすことになる。地元民であろうが外国人旅行者であろうがお構いなし。自転車やバイクに乗っていようがオープンカーであろうが、手桶やバケツで容赦のない洗礼を受けるという。
もちろん通行人も負けてはおらず、水鉄砲を持ったりトラックに水を積み込んだりして応戦するので、町全体がさながら弾丸の代わりに水の飛び交う戦場のようになるそうだ。

このようなことから、この行事は「水掛け祭り」とも呼ばれている。


なぜ4月に水を掛け合うのか?

4月といえば、日本ではやっとこせ暖かくなり、桜などの花が咲き始める「春」だ。沖縄を除けばまだ寒く、水を掛け合うなどとんでもないだろう。

しかし常夏のタイやラオスでは、5月中頃から始まる雨期を前にして一年のうちで最も暑くなる「暑期」にあたるのだ。ここラオス北部でも気温は毎日30度を超え、太陽がほぼ真上からじりじりと照りつけてくる。外にいるだけで全身から汗が噴き出し、頭から水をかぶりたくもなってくるのだ。

水掛け祭りはこのクソ暑い時期を歓迎する意味も込められた、南国ならではの祭りだそうだ。


さて、ガキどもの水攻撃から、Tシャツとズボンが半分くらい濡れるという最小限の被害で何とか逃れた私ではあったが、今日は4月の11日だ。ピーマイ・ラオが始まるまでまだ3日もあるではないか。なのに道では子供たちが水掛け道具を片手に、通行人を今か今かと待ち伏せているのだから。

日本ではなんぼ正月が待ち遠しいと言っても、12月の29日に初詣に行ったりおせち料理を食べたりはせんだろう。もっとも水を撒いているのは子供たちだけなので、単に遊びたくてしょうがないだけなのだろうが。

まあ子供らは遊びが増えていいかもしれんが、服を濡らされる通行人、しかも簡単に着替えの出来ない我々バックパッカーはたまったものではない。まあ、我々は濡らされたところでシミが残るような高価な服など着ていないし、その水も一応きれいな水を使ってくれている(と信じたい)だろうから、そう目くじらを立てることもないのかもしれないが。

ただ、荷物を持っている場合はどうなるのだ?バックパッカーは一応ザックの中の物を防水袋に入れたり、ザックにカバーを掛けることである程度自衛できるが、地元民はバイクやトラックの荷物にもカバーを掛けるのだろうか?穀物のような、濡らしてはならない物だってあるだろうに。それにこちらではソンテウやトゥクトゥクといった、窓が無く乗客が吹きさらしになっている乗り物がある。雨用のカバーでもあるのか?

もし通行人がシャネルのドレスや大島紬を着ていたら、もし白のスーツに金のアクセサリーをつけてサングラスをかけていて「安岡力也」みたいなイカツイ男だったら、それでも水を掛けるのか?警官や僧侶はどうなのだ?

考えれば考えるほど、ナゾは増える。何しろ日本の祭りはいろいろと見てきたが、ガイドブックで見たり人から聞いたりした限りではこの水掛け祭りはケタ違いにやりたい放題らしい。いい勝負なのはスペインの1時間ひたすらトマトをぶつけ合う「ラ・トマティーナ」ぐらいのものだろう。老若男女が普段の仕事や学業から解き放たれてひたすら水を掛け合う。しかも水を掛けられた方も怒ることはない・・・のか怒ってはいけないのかは分からないが、ともかく町を挙げての無礼講と表現して間違いないようだ。

そう考えると、怖くもあるが、その狂喜乱舞具合が楽しみでもある。私も多分、何度も全身ずぶ濡れにされるに違いない。まあ、どうにでもしやがれ。カメラもザックもカバーを掛け、完全武装で臨んでやるわい。


そのノンキャウでは結局、子供たちのほかは特にピーマイ・ラオが近づいているという気配は伺えなかった。飾り付けなどもなく、もちろんお祭り騒ぎにもなっておらず、いつものように田舎町ののんびりした時間が流れていた。

そこから私と数人のバックパッカーは、ラオス最大のピーマイ・ラオが行われるというルアンパバーン(ルアンプラバン)に向かうため、ソンテウに乗った。ソンテウにもカバーなどは掛けられていない。ということは、途中に水を掛けられる心配もないと言うことか。


3時間後、私たちは全身しっかりと濡らされてルアンパバーンに降り立った。誰が集落一つ通るごとに放水攻撃に遭遇するなどと予想しただろうか。まだピーマイ・ラオの本番ではないかもしれんが、前哨戦は間違いなく始まっているのであった。

