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い、少ない、大きい、小さい、古い、新しいなどという、いわゆる形容詞は、すべて「何々に対して」という意味を含んだ相対語であって、その言葉を発する側と受け取る側とで内容の著しい乖離が生じてもおかしくはない。

例えば車では、「高級車」の代名詞になっている外車など、ほとんどは本国に行けば庶民が普通に乗っている「大衆車」だ。
「最新型」として世に出た工業製品も、それより新しい製品が出れば1年落ちでも「旧型」になってしまうし、新型が出なければ10年経っても「最新型」と呼ばれ続けるだろう。


地域的な要因もある。
東京や大阪では待ち合わせに10分遅れたら立派な遅刻だが、沖縄では1時間程度は遅刻の内に入らないらしい。「沖縄タイム」のスケールは大きい。


さて、同様に何かと「スケールが大きい」と言われる北海道だが、東京や大阪のような都会と比べると、その環境の違いから人間にも大きな感覚の違いがある。

例えば東京の山手線沿線に住んでいる人が旅行に出て、北海道の十勝あたりをレンタサイクルで走っていたとする。
途中で道が分からなくなり、農家の軒先にいた人に道を聞く。そこで「それならすぐそこですよ~」という抽象的な答えが返ってきた場合、その東京の人は「あ~良かった、たぶん遠くても1kmくらいだろう。自転車でもすぐだ」という判断を下すに違いない。

ところが北海道民、特に十勝のような広大な土地に住んでいる人たちにとって「すぐそこ」という表現は、あくまで「自動車で、信号も渋滞も全くない直線の道を、平均時速80kmぐらいで走ってすぐ着く」という感覚に基づいている可能性が高いのだ。真に受けてしまったその人は、恐らく30分はペダルを漕ぎ続ける羽目になるだろう。

私も、北海道を旅していた時から移住した今に至るまで、その感覚の違いに翻弄され続けている。


先日、お客さんのお宅で作業が終わり、帰ろうとしていた時のこと。
「畑で作った野菜がちょっと余ってるんだけど、持って行かないかい?」とのお言葉。

あ~、ちょうど越冬野菜(ムロに入れたり、雪に埋めたりして保存する)を準備しようとしてたとこなんです。有り難く頂戴しま~す。

と言い終わってから一瞬、不安がよぎる。
以前にも近所の農家さんから、トウモロコシ何本かあげようと言われて18本も持たされたり、別のとこではミニトマトいるかと聞かれて買い物カゴに半分持たされたりと、処分に困るほどの量になったことが何回もあったのだ。
今回も「北海道スケールでのちょっと」なのかもしれぬ。しかし頷いておいて、やっぱしやめますなどとは言いづらいし、とりあえず近所中にあげまくれば何とかなるか・・・


数分後、私の目の前に運ばれてきたのは、
_
大根13本、全長1m近くあるネギ5本、ジャガイモ約20kg。
予想に違わず、である。

ウチは二人暮らしなんやけど・・・。まあ越冬野菜にして、余ったらお隣さんにでもあげるかな。


苦笑しながら何とか車に積み込み、家に帰ると・・・
そのお隣さんから巨大な大根2本が届いていた。

さあ、どないしよ?
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