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10日前の4月25日、私の地元にほど近い尼崎で、JR通勤電車の脱線事故が起きた。

その日、私はラオス・ルアンナムターのネットカフェでニュースを見ていて、阪神タイガースの快進撃に喜びながら、まだ小さく報道されていたその記事を見つけた。

その時はまだ死者が数人と出ていて「どんな脱線したんや?」と思っていただけなのだが、その後ニュースを見るたびに死者は鰻上りになり、ついに百人を超えてしまった。日本の鉄道史上でも5番目くらいの大惨事だという。

しかもその脱線原因はただのトラブルや人為的ミスではなく「1分30秒の遅れと、度重なる運転指令からの遅れ回復命令に焦った運転士が、スピードオーバーしたまま列車を急カーブに突っ込ませたから」だというからやりきれない。日本を走っている鉄道の時刻の正確さは世界に誇れるものだと思うが、定時運行を守るあまり安全運行をないがしろにしてもらっては本末転倒だ。

「数時間をロスする渋滞じゃあるまいし、たかが1分30秒遅れたぐらいでどれほどの社会的・経済的損失を生むというのだ?」とも感じるのだが、何よりもここ三ヶ月間アジアの時間の流れを体感してきた身には、こんな日本の現実が非常に悲しく思えてくる。もちろん運転士の運転ミスが直接の原因ではあるが、その背景にはたかが数分の遅れも許容できない乗客の心理、そして日本人の国民性までが浮き彫りになってくる。

これは散々言われているように、起こるべくして起こった事故で、その根っこは相当深いところにありそうだ。


ここタイの鉄道では、今回のような原因の事故は100%起こり得ないだろう。10分程度の遅れなど遅れのうちに入らず、停車位置もあって無いようなものでオーバーランもしようがない。乗客も遅れにいちいち反応せず、悠々たるものである。

今回、そのタイ国鉄の夜行列車に乗ることにした。


5月4日、チェンマイ駅。バンコク行きSpecialExpressの出発時刻は16時45分だ。

バンコク行き夜行は4本出ているが、今回乗るのは冷房付き2等寝台車と1等寝台車だけの客車寝台列車である。ほかには冷房なしの3等座席車から1等寝台車(当然、冷房付き)まで混成の列車、2等座席だけの高速ディーゼルカーなどもあって、まるで夜行バスや飛行機に主導権を奪われる前の日本のようだ。

日本の国鉄時代、夜行列車はバラエティに富んでいた。
寝台車だけのスマートなブルートレインから、普通自由席車からA寝台車まで5種類のグレードに食堂車を挟んだ夜行急行、古い客車を連ね、一昼夜をかけて終着駅に辿り着く夜行鈍行など、今思えば牧歌的な時代だった。タイの鉄道には、前に乗った昼行ディーゼル列車といい、今の日本で味わえなくなった雰囲気がある。

チェンマイ駅も、一昔前の地方の終着駅といったのんびりした雰囲気で、ホームでは夜行列車出発前独特の光景が繰り広げられていた。既に入線している列車の周りは、大きな荷物を抱えてこれから乗ろうとする人や、売店で飲み物などを買おうとする人たちが行き交っている。
見ていると、こちらもワクワクしてきた。ついに乗るぞー!

ステンレス車体を連ねた(日本製でなく、韓国のデウやヒュンダイ製だった)無骨だがスマートな列車をひとしきり撮ったり、売店でビールやお菓子を仕入れたりしているうちに発車時刻が来て、列車はホームをゆっくり滑り出した。
珍しく定刻(2~3分の遅れだが、十分「定刻」の範囲だ)の発車だった。

ちなみに今回乗ったのは冷房付き2等寝台車。二段ベッドがレール方向に配置されていて、昼間は上のベッドを跳ね上げ、下のベッドは向かい合わせ座席になるという、日本でも一部残っている形だ。幅も十分で寝心地も良さそう。ちなみにチェンマイからバンコクまで740バーツ(2千円くらい)。それが6両。あとは二段ベッド個室の1等寝台車、食堂車、荷物車という編成だ。


さて、落ち着いたことだし、車内探検に出かけよう。ザックはもちろん梯子にくくり付けて。


乗客は現地人とバックパッカーが半分ずつくらいで、満員御礼だ。2日前にチェンマイ駅の窓口で予約した時は残り3席で滑り込みセーフだったのだが、そんなに人気があるのも分かる気がする。バスより料金は高いが、やはり横になって移動できるのは疲れなくていい。タイの列車にしてはまあ清潔だし。