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「BambooFamily Bungalows」は15000キープと安いけど、あまり綺麗ではなかったかな。シャワーも出が悪いし。あと、まあ川沿いのコテージだから仕方ないが、夜に電灯を点けるとすぐに虫が周りを覆い尽くして明るさが半分になる。シーパンドンでもここまで多くはなかったぞ。
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朝、宿の女の子たち(姉妹かいな?)が部屋に遊びに来た。なかなか人懐っこい。荷物を興味深そうに眺めていたが、何故かボールペンを持って欲しそうに私の顔を見るではないか。
もう、しゃーないなあ。何本も予備はあるからあげるわい。
カメラを構えると、妹(?)の方はボールペンを持っておふざけ顔。それにしても、彼女らは少数民族の「モン族」だろうが、モン族の人たちは数多い東南アジアの民族の中でもびっくりするほど日本人に顔が似ている。中国や韓国など大陸の人々のような各パーツの小さい顔ではないし、タイやカンボジア、ラオス南部のような目鼻立ちのはっきりした顔でもない。妙に親近感を覚えるとともに、ベトナム戦争後のモン族の苦難の歴史を思う。

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今日はムアンゴイから更に奥地にある村へとハイキングだ。
それにしても暑い。そりゃ4月と言えば東南アジアでは真夏のような「暑期」なのだから。しかし30分ほど歩くと洞窟があって、中からは冷たい水が流れ出ているではないか。先客の欧米人たちも洞窟の中に入って涼んだり、水遊びをしたりして大はしゃぎである。
しばらく涼んでいると、奥の村に荷物を運ぶ子供たちの一団がやってきた。彼らもここで休憩。オアシスみたいな所だ。

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しばらく山の間の狭い道を進むと、急に視界が開けた。辺り一面の田んぼだった。雨期ではないのでもちろん水はなく、水牛がのんびりと草を食べたり、わずかに残った水たまり(と言うか泥沼)で水浴びをしたりしている。

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やがて、高床式住居が並ぶ村に到着。人影もまばらで、ムアンゴイにいるような外国人のグループも見当たらない。

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コテージ宿のカフェで休憩。冷たいレモンソーダが五臓六腑どころか足の爪の細胞の隅々まで染み渡るようだ。ここでもバックパッカーたちがのんびりと読書をしたり、ハンモックに揺られたりして過ごしていた。ちょっとやかましいムアンゴイに飽きた連中が、ここに来るという。

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カフェのテラスからは一面に広がる海・・・などではなく、どこまでも広がる干上がった田んぼが見える。次回は水をたたえて青々としたこの風景を見てみたいと思う。

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このコテージ宿の全景。ノンキャウのような川沿いではないが、雰囲気は悪くない。テラスで時間を過ごすうちに、空が赤くなってきた。これは夕焼けなどではなく、焼畑農業の煙が空に充満してきたことによる。ラオスは今も焼畑農業が幅を利かしているので、時々こういう空になる。

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ホンマに夕焼けのようだ。別に息をしていて煙たさを感じることはないが、何となく暑さが倍増する。

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村を後にする。次回はムアンゴイではなく静かなここに泊まろうか。しかしこの山道を荷物担いで歩くのも何だかなー。難しいところだ。
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今日も晴れて暑いことだし、歩き回るのにも少々飽きたことだし、と言うわけでナムウー川でカヤックと少しアクティブに気分転換を試みることにする。
北海道などではよくカヌーで遊んでいるだけに、シーパンドンやバンビエンで乗り損ねたのが残念でしょうがなかったのだ。しかし今日やっとこせ海外でカヌーデビューである。いつかはユーコン川やな。
四万十川や釧路川のような清流でないのが残念だが、炎天下の水遊びは悪くない。ボートにポリ艇を2艇積んで、川をしばらく遡る。

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浅い所では、水牛が水浴びをしていた。野生なん?飼われてるん?流石に、これは日本ではどうひっくり返っても見られんな。

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切り立った山々と、護岸工事など全くされていない自然そのままの川。日本の川の数十年前の姿を見るようだ。ユーコンだアラスカだとカヌーイストはみんな言うが、アジアの川だって捨てたものではないと思った。まあ、これで水が綺麗なら言うこと無しなのだが。

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小さな村に上陸。ここで準備をして、いよいよ下り始める。この村はガイドブックにも載っておらず、他に外国人の姿もなかったが、ラオスの原風景とはこうなのかと感じさせるような素朴な雰囲気の所だった。人々の笑顔も素朴だった。何となく、次回はここで泊まってみたいとも思った。

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ガイド氏が先導して下ってゆく。水の流れは穏やかで、初心者でも安心して下れそうだ。パドリングしていても眠くなりそうだが、時々急な瀬もあって気分を引き締めてくれる。野田さん、このへんの川もいかがですか?

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私はもちろん後ろで舵取り役である。カメラを持ってなかったら、わざと沈して泳いでも良かったかな。

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シーパンドンと同じようなコテージ(名前は分からなかった)に泊まった。20000キープなり。シーパンドンと違って夜は電気がつく。なかなか快適だったが、夜にいきなり地震のように揺れ出したではないか。何かと思ったら、隣のコテージの欧米人カップルがどうやら「運動中」で、その揺れがバルコニーの繋がっている部分を伝ってきているのだった。まったくもう。覗いたろか!

