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延々と遺影が続く
延々と遺影が続く・・・

ンボジアという国を旅していると、何かと考えさせられることが多い。

つい最近まで内戦という戦争が身近にあり、今もなお地雷という後遺症に苦しめられているという現実と、発展途上にありながらも逞しく生きている人々など。日頃、不満ばかり漏らしている人がいたら、一度カンボジアに連れてきてみるといいのでは?少しは大人しくなるかもしれないだろう。


以前、韓国の国境にある板門店(パンムンジョム)に行った時も、自分のいるほんの数メートル先には銃を構えた北朝鮮兵がいて、その場の緊張がひしひしと伝わってきた。今、万が一それぞれの領土にいる誰かが国境線を超えて走り出したら、その途端に銃撃戦が始まるのだという。

北朝鮮兵と、それと向かい合うようにテコンドー姿勢(すぐに銃を取って戦闘態勢に入れるように、腰のあたりで両手を構えている)をとって微動だにしない韓国兵を見ていると、日本がこうでなくて良かったなー、と身にしみて思ったものだった。日本も下手をすれば太平洋戦争の後はアメリカとソ連に分割統治されて、北海道などひょっとしたら「蝦夷民主主義人民共和国」とかいう外国になっていたのかもしれないのだから。

そうなると「北の国から」も「北の共和国から」になっていたのかもしれぬ。「父さん、今日は偉大なる××総書記の誕生日だったわけで・・・」なんて。


プノンペン市内にある「トゥールスレーン刑務所博物館」に行ってみた。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュ軍が設置した、政治犯尋問センターの跡だ。

ここには延べ2万人もの政治犯が収容されて、凄まじい拷問の末に処刑されたという。

しかし、その罪というのが要人を襲ったとか大衆を扇動したとかではなく、「病気で寝込んでいたが、栄養たっぷりのスープで元気になったから」とか「排泄物を回収に出さなかったから」とかいう訳の分からない言い掛かりなのだ。映画「キリング・フィールド」にも、両手が汚れていなかったりとか、牛車に乗っていたとかいうだけで頭にビニール袋を巻き付けられて射殺される人たちが描かれていたな。

理不尽な!その人らのどこが政治犯なんかい!?こんなんでいちいち処刑されとったら、そら300万人(ポル・ポト時代における犠牲者の総計で、事故死、病死も含む)も死ぬわな!処刑される側だって、とてもじゃないが死んでも死にきれない。

拷問室に入る。鉄の網がむき出しになったベッドと、鉄棒を曲げた拘束具が残っている。

ベトナム軍が介入してクメール・ルージュを追い出し、プノンペンに入った時、この拷問室の各ベッドには14人が縛り付けられたまんま死んでいたという。ご丁寧に、その時撮った写真まで大伸ばしにして壁に掛けてある。モノクロなのが幸いだ。カラーなら、恐らく見る人の半分くらいは卒倒しているのではないか。血まみれで、床も血の海だ。「惨殺」とは、まさにこのことを言うのだろう。

そんな写真とベッドと、血の染み込んでいそうな部屋を眺めていると、拷問の絶叫が聞こえてきそうで吐き気がした。

実はここは、それまで高校の校舎だったという。希望に満ちた筈の学舎を、何とも罪深い目的に転用したものだと思う。

校庭には、鉄棒とブランコの支柱が残っていた。
いや、よく見ると横に説明が書いてあって、ブランコなどではなく、後ろ手にしたまま吊り上げる(しかも手首にロープを掛けてですよ!)拷問具だったのだ。想像しただけでも痛い。痛すぎる。でかい水瓶も置いてあって、これは繰り返し頭を浸けるものだ。

あと、独房も保存されていた。主な拷問具が置かれ、壁に拷問の様子を描いた絵が掛けられている部屋もある。
手首をギロチンのようなもので締め付けた上に生爪を剥がしていたり、斜めになった板に頭を下にして貼り付けて顔に水を掛けたり、顔がギリギリ水に浸かるように逆さ吊りにしたり。よくもまあ、これだけ考えたものだ(もともと日本軍がやっていたのも相当あるらしいが)。もっと国のために考えることがあっただろうに。

ムチ打ちも4人がかりだ。SM好きの人がこの部屋を見たら、ほかの趣味に転向するかもしれない。

しかし何よりも圧巻だったのは、処刑される直前の人々を証明写真のように正面から撮った写真がパネルに並べられている部屋だった。

十枚や百枚どころではない。さすがに2万枚はないが、数千枚はある。みんな無表情で虚ろにレンズを見ている。老若男女、赤ん坊を抱えた母親や、どう見ても幼稚園くらいにしか見えない男の子や女の子もいる。
こんな子が何をしたって言うんかい?どんな反政府活動をしたのだ!?と、ポル・ポトを三角木馬に座らせてろうそくを垂らしながら小一時間、いや、丸一日でも問い詰めてやりたい。
こんな納得のいかない処刑を目の前にして、この人たちは何を考えていたのだろうか。

ポル・ポトの写真もあった。嫌いなタレントのポスターの眼のところに画鋲を打つように、眼の所は×印に傷つけられ、「RED DEMON」と赤い字で殴り書きがしてあった。たぶんこの顔写真が「ウサマ・ビン・ラディン氏」のようにTシャツにされることはないだろう。

最後に記録映画を観て、ここを出た。


今までいろんな戦争の跡や博物館を観てきたが、どれもつまらないものはなかった。悲惨さだけでなく、いくつか観るうちに、戦争がどんなふうに今のこの国を作っていったのかが何となく分かるような気がするからだ。

日本は皮肉にも戦争で発展した。そう発言しても許していただけるだろう。太平洋戦争で国は焦土と化したが、新幹線開発を始め高度経済成長の先頭を引っ張ったのはその兵器開発で育て上げられた技術者たちだったし、産業は海外の戦争の度に湧き、成長を遂げたのだった。

しかしカンボジアは、内戦が20年以上の長きに及んだだけではない。クメール・ルージュ支配時代には国の将来を担うべき知識人や技術者といった人材を根こそぎ虐殺や追放で失い、おまけに農業以外の全ての活動、まともな教育まで禁止していたのだ。これら全ての影響が、内戦終結から15年を経ても思うように発展できないでいるこの国の現状に色濃く表れているのを感じずにはいられない。

そして、植民地にされず大きな戦争も起こらず、今や先進国の仲間入りをしようとしている隣国タイ。50年以上も反目し合っている韓国と北朝鮮。そしてこの後に行くであろうベトナムにも思いを巡らす。

いろんな国を渡り歩いてみると、考えることは更に多くなる。まあ、まだ四カ国に過ぎないので、全くもってエラそうなことは言えんのだが。

拷問部屋
このベッドで拷問が行われたのだ。
厳重な有刺鉄線
独房の廊下には、有刺鉄線が厳重に張り巡らされている。

拷問具が置いてある
拷問具が置いてあり、壁には拷問風景の絵がある。

これはゲストハウスの部屋
これも刑務所の部屋・・・なワケはない。泊まっている「Capitolゲストハウス」。インサイドシャワーで6ドル。
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