乗りたかった1等寝台車(満席で取れず)も覗いてみると、いくつかの部屋が廊下側のカーテンを開け放していて中が見える。広々とした二段ベッドに洗面台まであるぞ。内装は質素だが、必要十分だ。これで1250バーツ(3300円)。数日分の生活費が吹っ飛ぶが、日本でこんな個室寝台車に乗ったら、個室料金だけで6千円以上する。運賃と特急料金は別途でだ。それに比べたら安いもんだ。

ゴージャスではないが、車内に漂うゆったりした空気は長旅の夜行列車ならではだ。
それに合わせるように、列車ものんびりと草原の中を走る。バンコクまでは600kmくらいあるが、到着は翌朝6時25分。14時間近くかけるだけはある。日本の寝台特急なら9時間くらいで行ってしまうだろう。SpecialExpressを名乗ってはいるが、何ともゆったりしたものだ。


さて、食堂車では既に気の早い客が食事を始めていたが、なぜかこの車両だけ冷房がなく、開け放した窓からは熱風が吹き込んできている。ただでさえ厨房の熱気も流れてくるので、暑い。暑すぎる。だいたい、わざわざここで食わんでも、夕食時には席まで運んできてくれるではないか・・・。

そう。この列車は、夕食を席まで運んできてくれるサービスがあるのだ!

日本より上ではないか!日本の寝台列車など最近は食堂車すらほとんどなくなって、待ち時間のホームで立ち食い蕎麦をすすったり、ベッドに腰掛けて冷めた駅弁を掻き込んだりと、食事時には何となく侘びしさが漂うのだが(高い寝台料金払うてんのに!)、ここでは上げ膳据え膳ときている。しかもデリバリーの時間も指定できるとあっては、タイとは思えない芸の細かさに感心するばかりだ。もっとも、時間通りに持ってきてくれるかは疑問なのだが。

係員がメニューを持ってきてくれた。カレー中心のコースや、単品などレストランにも劣らない多彩さだ。さすがはタイ。もちろん英語表記もあり、困ることはない。
ただ値段はかなり高く、ディナーセット150バーツ、瓶ビールが100バーツと、カオサン相場の倍以上もするが、まあ比べること自体がナンセンスかもしれぬ。折角乗ったのだから、特急トワイライトエクスプレス(大阪~札幌)の1万円フルコースディナーとはいかんが、ちょっと豪勢にディナーを堪能してみるか。

結局、やはり指定時間より少しは遅れたが、ご飯、鶏肉と野菜の炒め物、グリーンカレー、スープ、パイナップルのデザートというディナーにありつくことができた。

係員が向かい合わせ席の間に組み立て式のテーブルをセットすると、すぐに料理は運ばれてきた。エコノミークラスの機内食のような、トレイに乗っかった料理を想像していたのだが、ちゃんとした皿や器に盛ってあってラップがかけられていた。お~、ビジネスクラス待遇や!味もなかなか。タイの料理は列車の中もハズレがないのか。

ただ、配膳に使うお盆をどこに収納するかと思いきや、ゴミ箱の横に突っ込んでいるのには「・・・」であった。まあ、タイで高度な衛生管理は期待せん方が良かろう。

夜8時前には、もうベッドメイキングが始まる。係員が、収納されている上段ベッドを引き出し、カーテンを引っかけてゆくが、シーツや布団を敷くのはセルフサービスで、これは日本と同じだ。シーツはビニール袋に入っていて、ちゃんとクリーニングされているのだと分かる。使い回しでないので安心した。

列車は揺れも少なく、ベッドの寝心地も悪くはない。熟睡できそうだ。ただ、やはりカーテン一枚しか仕切りがないので少し不安は残る。日本ですら夜行列車の盗難騒ぎは日常茶飯事なのだから。パソコンやカメラは身体にストラップを引っかけておいた方が良さそうだ・・・。


翌朝、目が覚めると、列車は既にバンコクの手前の駅まで来ていた。幸い、荷物もなくなってはいない。

バンコクに着いたのは午前6時15分。時刻表では6時25分着なのだから、10分も早く着いてしまったことになる。まあ、始発駅で早く出発されたら困るが、終着駅に早く着いたのなら客にとって不都合はない。ただ、他の列車には影響ないのだろうか・・・。