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切り立った山々が背後にそびえるコテージ。すぐ横にはナムウー川が流れ、町なかのゲストハウスよりロケーションはいい。レストランも併設していて、味も値段もまあまあ。中やシャワー、トイレも清潔だった。

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ムアンゴイ行きのスローボートに乗るべく船着き場に行くと、ちょうど漁で釣り上げた魚を運んでいた。これは何の魚?でもでかいなあ。1mはありそうや。
次々に発着して資材を積み卸しする船を見ていると、なかなか飽きない。

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昼過ぎ、やっとボートが出ることになり、待ちくたびれた(と言っても1時間半くらいだが)観光客はぞろぞろと川縁に降りてゆく。スローボートは間近で見るとかなり小さく「これに大柄な欧米人が乗れるの?」といった感じだが、狭苦しいながらも何とか座れた。
背後の橋はあれでも立派な国道1号線。向かって右側に行けば、サムヌアの町、そしてベトナムへと通じている。

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中はこんな感じで、屋根もついているので快適だ。水面を吹き抜ける風が心地いい。

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のんびりとした船旅だと思っていたら、いきなり岸に着き「ここから何人か降りて、歩いて行ってくれ」という。その区間だけ流れが速く、満載だと川を遡れないのだそうだ。
「荷物持ち逃げせんだろうな。でも旅行者も何人か残ってるから大丈夫か」と思い、わずかについている道跡を頼りに歩いてゆく。15分くらいは歩いたかな。待っていた船を見つけた時には正直ホッとした。

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川縁にコテージが林立している村が見えたら、そこがムアンゴイだった。所要2時間だ。
船を降りると、子供たちが群がって荷物を持とうとし、お金を請求されたら嫌なので断ると、次にはゲストハウスの客引きを始めた。みんな片言ながら英語も話せるし、なかなかたくましい子供たちだ。

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長さ1kmにも満たないメインストリートがあって、その両側に売店やゲストハウス、レストランなどが並んでいる。メインストリートはご覧のように工事中で雑然としていて、何となく落ち着かなかった。
夕方、工事の様子をレストランから眺めていると、大人はもとより子供、女の子たちも作業をしていて、砂利の入った袋をおでこに引っかけて運んでいるではないか。しかし笑いながらのんびり作業をしている光景からすると、強制労働などではなさそうだし、村全体の共同作業なんだろうか。小さな村で見た、ラオスの一端だった。
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ピーマイ・ラオ(水かけ祭り)まではまだ時間があるので、ノンキャウ経由でムアンゴイまで足を延ばしてみることにする。
ムアンゴイは、ラオス南部にあったシーパンドンのラオス北部版といった雰囲気の所らしい。祭りの前にリゾートもどきでのんびりするのも悪くない。同じ考えの人が多いのか、バスはすぐ満員に。荷物で席取りをしてバスターミナル横の食堂へ行ったが、帰ってくると荷物はどかされていた。抗議して何とか座れたが、やっぱり席は離れない方が良さそうだ。

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約3時間半でノンキャウ着。山とメコン川との間の斜面にへばりつくように集落がある。
降りたバックパッカーは、次々にスローボートや、けたたましいスピードボートに乗ってムアンゴイへと向かってゆく。でも、こののんびりした集落で一泊するのも悪くないな。というわけで、川沿いのコテージに宿をとった。20000キープなり。

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切り立った山々の間を悠々と流れるメコン川。かなり上流の方まで来たことになるな。しかしここまで遡ってきても、水はあまり綺麗でない。清流・メコンにはどこまで行けば会えるのだろうか。ぼんやり考えていた。

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子供らが集まって遊んでいた。しかし中の一人と目が合った瞬間、彼らは水鉄砲や手桶片手に喜び勇んで私たちに向かってくるではないか!ピーマイ・ラオは1週間後の筈だが、もう前哨戦は始まっているのであった。

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ノンキャウはそんな観光地でないせいか、子供たちも笑顔がいい。

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縄跳びをしていた子供たちも、いい表情だった。

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今日は綺麗な夕焼けに出会えた。この山間の小さな町を照らしている時間はわずかだったが、いい表情を見せてくれた。

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これといった見どころはないが、また来たいと思わせるものがあった。
ViradesaGuestHouse
「Viradesa GuestHouse」は、ピーマイ・ラオ(水かけ祭り)の前だけあって、ツインは満室。しかしバンビエン(ワンウィエン)からのバス強行軍で疲れ果てていて、他の宿を探す気もしなかった。仕方なく、8ドルと高いがトリプルルームで妥協することに。

あまり居心地も良くなかった
有名なゲストハウスだったが、人が多くて騒がしく、あまり居心地は良くなかった。まあ、日本でもどこでも、混む時期の観光地や宿はそんなものだが。

