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2006.01.01 初・除夜の鐘
年明けましておめでとうございます。
このブログも去年半ばより更新をサボっておりましたが、ここに来てあまりの筆無精さに危機感も覚えるようになったので、心機一転、再開してゆくつもりです。


新年は、奈良の山奥にある寺で迎えた。
いつもなら北海道の大沼で、元ユースホステルの常連さんたちと呑んだくれて過ごしているのだが、今回は久々に地元(に近い場所)だ。雪のない年越しだ。


さて、寺で新年を迎えたとあって、この歳になって初めて除夜の鐘というものをついたのだ。そして、除夜の鐘の裏事情や、あの鐘の下でどういった光景が繰り広げられているかを初めて目の当たりにすることができたのだった。

まず、あの鐘を百八回(煩悩の数だと言われているが諸説あり)つくのは誰でも知っているだろう。しかし、ただつけばいいのではなく、実は新年を迎えた瞬間に百八つ目をつき終わるのが本当の姿なのだそうだ。

ところが、現実はそうはいかない。寺の人間だけでなく、一般参拝の人も入れ替わり立ち替わりついてゆくのだから、そんなタイミング良く終われる筈がないのだ。特に一般の人たちはどうしても速い間隔でついてしまうらしく、新年を迎えるまで鐘の音をキープするためには百八回では済まずに、たいてい百三、四十回はつかなければならないのだという。

夜11時40分過ぎ、境内の隅にある鐘楼には明かりが灯り、まずは住職が「南無阿弥陀仏ー」と唱えながら、その小柄な身体に合わないような勢いで撞木を思い切り振り下ろす。近くで聞くと脳天まで響き渡るようだ。横で回数をカウントしている寺の人も、これを間近で百三十回以上も聞くとはかなりの大仕事だ。

そして寺の関係者が終わると、一般参拝客の番だ。
テレビなどを見る限りでは知らなかったが、鐘の横には畳が敷かれ、その上では副住職が鐘の音に合わせて繰り返し南無阿弥陀仏を唱えながらひざまずいているではないか。聞くとこれは「五体投地」と言い、両肘、頭、両膝を地面(畳)につけることによって旧年の罪を懺悔し、仏に感謝を表すのだそうだ。
「五体投地」はチベット仏教などが有名で、地面にうつ伏せで寝そべってつま先、手の指の先まで地面につけるのを見たことがある。巡礼では数歩歩くごとに五体投地しているのだから大変だ。日本や中国の大乗仏教と違って、アジアの上座部仏教はこういう所でも戒律が厳しいらしい。

貴重な経験ができた。これで今年も御利益がありますように・・・というのはちょっと都合が良すぎるか・・・。
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