客が降り終わると、デッキからホームに向かって何やら白い大きな袋がポンポン投げられているではないか。よく見ると使い終わったシーツのようだ。しかしいくつかは線路の上や、事もあろうに列車のトイレの排水口の真下に落ちて汚れているではないか。なんぼクリーニングするとは言ってもねえ・・・。まあタイやから仕方ないか。インドなどもっとひどいのだろうから。ちなみに日本ではすぐさま車両基地に回送して清掃するのだが。


海外で夜行列車に乗るのはベトナムに次いで二回目だったが、日本とも比べてそれぞれの違いが面白かった。社会主義国らしく何もかも実用本位のベトナム、車内は質素だが「食」へのこだわりが感じられたタイ。

日本の夜行列車はここにきて、時間で売るか、豪華さで売るかの二極化が進んでいる。「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」といった豪華夜行列車、速達型の夜行列車は好評だそうだが、それ以外は縮小の一途をたどっているのだ。「さくら」「はやぶさ」といった伝統のブルートレインも、いつ廃止になってもおかしくない。寂しい限りだ。料金の高さもあるかもしれないが、日本人の旅も変わってきて、余裕が無くなってきたのかもしれない。タイの鉄道が日本の後を追わないように祈るばかりだ。

そう言えば、ラオスへ行く途中に寄ったタイ北部のノンカイ駅で、面白い光景を見た。

昼過ぎに行くと、夕方に出発する夜行列車がホームに留置されていたのだが、中を覗いてみると、これから夜行列車に乗るであろう乗務員が昼寝をしているではないか。また、デッキに腰掛けて新聞を広げていたり、短パン姿でホームをランニングしていたりもする。
きっとバンコクから夜行で往復する乗務スケジュールなのだろうが、それにしても牧歌的なタイの鉄道を象徴しているようなワンシーンだった。
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ェンマイは、バイクで動き回るには絶好の町だ。
バンコクほど車は多くないし、交通マナーも悪くない。それに見所は郊外にも点在しているので、その都度ソンテウやトゥクトゥクを使っていたら時間も金もかかってしまう。
カブ型の4段変速車なら24時間借りても120バーツ。ソンテウ3~4回分なので、これを使わない手はない。

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バンコク行きのバス情報収集で、郊外にあるバスターミナルへ。まったく、ワン公たちはどこのバスターミナルでも通路やホールの真ん中で寝てやがる。

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山を越えて1時間くらいバイクを走らせると、売店が連なったような集落があった。日本ならその奥に寺か神社でもありそうな雰囲気だが、そういうわけでもなさそうだ。

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モン族の観光集落とのこと。日本語の表示もたくさんあって、派手な柄の布などがたくさん売られていた。

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観光客が車から降りてくる度、綺麗な衣装に身を包んだ女の子が近寄っていって、記念写真やら自分の店の勧誘やら営業を始める。なかなか逞しい。

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チェンマイ郊外の山腹にあるドイ・ステープ。キンキラキンの仏塔が晴れの空にそびえていた。

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しかし、ここの一番の見ものはこの風景だと思う。日本の地方都市といった趣のチェンマイ。タイ第二の都市なのに緑に覆われていて、近づく雨期を告げるような積乱雲が、鮮やかな陰を作っていた。

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チェンマイのナイトマーケット。やはり観光都市のマーケットだけあって、品揃えも豊富だし、道行く人も外国人が多い。バンコクよりも値段が安いし、おすすめだ。
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メーサイの国境近くにあるマーケット。ミャンマー人らしい姿も多かった。


日はメーサイから、タイで2番目の大都市チェンマイにバスで向かう。

チェンマイへの直行バスはなく、チェンライ(チェンラーイとも言う。チェンマイの少し北に位置する町)で乗り継ぐ必要がある。まずは町外れにあるバスタ-ミナルからチェンライ行きの中型バスに乗った。

しかしながら、ラオス国境のチェンコンから乗ったバスと言い、さすがは先進国タイだ。1ヶ月半いたラオスとは大違い。1時間おきといった間隔で、定刻からさして遅れることもなく出発する。バスもラオスほどオンボロではなく、屋根上に荷物を満載しているわけではないので乗っていて生命の危険を感じることはない。気は楽だ。
そんなタイのバスだが、タイ北部での現状を象徴するような一コマに遭遇してしまったのだった。