のどかな通り
というわけで引っ越し。どこの宿も人は多いだろうが、日本人の多い所ならまだ静かだろう。中心街から少し離れた「ColdRiver GuestHouse」へ。宿の前の通りは、なかなかのどかな雰囲気。そびえる「プーシー」はこの町のいい目印だ。

ナムカン川沿い
夕暮れになれば、ナムカン川沿いの道には夕涼みの人たちがやってくる。もちろんカップルも。

子供らが水遊びするナムカン川
川面では、やはり子供たちの遊ぶ姿。日本でも昔はどこでも見られた光景だった。

ナイトマーケットの生春巻
ナイトマーケット横の路地は、夜には屋台街になる。食べ物は何でもあって目移りしてしまうが、友人の日本人から勧められたこの生春巻きは非常にうまかった。
しかし、何と言ってもびっくりしたのは、この屋台街で欧米人がたくさん談笑していたことだ。大抵の欧米人は屋台嫌い(衛生的でないのが気に入らないらしい)で、どんな町でもわざわざレストランを探して入るらしいが、ここだけは特別のようだ。なーに。レストランだって厨房見りゃ衛生度は同じやっちゅーのに。
運転席横にも小銃が・・・
よく見れば、運転席横にも小銃が・・・


本で国道13号線と言えば、福島を起点に米沢、山形、新庄、横手、大曲と東北地方のほぼ中央を縦断し、そして秋田へと通じているいわば東北の動脈だ。
幅の広い立派な道にはひっきりなしにトラックや観光バスが行き交い、交通量は相当なものだ。併走している山形新幹線や秋田新幹線と共に、東北地方の人や物の流れに対して重要な役割を担っている道路なのだ。


そして、ここはラオスの国道13号線。
私を乗せたオンボロローカルバスは黒煙を噴きながら、延々と続くワインディングをノロノロと登っていた。

昼前にバンビエン(ワンウィエン)を出て、ラオス第二の都市ルアンパバーン(ルアンプラバン)に向かっているのだ。


こちらの国道13号線は、同じようにラオスの主要都市を結んでいるらしいのだが、道は比較にならないほど悪い。

一応舗装路だが幅も狭く、かなり波打っている。それに山をブチ抜いてショートカットしてくれる快適なトンネルなど一切無く、山の稜線を誠に丁寧にトレースしてくれるのだ。おかげで急勾配と急カーブが連続して身体も前後左右上下に容赦なくシェイクされ、そのうち気分も悪くなってくる。乗り物酔いしやすい人には拷問だろう。

また道だけではなく、私たちが乗っているバスも相当なものだ。

ボロいのは言うまでもないが、屋根上に山積みにされた荷物のせいか、急カーブのたんびに車体が外側に大きく傾き、いつか横転するのではないかとヒヤヒヤする。サスペンションはかなりヘタっていて、道の凸凹がそのまんまケツを突き上げて痛い痛い。冷房などは当然ナシ。その代わりにか、時々雨水が滴ってくる有様だ。おまけにエンジンもヤバく、ちょっとした登り坂でも失速してローギヤに入れ、自転車のようなスピードになった挙げ句、何度もエンストしそうになる。

おいおい、こんな山の中で故障したらシャレにならんぞ。登り坂でもたついているうちに、日本の観光バスのような豪華版ローカルバス「VIPバス」や、コンテナを積んだトレーラーがどんどん追い越してゆくではないか。登り坂でトレーラーに抜かれるバスって一体・・・。

ただ、下り坂は登りの遅れを取り戻すためか、ムチャクチャに飛ばす。そして追い越しまくる。前の見えないブラインドコーナーであろうがお構いなし。たまにいきなり対向車が来て慌てて戻ったり、スピードを落とさないままカーブに突っ込んで急ブレーキをかけたりもする。しかもそのカーブにはガードレールなどという安全対策はなく、飛び出したら最後、数百メートルの斜面を転がり落ちてゆくことになるのだ。

頼む!これはレースでも、運転手の腕試しでも、ましてや乗客の肝試しでもないのだ。そんな寿命の縮みそうな運転はプライベートだけにしてくれ!

