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オスの人々は、かなり素朴だ。

少なくともタイ、カンボジア、ベトナムと渡り歩いてきた身にはそう見える。
タイほど文明に毒されておらず、ベトナムほどお金にガツガツしていない。カンボジアと並んで東南アジア最貧国のひとつに数えられているのに、物乞いもいないし、貧しそうに見えない。

しかしながら、いい加減さではこの4国で一番かもしれない。いい意味でも悪い意味でも。


例えば、食堂などに入って注文をする。
すると店員はそこでは一応勘定書らしき紙に書くのだが、食べ終わって代金を払おうとすると、いつの間にか自己申告制になっている場合が多いのだ。客が何を食べたのかを店員に言ってお金を払う。別に店員も勘定書と照らし合わせるわけでもなく、言われるままに金額を出している。

「客が何を注文したか全部憶えとるんや。凄いなー」と最初は思ったのだが、どうやらそうではないらしい。一回だけ野菜炒めを申告し忘れていた、というか申告したつもりが通じていなかったことがあったのだが、結局何も言われなかったのだ。後で妙に安いと気付いたのだが、時既に遅し。払いに戻るは不可能に近い状態だったので「まーええか・・・」となってしまった。言っておくが、故意にゴマかそうとしたのではない。

普通に勘定書を持ってきて金額を言ってくれる店もあったが、金額を間違えていることが時々ある。こんなことはベトナムで多々あったが、ラオスはほとんど金額を「安く」間違えているのが違う。「あれ?計算したより安いな」と思うことが多いのだ。ベトナムではほとんど毎回「お前、絶対わざとやってるやろ!?」と問い詰めたくなるほど金額が上乗せされていただけに、ラオス人の金銭への執着のなさが感じられる。

シーパンドンやここムアンシンのような田舎でも、ビエンチャンやルアンパバーン(ルアンプラバン)のような都会でもそんな様子なので、これは国民性なのだろう。ベトナム人が旅行者に「いい人たちなんだけどねー、金さえ絡まなければ・・・」と言われるのとは対照的だ。

あと、物への執着も多分ない。

シーパンドンのコテージに隣接していたレストランで朝食をとって、戻ろうとした時だ。
入り口に脱いで置いておいた筈の、連れのサンダルがない。安物のビーチサンダルだが、なくなると困るのだ。横のハンモックで子供と遊んでいた店のおばちゃんに訊こうとすると・・・アンタの仕業やったんか!

おばちゃんに言うとすぐさま謝ってきて自分の物らしいサンダルに履き替えた。しかしそれを見ると同じようなビーチサンダルだが、色が全然違う。何で間違えるのだ?

その後別のレストランで夕食を取った時も、また同じように連れのサンダルが行方不明になった。その店の人や客に「アンタのどれ?」と訊いてみた結果、残ったのはやはり似ても似つかぬサンダルだ。しかし履いていたのより少し造りが上質で、ひょっとしたら高い物かも知れない。履き心地も前のよりいいと言うことで、結局それを頂戴することにした。
帰る途中、レストランの娘とすれ違って軽く挨拶を交わした。彼女の足元を見ると・・・今度はオマエか!

また言おうとしたが、今履いている物の方がいいので黙っておいた。恐らく、みんなサンダルなど似たようなものなら共同使用しているという感覚なのだろう。そう考えると、このサンダルも元々誰の物なのか分からなくなるのだが。


バンビエン(ワンウィエン)では大雨が降っていたので、傘を差してレストランに出掛けた。
で、傘立てがなかったので隅の一角に置いておいたのだが、気がつくとレストランの従業員(家族なのだが)が客席と厨房との往復に使い始めているではないか。勿論彼らの傘もあったのだが、それと一緒くたに使われている。

自分らのがあんのやったらそれ使えや!と言いたくもなったが、彼らのことだ。悪気は全くないに違いない。単に自分に近いところに置いてあった傘を手に取って差しているだけなのだ。見ていてもそうらしい。
そのうち私の傘を差して店の外にも出掛け始めた。おいおい、それはちょっと・・・。ちゃんと返してくれるんやろな?サンダルの時みたいに、違う傘になって戻ってくるんではあるまいな?

結局ちゃんと私の傘が手元に戻ってきたのだが、まあ適当というかいい加減というか・・・。


「ドラえもん」のジャイアンの決まり文句は「人の物はオレの物、オレの物はオレの物!」だったが、こちらでは「人の物はオレの物」されど「オレの物も人の物」と言う感覚なのだろう。

ほかにも、食事を注文すると、隣の店から材料を借りてきて作り始めたこともあったし、逆に材料を持って行って隣で調理して出してきた時もあった。またある店で、探していたTシャツを置いていないか訊くとおばちゃんが「ウチにはないけど、隣にはあるよ」とその店に走っていって交渉を始めることもあった。
町全体があたかも下町の長屋のようだ。「ちょっとあれ貸して」「ちょっと使っといてええ?」とかいうやりとりが恐らく日常茶飯事なのだ。


最近は日本も長屋が少なくなり、私の住んでいるような下町でも、隣同士で物の貸し借りをすることなどほとんどなくなった。日本では物に不自由しなくなったからだ。そして自分の物にも名前を書くなどしてちゃんと管理している。

いいことだろうが、何だかドライに感じるのは気のせいだろうか。

その「自分の物は自分で管理する」という感覚が「自分の物さえ管理しておけばいい」になって、他人の物や共同の物をぞんざいに扱うようになっている。物だけでなく、自分の子供だけを可愛がって他人の子供には無関心な親も増えている。自分のテリトリーの外に存在するもの全てへの関心が薄れてきている。それが今の日本の姿なのだと思う。

そう考えるとラオス人はいい加減だが、裏を返せば大らかで、助け合いの精神が失われてないなー、と改めて感じるのだ。


今日も宿のテラスで、サワンナケートで買った「蚊退治ラケット」で遊んでいると、宿の娘が「ちょっと貸して!」と当たり前のように持って行ってしまった。そして自分の家の蚊を追いかけ回している。

まあええやろう。これも助け合いである。ちゃんと返してくれさえすればな。
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