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2008.04.30 庭に桜が、
に咲いている桜が満開だ。

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大阪の下町から移り住んできて早二年。二度目の春がやってきた。

庭にあるヤマザクラも満開になっている。いつもの年より一週間くらい早いな。


この大沼の春は、いろんな花がいっぺんに咲き乱れるわけではあるけれど、大阪の下町育ちの私にとって少々異様な光景が見られる時期でもある。

異様というべきか、常識を根底から覆されるというべきか・・・、特に、初めて大沼で春を迎えた去年などはいろんな驚きがあった。
たとえば、

ミズバショウの群落が何で家のすぐ脇なんかにあるねん!?

ミズバショウなんて、尾瀬かどっかの人里離れた高原に行かないと見れないものと思っていたけど、ここ大沼ではあちこちの家の空き地にあるわ、道路脇にあるわ、JRの線路脇にもあるわで、これだけ身近にあり過ぎると「♪夏が来れば想い出す~」の歌にあるようなロマンチックさというか、有難味がまったくない。
まあ、一週間やそこらで白い花は消え去って葉っぱだけになるので、そういう意味ではレアさもあるにはあるのだが。
ほかにも、

フキノトウがなんで線路脇にばっかし生えてるねん!?

この時期のフキノトウは、料理に使うと香りがすごくいい。そんなわけで採りに出かけると、なぜか線路の砂利のすぐ脇に群落がたくさんあるのだ。
わざわざこんなややこしい場所に生えんでも・・・とも思うのだが、そこにはフキノトウなりの事情があるのだろう。
昔なら列車のトイレは垂れ流し式が多く、それらが撒き散らかされる線路脇は栄養分も豊富だったかもしれないが、今の列車トイレはタンクに溜めて外には出さない。それに、線路に雑草が生えないように除草剤だって撒いているかもしれないし、好き好んでこんなとこに生えるフキノトウの気が知れない。

まあ、なんやかんやと言ってミズバショウの美しさも堪能し、フキノトウは有難くご馳走になった。感謝しとります。大沼の大自然にはね。
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イに行って仏教に傾倒し、ついに出家した・・・

山!?

ワケではない。


近頃非常に残り少なくなってきた前髪の処遇を思いあぐねていると、ある方法がひらめいた。

「無」だ。
般若心経で一番多い文字の「無」だ。
仏教の境地(たぶん)と同じ「無」だ。

「無」にしてしまえば、多い少ない、細い太いもすべて「無」に帰されることになろう。
密度の濃い部分も薄い部分も、毛のない部分も、すべてが平等となるのだ。
これほど崇高なことはあるまい。

そうして私の髪は、「無」となった。


なーんて。実は数日前にバリカンで髪を刈っていたら、いつの間にか12ミリに設定したはずの長さ調節アタッチメントがずれてしまっていて、左半分が3ミリくらいのしかも不揃いなトラ刈りになってしまったのだ。

大阪に住んでいた時なら「こら縁起がええわ!」と、そのまんま喜び勇んで甲子園球場にでも行ったかもしれないが、ここは北海道。しかも接客業をやっているのにそんな悲惨な頭でお客さんの所へなんぞ行けんではないか。

こないなったら、もうええわ!とばかりに、半ばヤケでスキンヘッドにしてみた。

考えてみれば生まれて三十ン年、記憶にある限りここまで短くしたことはない。
実は1月に12ミリにまで冗談半分とイメチェンを兼ねて刈ったのだが、昔通っていた学校でも頭髪規制などはなくスポーツ刈りにしたことすらなかったので、えらく抵抗があったし、恐怖でさえあった。
それがいざやってみたら、まあ似合うらしいし、その後のタイ旅行で生活にも便利だということが分かり、前髪も少なくなったことだし今後はこれで行こうと思っていた。そんな矢先に、さらに新しい髪型を経験することになってしまったのだった。

これも、まあ似合わないわけではないらしい。ただ、いつものお客さんの所を訪問すると、ドアを開けたお客さんが一瞬固まるのが分かり、やはりインパクトは強すぎるかもしれない。
まあ、どうせ徐々にまた伸びてくるのだ。どの位がいいか、途中で判断しよう。


ところで、スキンヘッドにしての新発見をふたつほど。

1,常に視界の上隅に見えている毛。あれはずっと前髪だと思っていたが、いざ髪の毛がなくなったのにまだ見えている。眉毛だったとささやかな驚き。
2、髪の毛の保温効果というものに驚かされた。寒い日に帽子もかぶらないで外に出ると、それまで顔や手から来ていた寒さが、今度は頭のてっぺんからやって来る。風が吹くと痛いくらいだ。夜も頭が妙に冷えて、最初のうちはなかなか寝付けなかった。今は2~3ミリほどに伸びたが、それだけでも全然違う。
日は、記念すべき日だった。

それは・・・、

ストーブを点けなくて過ごせたのだ!