ベトナムでの峠越えも恐怖だったが、あれはほんの1時間ぐらいだった。今回はすでに4時間ほど冷や汗をかかされ続けているのである。


そして、これ以上要らんというのに恐怖の要素がもう一つある。山賊の存在だ。

国道13号線のバンビエン~ルアンパバーン間は、過去に何度もバスが襲撃に遭い、外国人旅行者も何人か殺されているらしい。
山賊など西部劇の中だけの話だと思っていたが、実際に自分が直面するとは・・・。確かにこの山深い道なら出るかもしれんし、これだけノロノロ走っているバスなら止めるのも楽だろう。

しばらくして、前方に小銃を持った男が3人ほど道端に座っているのが見えた。キ、キター!と一瞬緊張したが、別に車の前に立ちふさがる様子もない。いや、こいつらは様子見部隊だ、本隊に連絡してしかるべき場所で襲撃するに違いない・・・

後から聞いたことだが、その男たちはどうやら対山賊の警備員らしい。いざという時には軍が出動して道路を封鎖することもあるという。そういえば身なりも綺麗だったな。まあ「山賊は毛皮やボロをまとっている」というイメージも西部劇のものなのだが。


バンビエンを出てすぐ始まったワインディングはどんどん標高を上げ、いくつもの峠や集落を抜けてゆく。

この風景の雄大さと、途中通る少数民族集落の面白さは、平凡な盆地を通る日本国道13号線の比ではないだろう。まるで乗鞍かどこかの有料スカイラインを走っているような、山々の連なる景色が連続して飽きない。恐怖に晒されていることを束の間だが忘れさせてくれる。これが通行料のいらないタダの国道で見られるのだ。

そしてさすがは山岳民族の多く住むラオス北部だ。木と竹で作った簡素な家が建ち並ぶ集落が点在して、そのたびに黒に刺繍を施した民族衣装を着ている人が見えた。やはり全員が全員民族衣装なのではなかったが、かなり貴重なものを見せてもらった気がした。


結局7時間を要してルアンパバーンには無事辿り着けたのだった。

延々続いた山岳路のせいで、隣に座っていた地元の女の子は酔って何度も窓から吐き、ぐったりしている。私ももうフラフラだ。だいたい日本では山道をバスで7時間も揺られることなどないのだから、もう御免である。しかしこれから向かうつもりの北部はこんな道だらけだという。それを思うと今から気が重い。

ただ、冷や汗はかいたが、心配事は杞憂に終わってくれた。

乗客が次々と降りてゆく。よく見ると、最後部の座席から出てきた兄ちゃんの肩にも小銃が担がれているではないか!こちらではもうすぐ「ピーマイ・ラオ」という水掛け祭りがあるが、その為の水鉄砲では勿論ない。恐らく山賊に応戦するための警備員なのだろう。

山賊に止められるのも嫌だが、目の前で銃撃戦が始まるのはもっと嫌である。命がけのバス旅にならんで良かったわい。

そして宿に入って、この道路にはわずか2ヶ月ほど前にも山賊が出没していたことを知ったのだった。あーこわ。

ThavisoukGuestHouse
「ThavisoukGuestHouse」は居心地は悪くない。ガンジャの臭いが時々漂っていたが、どこのゲストハウスでも同じだろう。ツインで40000キープ。
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漁をする人
ナムソン川沿いに出てみると、川面に漁をする人の姿があった。ベトナムのような日除け笠の「ノンラー」といい、背景のちょっと霞んだ山々といい、絵になる景色がバンビエン(ワンウィエン)にはある。夜の騒々しささえなかったら、リフレッシュに持ってこいなのだが。

その横をカヤックが通り過ぎる
上流からカヤックが2艇流れてきて、すぐ脇を通り過ぎていった。こんな景色の中で川下りしたら、さぞかし爽快やろなあ。

更にガキんちょが遊ぶ
しばらくすると、近くでガキんちょが遊びだした。それでも手を止めることなく、黙々と漁を続けている。

そのガキんちょの一人
そのガキんちょらが上がってきた。私が写真を撮っていることに気がつくと、自分も撮ってくれと言う。自慢の愛車に乗って、会心の一枚だ。ここでプリントしてあげられれば良かったのだが。次回はポータブルプリンターでも持ち歩くかな。

川を渡る木橋にて
対岸にも集落やゲストハウスがあって、そこへはタクシー代わりのトラクターに乗るか、木橋で渡ることになる。ちなみに観光客は有料だった。

メコン対岸を望む
ナムソン川の対岸を望む。コテージがいくつか見える。
看板娘、ノーイ
レストランの看板娘、ノーイ。


オス北部、ビエンチャンとルアンパバーンの間に位置するバンビエン(ワンウィエン)は、中国の桂林に似た景勝地だ。

町のすぐそばには独特な形をした山々が林立し、その麓には洞窟も多い。横を流れるナムソン川ではカヤックやチュービングなどの遊びもできる。町自体もこぢんまりした田舎町で居心地がよいらしく、沈没気味のバックパッカーも多いと聞く。

しかし、バックパッカーがここに沈没することにはもう一つの大きな理由があったのだ。


昨日夕方、ビエンチャンからのバスでここに着いた。

町はずれにあるバスターミナルから、客引きに来ていたゲストハウスのトゥクトゥクに乗って中心街を通ると、なるほど確かに静かで雰囲気がいい。あいにく小雨の降る天気だが、山々が煙ってそれがまたまるで水墨画のように見える。これなら4~5日滞在してもいいかもしれない。

