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て、山出しも最終日だ。


今日も木落とし坂で待ち構えていようとも思ったけど、祭り好きとしては、祭りの一部分に過ぎない「木落とし」だけしか観ずに「こないだ御柱祭観てきたで~」などと自慢げに吹聴するのはやや憚られる。


今回は時間の都合もあって伐採や里曳きは観れないので、ならばせめて1本の柱の山出しに可能な限り付き添ってみようじゃないか。そうすれば、この祭りのいろんな面が見えてくるかもしれない。

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とは言っても、目的の柱ももう木落とし坂のだいぶ手前まで近づいてきていたので、そこから合流する。

木遣り衆は、老若男女さまざま。こんなうら若きおネエちゃんも、細い身体からびっくりするような大声を絞り出す。

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横断幕には「七年後にまた会いましょう」とあるけど、正確には次回は2016年なので6年後だ。というのも、御柱祭は「数え年で計算」するのが習わしで、「七年に一度、天下の大祭」をはじめとして「七年目毎」とか「数えで七年」とか表記されていることが多い。

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木落とし坂まであと僅か。テンションも最高潮。

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元綱衆(柱の直前で曳く人たち)も大変だ。まっすぐな道だけならいいけど、そうはいかない。山出しも里曳きも、曳行するのは狭くカーブの多い道なのだから。

カーブでは必死に踏ん張って、綱を外向きに押さえつける。そうしないと引っ張る力がうまく伝わらないばかりか、柱が内側に寄りすぎて収拾がつかなくなるのだ。

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坂の上では、信号機よろしく旗を持って進行・停止を指示する係の人が立つ。
そりゃ、坂の上と下とではお互いが見えないのだから、伝達係は重要だ。最後に追掛綱を切る斧係に、切るタイミングを伝える役目もある。

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曳き子さんらと結びつけられた子綱が延々と続く。
この時の必須装備は、滑りにくい靴と汚れてもいい服、そして軍手だ。綱を延々と引っ張ってくるのだから、素手ではとても耐えられない。

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警備の消防団員さんらが必死になって、滑り落ちかけた曳き子を押さえる。一人でも滑り落ちたら、巻き添えになって人の雪崩になるのは必至だ。

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木遣りの後「祝!御柱祭」の垂れ幕が、坂の下へと下ろされてゆく。

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そして木落とし。

ほかの多くの柱と同様に3分の1ほど滑ったところで止まってしまったけど、すぐさま元綱衆が集まってまた引きずり落とす。そしてスムーズに、誰一人振り落とされることもなく滑り落ち切ったのだった。

先頭の華乗りさんは、前回3番手に乗っていた人だ。
無事に落ちた坂の下で元綱衆が集まってきて、この綺麗な木落としを讃える。感極まったのか、柱にまたがったまま大泣きしているじゃないか。

この華乗りという役目は木落とし、そして山出しの主役と言ってもいいかもしれない。その名誉と、責任の重さが伝わってきた。

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柱を下の道路まで下ろしこれから、注連掛(しめかけ)と呼ばれる1ヶ月後の里曳きまで柱を安置しておく場所まで約1kmの道のりを曳行するのだ。

この棒を持っている人たちは「梃子衆(てこしゅう)」と言って、柱の横方向の動きを細かく調節する役目だ。柱の下にこの棒を突っ込んでずらしたり、支えたりする。
急カーブを曲がるときなどは、元綱衆と梃子衆の息が合わないと、柱はうまく曲がってくれない。



木遣りが響き、曳き子さんらが「これは山王へ~、ヨイサ!ヨイサ!」とかけ声を合わせて柱を曳く。そして「喇叭隊」のファンファーレ。指揮を執っているような木遣りのおっちゃんが何ともお茶目。


前回は「オレはサンノウエ」ってなんや?と思ったけど、諏訪大社・下社の秋宮近辺を意味する「山王(さんのう。山王台とも言う)」とのこと。「この御柱は山王へ」ということらしい。