今頃、関東や関西では桜の時期がそろそろ終わりだろうし、沖縄なんぞに行ったらもう海開きやっちゅうのに、一日ストーブを使わずに済んだくらいで大騒ぎ(?)してるとはさすが北海道よのうと本州の皆さんは思われるだろう。やっと北海道にも春が来て、ストーブを仕舞うのだろうと。

しかし、まだストーブを仕舞うわけにはいかない。早すぎる。
春が終わって夏が来ても、7月頃まではまだまだ頑張ってもらわなければならない。北海道のストーブたちが灯油を抜かれて一息つけるのは、たかだか一ヶ月。内陸などの寒い地域では、年中無休なんてこともある。本州の、一年の三分の一ほども働けば後は倉庫で長期休暇を過ごすストーブたちと対照的な、過酷なる労働を強いられているのだ。

北海道の冬は長く、夏はやっと来たと思ったら一瞬で過ぎ去ってしまう。朝も夜もストーブなしで過ごせるのは、7月後半からせいぜい盆過ぎまでだ。
だから、北海道の生活とストーブは切り離せない。ストーブが点いていないと何となく落ち着かない。室温が20度あっても、ストーブが点いていないと肌寒く感じてしまう。


大阪から北海道に、年に何度となく通い詰めて知り合いもだいぶ出来た頃、一番びっくりしたのが、北海道民が意外なほど寒がりということだった。

夏生まれで寒がりな私が暖房なしで十分過ごせる部屋でも、寒いからストーブを点けようと言う。春や秋の大阪を歩く時も、とんでもなく厚着をして、それでもまだ寒そうだ。しかも一人だけでなく、全員が全員、少なくとも私より寒がりなのだから。

氷点下何十度の世界で生活をしてるのに何でやねん!とその度にツッコんだのだが、当の本人たちには、冬以外の時期に暖房器具がないという方が信じられないらしい。つくづく、北海道というのは異国なんやなあと思わされたものだった。


その北海道に移り住んで、2回目の冬が終わりつつある。
そして、北海道民の寒がりの理由が分かった気がした。

冬が過ぎれば暖房器具を仕舞い込んでしまう本州とは違い、ストーブが常時部屋の中にあったり、セントラルヒーティングの家だったりするからだ。

一度仕舞い込んだストーブを再び点けようと思ったら、灯油を入れたり、ガスゴム管を接続したりと面倒くさい。だから、本州では少々寒くなっても秋までは厚着でしのいでストーブを出さず、上半身しか温風の来ないエアコンや、こたつなどで耐える。

それに対して北海道の感覚は、ちょっと肌寒いとなると厚着するよりも前に暖房を入れ、家中を暖める。廊下もトイレも風呂場も暖かい。その上、真冬になればストーブや暖房は24時間点けっぱなしになるので、点いていて当たり前。消すという思考に辿り着けなくなってしまう。
下手をすれば真冬でも家の中ではTシャツ短パンで過ごせるし、現にそうしている人だって多いのだ。
あと、札幌以外では交通手段は自家用車なので、外に出ても寒気に当たることがない。札幌だって地下街は発達してるし、公共の場所はたいてい強力な暖房が効いているから、そこで服の中に溜め込んだ暖気が冷える前にまた暖かい場所に着く。

よく考えてみると、普段の生活では本州の人間より明らかに寒気に当たってないじゃないか。

たとえば最近灯油が値上がりしていてみんな嘆いているけど、嘆く前に厚着する方が先ちゃうんかい!?と思ったりもする。

でも私自身「郷に入りては郷に従え」じゃないけど、北海道の感覚に徐々に浸食されているようで、それへのささやかな抵抗として、今日はストーブを点けたいという誘惑に打ち勝った喜びを表現してみたかったのだった。
少々大げさですが。
イの旅から帰ってきて3週間。
写真整理がようやく済んで、さあブログにアップしていくべと思っていた時だ。衝撃的というべきか、しかし心の奥底では「やっぱりな」とも思ってしまうニュースが耳に入ってきた。

タイ南部の町・ラノーンの近郊で、冷蔵コンテナでタイに密入国しようとしたミャンマー人121人が発見されて、そのうち54人が窒息死していたという。死者の中には10歳前後の子供もいたらしい。密入国ゆえ狭いコンテナにすし詰めにされ、タイの一大リゾートであるプーケットに向かう途中の悲劇だった。

痛ましいし、何ともやりきれない。

タイ・ラノーンのイミグレで

上の写真は、2月末にそのラノーンのイミグレーションで出くわした光景だ。いきなり連行されてきたこの人たちは、手錠で数珠繋ぎにされている。そしてこの後、鉄格子で仕切られた2階に押し込まれていったのだった。
イミグレの駐車場には、鉄のカゴのような護送車。さっきの人たちは、ビルマ(ミャンマー)からの密入国者だったのだ・・・。

ラノーンの町は、ミャンマーの港町・コートーンと面している。町の中にはビルマ語の看板も目立ち、タナッカー(日焼け止めクリーム)を頬に塗ったお姉ちゃんや、ロンジー(巻きスカート)を履いた男の人もよく見かける。国境の渡し船ではひっきりなしにタイ人やミャンマー人が行き交い、対岸のコートーンは汚く貧しいながらも活気に満ちていた。人々の表情も、軍の圧政など微塵も感じさせないほど明るかったというのに。

しかしこんな事件を聞くと、そんな町の様子などタイに面した豊かな国境だけの話で、外国人の来ないような奥地に踏み込めばそこに国境とは比較にならないくらいの貧困、強制労働や虐殺など、目を覆いたくなる光景が繰り広げられているのではないかと思う。自分がコートーンやタチレク(タイ最北端のメーサイと面している)の町で見たものは何だったのだろうか。

コンテナの中でタイの地を踏むことなく息絶えていった人たち。生きるためには危険を冒してでも国外へ逃れなくてはならないミャンマーの現実、それにつけ込んでいるだろう密入国ブローカーの暗躍、それらに頼っている面もあるタイの現実。そしてそこからそう離れていないチベット・ラサでの暴動と中国の圧政・・・。思いを巡らせるほど理不尽な世界に腹が立つが、同時に、平和ながら最近訳の分からない殺人事件が多発している日本の闇も感じずにはいられない。

タオ島でダイビングをした時、スタッフの中に陽気なミャンマー人がいた。彼は正規の就労者だったが、今頃この祖国と同胞の悲劇に何を思っているだろう。察するに余りある。
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