メインの通りから一本入った所にあるゲストハウスに落ち着き、日が暮れてから食事を取りに出掛けてみた。

すると、だ。正直言ってア然とした。

あれだけ静かで落ち着いているように見えたメインの通りには、レストランの黄色い電灯看板が連なり、ケバケバしい電飾がチカチカと瞬いている。それだけでもゲンナリするのに、各レストランにはでっかいテレビがあって、どうでもいいアクション映画やプロモーションビデオを大音量で放映しているではないか。そして欧米人ばかりがいて、寝転びながらその映像を見ている。非常にやかましいことこの上ない。

ラオスの南部のシーパンドン(コン島やデッド島など)に行った時も思ったが、こんなアジアの町にわざわざ来ているというのに、君たちのやりたいことといえば映画を観てディスコで踊ることなのか!?なぜこの町本来の静かな雰囲気を楽しもうとしないのだ?欧米人諸君よ!答えたまえ!!と、そこら全員を一同に正座させて小一時間問い詰めたいところだが、やはり私の貧弱な英語力では実行できそうもない・・・。

まあ雰囲気がどうのこうのというのは所詮、余所者の勝手な戯言だろうが、果たしてこの町にこんな不釣合な娯楽施設が必要なのかと首をかしげたくなる。「夜といえば町に繰り出し、酒を呑んでディスコで踊り、女と遊ぶもんだ」とでも言いたいのだろうか。
観光地をどこでも画一化したがるのはどうやら日本人に限ったことではなさそうだ。そう思えば、この雰囲気も清里や軽井沢といった典型的リゾートのように見えてくる。そして同じように何となく「ムフフ・・・」とした空気が漂っていて不快極まりない。


そして今日、3日前からここに泊まっているという日本人とその話をしていた。すると彼女は少し呆れ顔で「寝っ転がってるのはみんな、ハッパやってハッピーになってるんですよ」と言った。

ハッパ=ガンジャ=マリファナ=大麻。言わずと知れたドラッグだ。

あの寝ころんでいる欧米人たちは、ほとんどみんな大麻を吸ったり飲んだりしていい気分になっていたのだ。そう言われてみれば、みんな映像を真剣に見ている風でもなく、何となくとろんとした眼をして半笑いだったな。見えているのはどんな映像なんだろうか。

先日いたビエンチャンの町なかでもやたらと「Do you smoke?」だとか「ハッパ、5ドル」と声を掛けられたし、シーパンドンのレストランにも「Happy Shake」とか「Happy Pizza」とか大麻入りの「Happy Menu」があった。「Happy Birthday Cake」なんていうまぎらわしいのもあって、何も知らん人が誕生日だからといって注文したらえらいことになってしまうではないか。

今まで通ってきたタイやカンボジア、ベトナムでは、表通りを歩いている限りはドラッグの気配はなかったのに、ラオスには相当な数が流通しているようだ。

元々は娯楽の少ないラオス人が仕事の後の一服といった感じで軽く吸っていた程度だったらしいが、誰が目をつけたのか。そうしてラオスの北部は今、大麻目的のバックパッカーが集まる所になってしまっているという。

ここバンビエンのレストランでも表看板に堂々と書いてあるところもあって、恐らくほとんどの店で用意しているのだろう。

ちなみに「Happy Shake」とは、バナナなどのフルーツと一緒に大麻の葉をミキサーに掛けている。「Happy Pizza」は、大麻の葉をバジルのように乗せたピザだそうだ。値段はノーマルの倍くらいで手頃。煙草を吸えない人がよく食べるということだが、吸うのに比べて調節が利かず、直接全量が吸収されるためかなり強力だと聞く。ハリウッドスターのマリリン・モンロー(諸説あり)やジョン・ベルーシなど、薬物の過剰服用で死んだ人も多いのだから。

彼女もピザを試してみたところ、1時間ほどしてガツーンとやってきたのはとんでもないバッドトリップだったらしい。「あんなのにハマるのは淋しい人たちですよ!」とまで言い切る。

ほかの人の話も様々だ。空が極彩色に見えたとか、少しの物音がいつまでも頭の中で反響したとかいうこともあれば、単に眠くなるだけだったという話もある。中には朦朧とした意識の中で「理性」が正気を取り戻そうと格闘して、そのうち気分が悪くなってしまっただけという人もいた。幸いにも、みんなそれほど深入りせずに済んでいるようだった。

宿に帰ると誰かが吸っていたのか、大麻独特のキナ臭さが廊下から私の部屋まで侵入していた。おいおい、昼間からドラッグ三昧か・・・ほかにもっとましなことが出来んのかい?その為だけにバンビエンとかラオス北部の町に滞在するのって、かなり勿体のうて淋しい旅やと思うんやけどなあ・・・。