諏訪大社の下社には「秋宮」と「春宮」があって、これは「秋宮・三の御柱(3本目の御柱)」だ。もちろん「山王」ではない春宮に行く柱もある。道理で柱によってこの掛け声はなかったわけだ。ただ、これまた「参の上」とか諸説ある。

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こういう光景を見ていると、まぁラッパも悪くないかなとも思う。ここでホラ貝や尺八を笛を鳴らされてもちょっと違うし。

消防団員の人たちも警備、そしてラッパとなかなか忙しい。

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いやいや、それにしてもすごい数の曳き子だ。

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こんな小さい男の子も、声を振り絞って木遣りを響かせる。周りから暖かい拍手が贈られた。

そういえば上社では木遣り衆の中に白人さんが加わっていたな。外国人にも伝承者がいるなんて素晴らしい。

ちなみに諏訪では、木遣りは「叫ぶ」でもなく「歌う」でもなく、「鳴く」んだそうだ。

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もう少しで注連掛だ。こんな緩いカーブが続いて元綱衆の疲れもピークなんじゃないだろうか。なんせ今日の曳行は全長10kmくらいもあって、早朝から曳いているのだから。

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山出し最後の難所。注連掛への登り坂だ。坂がきつい上に狭いので、途中で止まらないよう助走をつけて一気に登り切った。

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やっと注連掛に到着。これで山出しも無事終了だ。

ここまで来た氏子の人たちがみんな山の方を向いて立つ。木遣り衆が柱の上に乗り、これから一人一人最後の木遣りを鳴く。



サイレンのように徐々に声が大きくなり、山間に木遣りが響き渡る。1人終わる毎に「ヨイテーコショ!」の掛け声。

この祭りが紛れもない「神事」だと感じる瞬間だった。

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最後に全員で万歳をして、山出しを締めくくる。

これで、今回の下社山出しは幕を閉じた。

正確に言えば、あと1本、最後を飾る秋宮一の御柱が木落としを終えてこちらへ向かっている筈だけど、この秋宮三の曳行をだいぶ見ることができてもう満足だった。


ちなみに、前回の里曳きの様子もご紹介しよう。上社で行われたものだ。

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ワイヤーによって建てられた御柱に氏子さんらが乗り、御弊(おんべ)を振る。ちなみに、地上十数メートルの高さだ。

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残った人たちは、下で掛け声をかけて盛り上げる。

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柱から垂れ幕が。「妻よ子よ ありがとう 父ちゃんは前三(上社・前宮三の御柱)に燃えた」と書いてある。

確かに、ここしばらくは祭りで家族サービスどころではなかったのかもしれない。これも大事ですよ~。

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そして、上社は二年にわたった御柱祭を終えた。



3日間、この諏訪大社・下社の御柱祭を観た後に改めて感じたのは、祭りにかける地元の人たちの思いとエネルギーだった。

青森のねぶたも、秋田の竿灯も、越中八尾のおわら風の盆も、岸和田のだんじりも、徳島の阿波踊りも、ぜんぶそうだった。
地元の人たちの心の中には常に祭りが宿っていた。祭りは身体に染みついていた。一年の生活は祭りと共にあるようだった。

大人だけではない。小学生くらいの子が立派に笛を吹き鳴らし、茶髪にピアスの女子高生が浴衣を着て笠をかぶって見事な踊りを見せ、弱々しそうな青年が必死に山車を引っ張り、祭りを盛り上げている。

みんな祭に酔っていた。祭に燃えていた。

もちろん、本番に至るまでの地道な準備や厳しい練習もあるだろう。そういった裏側を知らない私はただの余所者に過ぎない。しかし、都合のいい希望だとわかっていても、束の間でもいい。彼らと同じように酔いしれたい、燃え尽きたいなどと思ってしまうのだ。

これやから、祭り巡りはやめられません。
次は8月の青森ねぶたや!
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