突然、それまで快調に2車線道路を飛ばしていたバスが停まった。

しかし乗ってきたのは乗客ではなく、迷彩服に身を包んでベレー帽をかぶり、小銃を肩に提げた兵士だったのだ。窓の外を見れば兵士のたむろしている小屋が見える。検問所だ。
何事や!?バスにテロリストでも乗っているんか?兵士の表情からすればそんなに緊迫するような状態ではないようだが、日本では路線バスに銃を持った迷彩服姿の人間が乗り込んでくることなど有り得ない。思わず冷や汗が出てくるではないか。

兵士が「○△×ー」と言うと、周りの乗客たちは、別にそれが特別な出来事でもないような素振りで一枚のカードを用意している。どうやら身分証明書らしい。ということは、旅行者の我々もパスポートを出さねばなるまい。急いでボディベルトから取り出し、然るべきページを開いて待つことにする。

兵士は前の席から順番にカードを見ている。いちいち裏返しているところを見ると、それなりに真剣にチェックしているようだ。そして私のパスポートを手に取ると、何ページかをめくって見ている。最後に「アツシ・オオノ・・・Oh!No~(私の本名は大野で、パスポートのスペルは「OHNO」なのである)」と笑いながらパスポートを返し、後ろの席に移っていった。

結局5分程度で検問は終わったのだが、これだけでは済まなかった。
20分くらい走ってチェンライに近づいた頃、またも検問所で停車だ。今度も同じような格好の兵士が乗ってきて、同じように全員の身分証をチェックした後、私にも同じように「Oh!No~」と言い残していった。タイで、しかもこんな短距離の路線で2回も検問に遭うとは・・・。


それにしてもびっくりしたのが、この平和な筈のタイでも現地の人たちは老若男女全員が身分証明カードを持ち歩いているということだった。しかもそれをごく当たり前のことのように兵士に提示している。
日本では顔写真入りの身分証明書と言えばパスポートや免許証類しかなく、もしそれらを持っていなくとも実生活ではほとんど差し支えがないのだから。公共交通機関に乗っていて身分証提示を求められることなどもない。これは外国とは海で隔てられた島国である日本と、その安定した政情の表れなのかもしれない。

また、この路線はメーサイへと北上する時にも乗ったのだが、その時は検問などなかったことを考えると、ミャンマーからの不法入国対策なのだろう。昨日タチレクに入国した時にも感じたが、タイとミャンマーの経済格差はかなりある。ましてやあんな簡単に行き来できる国境だ。日本への不法就労が後を絶たないように、豊かなタイで稼ごうとするミャンマー人がいてもおかしくはない。
そしてミャンマーだけではない。タイはほかにもカンボジア、ラオスという発展途上の国々と陸路で面しているのだから、それらを考えると、こうした検問や身分証の携帯義務なども必要なのだろう。

日本ほど緊張感なく平和ボケに浸っていられる国は珍しいのだと、改めて思わせられた出来事だった。


その後、乗り換えたチェンライからのエアコンバスは検問に遭わず、しかし15分先に出発したVIPバス(豪華版エアコンバス)を途中でブチ抜くという激走ぶりでまたしても冷や汗が出たが、定刻より早くチェンマイに到着した。

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泊まっていた宿の屋上から朝日を拝む。

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ビルマ男性の特徴的な衣装がこの巻きスカート「ロンジー」だ。


ルマという国名が世界地図から消えて久しい。

私の高校時代の世界地図にも、確かビルマ、首都はラングーンを記されていた。それがいつの間にやらミャンマー連邦、首都はヤンゴンになっているではないか。正確に言えば、そうなったのは1989年のことだ。

おまけに旅行情報誌でこの国の記事をめっきり見かけなくなった。アウン・サン・スー・チー女史の拘束など軍事政権による不安定な政情や、外国人の旅行を制限するような政策によって旅がしづらくなったのが原因だという。
4週間のビザは下りるものの、入国は基本的にヤンゴンからの空路のみ。200米ドルをF.E.Cという外国人用通貨に両替せねば入国できない、強制両替という面倒臭いルールもつい最近まであったのだ。


私は昨日ラオスを後にし、タイのチェンコンへ。そしてミャンマーと接している国境の一つ、メーサイまでバスを乗り継いできたのだった。その目的は、他ならぬミャンマーへの入国だ。