大麻やLSDなどのドラッグについては、別にどうでもいいじゃないかと思う。煙草より身体に与える害は少ないらしいし、麻薬や覚醒剤のような習慣性や禁断症状もないから節度さえ守れば安全。伝説の映画「イージーライダー」や、「大麻は文化だ」と言った中島らもの小説、井上陽水の名曲「氷の世界」などはドラッグの力がなければ生まれなかっただろう。多分だが。

ドラッグ絶対禁止論者の中には「大麻を吸えば、より強力な物が欲しくなってやがて麻薬や覚醒剤に手を出すに違いない」などと言う人も多いが、それなら誰でも「ビールを飲めば、より強力な物が欲しくなってやがて泡盛やウオッカに手を出している」だろうか?「煙草を吸えば、より強力な物が欲しくなってやがてピースや葉巻に手を出している」だろうか?そんなことは有り得ないだろう。無理解も甚だしい。

だからと言ってこれらが「暴」やマフィアの収入源になっているのは事実で、それは絶たなければならない。どうせなら講習を受けた人だけが買える「免許制」とかにして国が販売したら?そうすれば東南アジアも少しは静かになるかも。100%有り得ない話だが。

え?で、お前は煙草が吸えん筈だからそのハッピーメニューを食べたのかって?残念ながらノーコメントとしておこう。まあ仮に食べたとしても、こんな公の場所で言える筈はないのだ。ご想像にお任せします。

水墨画のよう
山の向こうに日が沈む。月並みな表現だが水墨画のようで、とにかく絵になる。
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LaoSakonhGuestHouse
「LaoSakonhGuestHouse」はちょっと目立ちにくい場所にあるが、静かで清潔。トリプルルームしかないらしいが、40000キープ(約4ドル)と安い。1階ではビールも売っている。

バンビエン行きローカルバス
結局バンビエン(ワンウィエン)へは、楽しそうなローカルバスで向かうことにする。ノンカイからのバスで降り立った市場横のバスターミナルに行くと、待っていたのはこれまた年季の入った日野自動車製バス。周りでは売り子が走り回り、乗客も次々に乗り込んでゆく。

確かにバンビエン行き
確かにペンキで「VangVieng」と書いてあった。ここにしか行かんの? 比較的長距離のバスだけあって、荷役の兄ちゃんらは忙しい。束の間の休憩中。

満員の車内
およそ人の座れる空きスペースはないような満員で出発。その内、バックパッカーは我々含めて4人だけ。

田園地帯を進む
ビエンチャンを離れると、車窓風景は田園や畑だけになる。一昔前の日本の山岳地帯のような風景。

どの路線でも物売りは多い
町で停まる度に、物売りがバスを取り囲み、車内にも入ってくる。おなじみの光景。

バンビエンに到着
やっとバンビエンに到着。所要4時間。運賃は15000キープだった。
中国式マッサージの跡
このサウナで、中国式マッサージも受けてみた。ガラスコップにアルコールを入れて火をつけ、すぐに逆さにして肌に貼り付ける。すると下がった内圧でコップの中に皮膚が吸い込まれてゆくのだ。痛くはないが、吸盤に吸い付かれたような妙な感覚がたまらん。コップを外すと至る所が内出血していたが、そこは悪い物の溜まっていた部分なのだという。


ー温泉に入りたい!

旅を始めて2ヶ月が過ぎると、次第にその思いは強くなっていった。


しかし悲しいかな、このクソ暑い東南アジアには温泉などありゃしない。いや、全くない訳ではないが、少なくともこれから行く予定の所にはない。寂しい。寂しすぎる。

私にとって、旅と温泉はイコールのようなものだ。バイクや自転車で炎天下を走り続けて汗まみれの埃まみれになった時も、駅から雪の降りしきる中を凍えながら歩いて宿に辿り着いた時も、温泉さえあれば生き返ったのだよ・・・できれば露天風呂がいい・・・それも男女混浴の・・・でもおばあちゃんの姿はいらん。年頃の美女がおって・・・。

実現不可能な贅沢を言っても始まらん。それならばせめて浴槽にザブーンと浸かりたい!

と思ったところで、私の泊まっているような1泊4ドル程度のゲストハウスにはやはりそんなものありゃしない。シャワーのみで、しかも水しか出ない所さえあるのだ。
高級ホテルに泊まればあるのかも知れないが、その為だけに数十ドル出すなど「贅沢は敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」的な旅を続けている我々にとって破戒行為と言っても良い。破戒僧ならぬ破戒バックパッカーである。


と言う訳で、サウナで妥協してみることにした。

ちょうどゲストハウスのすぐ近くに薬草サウナ+マッサージの店があり、しかも知り合いが「良かった」と言っていたのだ。7000キープ(70円)と財布にも優しい。中国式のマッサージなどもあって、たまのリフレッシュにはもってこいである。

行ってみると、もちろん奈良健康ランドや京橋のグランシャトー(関西ローカルですんません)のような巨大な施設ではなかった。7~8人入れば満杯のサウナ小屋が男女別にあり、あとは更衣室とベッドの二つあるマッサージ室、手桶のある水槽だけ。シンプルそのものだ。

