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手足がなくとも、遊ぶ時は一緒だ
手足がなくとも、同じ遊び仲間だ。

ンボジアのシェムリアプ(シェムリアップ)へ来て、早くも1週間が経とうとしている。


当初の予定では、カンボジア国内だけで1週間の予定だった。アンコールワットやアンコールトムなどの遺跡群を見て、プノンペンに移動。そしてさっさとベトナムのホーチミンに移るつもりだったのだ。

しかしいざ来てみると、シェムリアプは結構面白く、またのんびり出来るところなので予定が延びてしまった。

少し前までは治安も良くなかったらしいが、最近は強盗などの心配もなく、コンビニや1ドルショップなどもできて便利になった。ゲストハウスでもバンコクと同じように、沈没状態の連中を多く見かける。


ところで、惜しいことにカンボジアでは、旅に大切な楽しみがない。

それは食だ。隣国タイのようなバリエーションがない。タイでは毎回辛さにヒーヒー言いながらも、いろんなメニューを食べるのが楽しみだったというのに。

味付けはタイと違って全く辛くない。むしろ醤油などを多く使った日本人好みの味かも知れない。食ってみれば何でも旨いのだ。
それだけに、メニューの少なさは残念に思う。バンコクでは、普通の屋台のメニューでもざっと30種類は下らなかったが、こっちの屋台ときたら焼き飯と焼きそばをメインに10種類もないのではないか。たぶん、タイのようなスパイスに恵まれていないのと、とれる野菜の種類が少ないということもあるのだろう。

タイのトムヤムクンやグリーンカレーなど、国の名前を聞いただけで頭に浮かぶような名物料理も、ここカンボジアにはない。


カンボジアと聞いたなら、何を思い浮かべるだろうか。

まずアンコール遺跡群。それはいい。でもその後に続くのは恐らく、内戦、ポル・ポト、地雷、大虐殺・・・そこにあるのは暗いイメージばかりに違いない。
そう、カンボジアは名物というものが、長い戦争とポル・ポトによる極端な政策のせいでことごとく死に絶えかけているのだ。それなのに、残って欲しくない物が名物になりつつある。


シェムリアプの町はずれにある「クメール伝統織物研究所」なる所に行ってみた。

ここで作っているのは、シルクを使った絣の織物だ。
手織りの上に天然色素で着色されていて、柄と独特な艶が実に美しい。いろんな形の完成品も売っている。ただしえらい手間をかけて作っているだけあって、結構高かったりする。畳1畳ぐらいの生地で、1000ドル前後。
う~ん、しょうがないんかなあ・・・タイシルクは安かったぞ。まあ、あちらは機械織りと合成色素のプリント柄だが。

伝統と言っても、残っている一番古い絣の織物が百年前くらいのものだから、それほどの深い歴史は持っていないらしい。
しかしせっかく受け継がれてきた技術も、農業以外の生産活動を一切禁止したポル・ポト時代には完全に否定され、途絶えてしまうところだった。それではもったいないということで、この織物に惚れ込んだ日本の友禅職人のおっちゃん(当時はまだお兄ちゃんだった)がNGOを立ち上げ、まだ腕に覚えのあったおばちゃんやおばあちゃんたちをかき集めてこの研究所を立ち上げたそうだ。

今では500人くらいの女の人が技術の伝承と織物産業復興を目指して、織機を使ったり柄を糸につけたりといった作業をこなしている。原材料も徐々に自給できるようになったとのこと。
子供を連れてきてもいいらしく、母親が作業している横で子供たちが遊んでいたりもする。これなら働きやすいに違いない。

一番古い端切れを見せてもらった。それに比べたら、今作っている物はまだまだ追いついていないという。確かに織りも荒く、色も薄い。でもいつか、クメール織物なるものがカンボジアに根付くことを願いたい。
余談ながら、ここの店で働いている現地人のお姉ちゃんには感心した。接客態度がなっている!東南アジアに来て「接客態度」という言葉と無縁になっていた(ガムを噛みながら、鼻歌歌いながら、私語しながら接客、なんてことは日常茶飯事)だけに。


その後、また近くにある「地雷博物館」にも行ってみた。
ここは、今はボランティアで地雷撤去に携わっている元兵士が個人で設立した所で、カンボジアの忌まわしき名物、地雷や、内戦で使われたいろんな兵器を展示している。

単に展示してあるだけなら「ふ~ん、すごいな」で終わってしまうところだが、この元兵士の館主が実際に戦いでこれを使って敵を倒し、またこれの罠をかいくぐって生き延びてきた様子が、再現した絵と共に事細かく書かれていたりして、思わず絶句してしまう。若い子供の兵士が銃の手入れをしていて自分の頭を撃ち抜いてしまったことや、身体に爆弾を巻き付けた仲間が投降するふりをして目の前で敵もろとも自爆したことなど。

地雷原を再現した場所もある。確かによく見ないと全然分からん・・・。そして内戦が終わっても今なお残った地雷で人々が足や手をもがれ、死んでいる現実を写真や絵などで教えてくれる。
そこいらの展示館のような、金だけ掛けたような展示は一切無く、実際に戦争に加わった一人の人間のナマの声が伝わってくるようだ。

残念ながらその館主とは会えなかったのだが、館主と共にここで暮らしている子供たちがいた。
みんな近くの集落の子と一緒にバレーボールなどして遊んでいるのだが、よく見ると両腕の肘から先がなかったり、片腕や片足がなかったりする。それでも上手くトスを回して、たまには転びながらもケラケラ笑っていた。爆発で手足を失い、一緒にいた家族や友達も身体を四散させて死んだだろうに。


早くこの国に名物が復活し、余計な名物は一日も早く消え去ってほしいと心より願う。

赤ちゃんをハンモックに乗せて、母親は働く
赤ちゃんをハンモックに乗せて、母親は織機に向かっている。
ベテランのおばちゃん
ベテランのおばちゃん。染料に浸ける前に、染めない部分を糸でくくるという作業をこなす。複雑な柄は、この人しか出来ないという。

母親のそばで遊んでいる
仕事をしている母親のそばでは、子供たちが遊んでいた。

地雷博物館
地雷博物館。おびただしい兵器(もちろん処理済み)が飾られている。

右腕のない男の子
クメール・ルージュ軍の格好をした少年にカメラを向けると、ポーズをとってくれた。この少年も、右腕は根元から無くなっている。

器用にボールを使う
両腕の肘から先が無いというのに、バレーボールを器用にこなしていた。

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