空路でヤンゴンからしか入国できない筈のミャンマーだが、実はメーサイ~タチレクなど3カ所の国境に限って、条件付きながら陸路でも入国できる。
ただしその条件とは、入国できるのは1日だけで2日以上の滞在は不可、行動が許可されている範囲は町内だけ、パスポートをイミグレに預けなければならないことなど。面倒臭いと言えば面倒臭いが、例外的に陸路から「一日入国」できるのだ。


メーサイはタイ最北端の地だ。

日本最北端の宗谷岬には、荒れるオホーツク海と遙か彼方に浮かぶサハリンという演歌のような風景が広がっているのだが、ここメーサイにはそんな湿っぽい情緒は一切無い。

よく見ると小さく地味な「タイ最北端の碑」が商店街に埋もれるように立っていて、横を流れるドブのような細い川を挟んでタチレクだ。走り幅跳びの選手なら楽々飛び越えられる距離ではないか。
商店街は観光客や買い出しに来るミャンマー人でごった返し、町なかにはタイの車に混じって黒いナンバーをつけたミャンマー国籍の車やバイクが走り回っているという、活気に満ちた最北端、そして国境だ。


まずはタイ側イミグレでいつも通り出国手続きをする。終われば例の小川に架かる橋を渡り、ものの100mくらいでミャンマー側のイミグレだ。書類を書き、5ドルの入国料を支払ってパスポートを預ける。預かり証兼入国許可証を受け取れば、もう目の前はこの旅5カ国目のミャンマーだ。


と、いきなり男たちが私を取り囲んだ。
ムムッ!押し売りか!?それともお姉ちゃんのいる店の勧誘か!?と思いきや、みんな手にした写真入りのパネルを指さして何やら説明している。聞けばトゥクトゥク観光ツアーの勧誘で、近辺の名所を100バーツでまわってくれるという。

渡りに船だった。こんな観光ツアーは非常に助かる。タチレクのパンフや看板くらいメーサイには用意されているだろうという甘い考えで来たら全く見つからず、慌ててネットカフェや国境周辺で調べまくってもタチレクの詳細な地図は結局手に入らなかったのだから。

まったく、トゥクトゥク運転手の熱心さとは対照的な、この政府のやる気のなさは何だ?ミャンマー政府は観光収入で潤う気がないんかい?


さて、ツアーもいいが、とりあえずは町の雰囲気を見てみたい。コースは後回しにしてまず国境近辺を歩いてみよう。


タイからカンボジアやラオスに渡った時のことが思い出された。目の前にあるタチレクの町は、川を隔てたメーサイとは比較にならないくらい前時代的で埃っぽい。

町の広さ自体はメーサイとさして変わりないようだが、コンクリートの建物は全体にかなり古びて見える。一歩脇道に入ると未舗装路もかなり残っていて、タイでは見られないような傷んだ車やバイクが行き交っていた。歩いている人も日曜日のせいか多くはなく、巻きスカート「ロンジー」を履いている男性が目立つ。

国内情勢が長い間安定しているタイとそうでない近隣諸国との格差をまたも見せつけられたような気がした。しかしながら町の雰囲気は穏やかで、物乞いもいない。数年前では子供の物乞いがたむろしていて旅行者も困ったらしいが、経済も改善されてきたのだろうか。

市場に行ってみた。
メーサイ側も人だらけだったが、こちらも観光客やタイ人でごった返していた。
但し売っている物は、衣料や電化製品が主なタイ側とかなり違う。たぶんコピー品だろうDVDやCDソフト、恐らく偽物のブランド品、怪しい貴金属店が目立つ。工業製品や食品もあるが全部タイ製だった。そして少しだがミャンマーの土産物、と言っても洒落た物はなく、仏像や仏具のようなアクセサリーだ。まあまあ見ていて面白い。

通りを流していると、駅弁売りのような箱を首から提げた兄ちゃんたちがやたらしつこく声をかけてくるではないか。売っているのは煙草だ。吸わんのでいらんいらん、と断ろうとすると、兄ちゃんはすかさず箱にかけた布をめくる。その下には裏DVD、しかも洋物がぎっちり詰まっていた。食指が動かんではないが、まあこれが入国審査で見つかった時の恥ずかしさは想像がつく。やめとこう。

タイでは規制が厳しいのでみんなここに買いに来るのだろうか。ミャンマー人は高品質な工業製品を求めてタイ側に買い出しに出ることだし、この国境は流通の拠点になっているようだ。