早速貸し出しのサロン(腰巻き)に着替え、霧で横の人の顔さえ見えないサウナ室に入る。

何だか分からないハーブの香りと、同じく檜ではないが分からない木の香りが混じって、なかなか気分はいい。
そしてミストサウナのせいかそれほど熱く感じない。身体は熱くても頭が平温の風呂と違って、サウナは足の爪先から頭のてっぺんまで高温に晒される。それが今までどうものぼせそうで嫌だったのだが、これなら大丈夫だ。

外に出て薬草茶や水を飲んだり、手桶で水をかぶったりしているうちに全身がぽかぽかとして、疲れが引いてゆくような気がしてきた。薬草の効果もひょっとしたらあるのかも知れない。
一部の(大部分の!)施設だけ立派で塩素臭いニセ温泉より、よっぽど素朴でいいじゃないか。

さて、ここはガイドブックにも載っているところだが、見たところ外国人はいない。みんな地元民のようだ。

おかげでサウナ室や休憩所で座っていても、前後左右ラオ語で皆目分からない。しかし飲食店などで地元民がよく来るということは、まずハズレではないと思って間違いないのだ。それが証拠に学生風の少年からおっちゃんまでがくつろいでいて盛況だ。サウナ室も満杯でなかなか入れない。

と、その中に、サロンの代わりにオレンジ色の腰巻を着けている僧侶がいるではないか。まだ十代前半くらいの若いのが2人、休憩所で水を飲みながら談笑している。

こちらの僧侶は「上座部仏教」という、日本などの「大乗仏教」とは比較にならない厳しい戒律を守り通している宗派で、俗世からは離れて生活しているイメージがあったが、案外そうでもないらしい。よく町なかでも携帯電話でしゃべったり、デジカメで写真を撮っていたりする姿を見るのだから。

それはいいとして、その片方が少し変である。タオルを胸まで巻き、歩く時も女性のようになよっとしている。よくホッペに手を当てる。間違いない。オカマ、いや失礼、Mrレディだ!
僧侶のMrレディも存在するのだ!戒律で性行為は禁じられている筈だが、性転換は許されているのか!?とまあ本人に直接確認した訳ではないので真偽の程と、果たして身体の改造に入っているのかは不明である。

そうと分かると、少し緊張する。サウナで横に座ったMrレディの手が太腿を伝って伸びてきたというのは、日本でもタイでもよく耳にする話だ。
私の周りにも、加害者はいないが被害者は何人かいる。中の一人は、時々テレビにも出ている某空想系雑誌の編集長に迫られたという。あの人もそうだったのだ!この場でも見回すと「兄貴」タイプのムキムキマンはいるが、彼の好みいかんで、いつ私がターゲットになるやも知れぬ。

性行為(姦淫)は僧侶の絶対に犯してはいけない「四戒」の一つだが、同性とならオッケーなのか!?い、いやだ。私にはそう言う趣味はない!手が伸びてきたら逃げるのみ!

しかし私の緊張をよそに、Mrレディ僧侶は別に何するわけでもなく、サウナ室でじっと黙って、別に他の男性にくっつくわけでもなく離れるわけでもなく普通に座り、仲間と談笑したのち帰って行った。周りの男連中も気付いているのかいないのか、別のその僧侶を避けていることもないようだった。


サウナの気持ち良さもさることながら、こちらのMrレディの立場と仏教の奥深さも感じた一日であった。

日本では先日、性転換手術したあるタレントがそれまでの辛さを涙ながらに語っていたが、周りの差別めいた視線には耐えられないものがあったという。タレントですらそうなのだから、一般のMrレディや性同一性障害の人々の苦労は計り知れないと思う。

しかし東南アジアでは、見た目ですぐそれと分かるような人も大手を振って町を歩いている。そして別に差別どころか好奇の視線も注がれていないのが分かるのだ。
こちらでは子供の頃からでも、自分の性に違和感を持てば異性として振る舞うことが普通だという。それが社会の暗黙の了解なのか法律で決まっているのかは知らないが、ともかく日本より市民権を得ているのは確かなようだ。

また、そう言ったことは問わずに出家僧として受け入れている寺院や仏教も懐が広いと思う。性がどうのこうのということより、それらを差別しないことがいわゆる「徳」なのだろう。

私が僧侶に向かって「迫ってくるかも・・・」と考えたのも、やや差別的であった。反省である。


日本はやっぱし遅れてるなー。でもなんのかんの言うても温泉が多いのは有難い。

ゲストハウス隣の屋台
昼、ゲストハウス横の屋台に人が群がっていた。

学生たちが群がっている
よく見ると、その屋台は学校の門の横にあり、学生たちが昼飯を買いに群がっていたのだった。焼き鳥にソムタム、おかずも何種類かあって、いい匂いが立ちこめている。
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