しばらく近辺を散歩してみてからまた国境に戻り、今度はトゥクトゥクのおっちゃんを捕まえて、というか捕まえられて寺院などを回る例の観光コースを走った。


おっちゃんは観光客相手の商売をやっているにしては英語がほとんど話せないが、いつもニコニコ笑いながら身振り手振りで案内してくれる。いい顔だ。

道ばたでは、ほっぺに日焼け止めクリームの「タナッカー(田中ではない)」を塗った子供たちがあちこちで遊んでいた。みんなカメラを向けると恥ずかしそうに笑う。
寺院はタイともラオスとも違う独特な建築様式で、中では子供の僧侶たちが大声で読経を教わっている。みんな私が構えるカメラが気になるのか、よくこっちを向いては先生に注意されていた。

どこの国でもどんな情勢であろうとも子供たちは元気で幸せそうだ。しかもミャンマーの子供たちもカンボジアやラオスと同じくキラキラした眼をしていて、こちらの気持ちも和んでくる。

子供だけでなく出会う大人たちも、みんな平和そうで穏やかな表情をしている。町角にある地元民向けの商店や食堂も品物やメニューは豊富で、店員や客も陽気に笑いあっていた。カメラを向けても全く嫌な顔をされず、それどころかみんな笑いかけてくる。

不安定な政治情勢、そして民間人に対しても様々な弾圧があるとは聞いているが、とてもそんなことは窺えなかった。

高台にある寺院から、町を見下ろせた。

よく見ると国境に近い町並みはコンクリートの建物も多くて立派だが、国境から離れるほどそれは粗末になり、恐らくタイから見えないような場所では小屋のような家が集まっているではないか。これは、流通が盛んな国境付近が必然的に発展したか、あるいは政府が先進国のタイに見劣りしないように国境付近の建物だけを整備したかのどちかだろう。

そう考えると、このタチレクの人たちの明るさの理由が何となく分かるような気がしてきた。

ここは恐らくミャンマーの中でも豊かで恵まれた町なのだろう。国境では品物が盛んに流通し、観光客が多額の外貨を落としてくれる。そして大勢の観光客やタイ人たちの目があるから、政府も表だった行動ができないのかもしれない。

国内では子供も含めた強制労働が行われたり「路上で3人以上集まって話をしてはいけない」などといった取り締まりがあったりするらしいが、ここの人たちは無縁なのだろうか。非常に気になる。外国人が一日入国で行動できるエリアから一歩離れると、どんな光景が広がり、どんな人たちが行き交っているのだろうか。

寺院の中では、子供たちが観光客相手の物売りに走り回っていた。よく見ると身なりも綺麗で、貧しそうには見えない。物乞いでなく物売りの姿が目立つということは、まだ恵まれている証拠なのだろう。

イミグレに戻ったのは、国境が閉まる16時半(タイ時間では17時)ギリギリだ。職員もすこぶる愛想がいい。その後タイ側で再び入国手続きをして、メーサイの町に戻ってきた。
さて、正式な入国ではないのだからパスポートはどうなっているだろうか。見てみると、ちゃんと「Myanmer Union」と記したスタンプが押されていた。ひと安心だ。


日も暮れる頃、国境を流れる川に面している公園に涼みに行った。

川では大勢の子供たちが水遊びをしていた。タイ側にもミャンマー側にも休んでいる子がいるのを見ると、どうやら双方の国の子供たちが入り交じっているようだ。何とも面白い。密出入国し放題ではないか。

また時々、大きな荷物を持った人がザブザブと川を歩いて渡っている。よく見ると、ミャンマー側からは空のカゴを背負ってきて、こちらからはジュースの箱をカゴいっぱいに詰め込んで帰って行くのだ。恐らく密輸だろうが、それにしても堂々としたものだ。警察も全く取り締まっていないところを見ると、闇ルートとして黙認されているのかもしれない。


入国するまでは、さぞかし官憲が目を光らせていて、民衆はおどおどしながら生活しているのではないかと思っていたが、実際にはそんなことは全くなかった。

しかし今日見た光景は、ミャンマーのほんの僅かな一部に過ぎないのだ。次回は是非ともビザを取って、ヤンゴンから各地を見て回りたい。ようやく政情が安定したカンボジアやラオスと違い、ここはまだ激動の時代の最中なのだ。

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メーサイの町並みの一番奥にそびえるのがイミグレの建物。ここからミャンマーへ入国する。ちなみにそのすぐ脇に「タイ最北端の碑」がある。
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